infinity

ブログと嘆きの壁?

2005-05-01 09:41:03 | beet emotion
う~ん、疲れてるな~。昨日も知らないうちに寝てしまった。仕事が終わって帰ったのが24時過ぎ。その後、ご飯を食べたりして、26時くらいまでは記憶があるのだが・・・。起きたら7時だった。なんてこったい。

29日の春秋を今見てびっくり。面白いのでつっこんでみよっと(爆)。

<「さっき出張から戻った」とか「村上龍の新作を読んだ」とか、たわいない内容にがっかりすることも多い。>
うん?何をがっかりしてるのだ?この人は・・・。個人サイトがたわいない内容なのは当たり前だろ。

<名前や素性は明かさないが、それでもボクやワタシの話を聞いてほしい自称評論家やタレントがパソコン画面の向こう側にひしめいている。>
名前や素性をネットで明かさないのは当たり前だろ・・・。
ボクやワタシの話を聞いて欲しい自称評論家って滅茶苦茶だな。これ。話を聞いて欲しいという面を人間がもっているのは当然だ。それがなぜ評論家につながる?上であげている「さっき出張から戻った」というのは評論か?(爆)。本の感想や、映画の感想を言うのが評論とするなら、まあそうとするが、自称する人はほとんどいないだろ。
タレントは名前や素性を明かしている。ほんと、無茶苦茶だな・・・。
パソコン画面の向こう側にひしめいているって表現もちょっと文学的だが当たり前だ。日経の読者も新聞の向こうにひしめいているぞ。忘れるな!

<有名になりたいのか。自分に酔っているのか。>
ブログで有名になれるのは、それこそ東大に入るより難しいかもしれない。鬼嫁日記みたいなスターは極々まれだ。そんなん、ブログ書いている人誰もが知ってるぞ。そんなこと、自分でブログ書いてみればわかるのに。自分に酔っている?ブログ書いて酔えるなら、そんなに楽な事はない。ブログだって、自分が知っている人が読んでいる可能性もあるし、何でも好き勝手に書けるわけではない。

<「誰も読んでくれなくていい」。何者かが自分を見ているという状態をつくり出す。そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるという。>
ここは注意して読もう!騙されるな!「誰も読んでくれなくていい」ってのは「」なので話言葉でそのままだと思う。40代男性の主張はそれはそれとする。問題は次だ。誰も読んでくれなくていい と言っている人が、「何者かが自分を見ているという状態をつくり出す」と言うだろうか?読まなくていいと矛盾しないか?
そこで体験や思いを言葉にすれば自らを律することができ、仕事や生活に励みも生まれるというは読まなくていいと矛盾しない。
思うに「何者かが自分を見ている状態をつくり出す」はこの記者が付け加えたのだと思う。「」になってないし、最後にという と伝聞になっている。非常に巧妙に読者を誘導している。こっちのほうが記者が自分に酔っていると思うのだが・・・。何でこの文章が必要になったかが次で分かる。

<同じ構図をエルサレムの「嘆きの壁」で見たことがある。>
同じ構図をつくるためこの一文が必要だったのが。それはどんな構図?

<ユダヤ教徒は体を揺すりながら壁の「向こう側」に延々と語りかけていた。>
壁に語りかける=ブログをつけるであろう。「向こう側」とはネットであれば、不特定多数に情報を発信しているってことだろう。

<宗教の違いはあっても、自己と、自己を見守る超越者を言語でつなぐ行為が「祈り」だろう。>
ここだ!自己を見守る超越者何者かが自分を見ているなのだ。

<情報化時代の神はネットの闇にも宿る。>
情報化時代の神って何だ?神がネットの闇にも宿る?意味が全然わからん。。。自己を見守る超越者を神とみなしていいとする。それが嘆きの壁での話。ネットに置き換えると、 何者かが自分を見ているになる。何者かというのは不特定多数で、それはつまり善悪の混在を意味する。そっか、だからネットの闇にも宿る となるのか。それなら、ネットにはいい神も悪い神もいるくらいにしたほうがいいのだが、嘆きの壁の例を持ち出したのだから、多神教はほぼ想定していない。それを矛盾させないために、神が光だけでなく、闇にもいる としたのか。わかりづらい・・・。

<人を煽(あお)るのではなく、声を聞くだけの神であってほしい。>
あははは。なるほど。これは暗に中国問題を言っていたのか。実は。中国でのデモもネットが大きな役割を果たしていたと言われている。ネットで人を煽った最近の事件といえば、中国デモと考えても不自然はない。声を聞くだけの神であってほしいか・・・。切実だな。でも宗派によっては人を煽ってきた。それは神が煽ってきたのではなくて、神を利用して煽られてきたのだ。

声を聞くだけの神にするのか、煽る神にするのかは祈る側の問題。つまり、ネットのせいにして暴れるのか、大人しくしてるのかはネットを利用する人の問題。○○のせいってのは、それを言い訳にしているだけで、本当の原因はそこにはない。(前のブログと似ているが)

この日経の記者が失敗したのは、あまりに遠回しに言い過ぎたのだ。中国問題を言いたいのであれば、直接言えよ。論理の飛躍をさせないため、自分で文章を巧妙に付け加えたり、凝りすぎ。というか、お前のほうが自分に酔ってるだろ。どうだ?俺の言いたい事が分かるのか?みたいな感じがぷんぷんして嫌な文章だ。そのため、わざわざブロガーを悪くいう必要はない。道具はただの道具だ。それをよくするのも、悪くするのも、使う方なのだ。なこたあ、当たり前だろ。逃げ腰になるな。主張は正々堂々としろ。あまりにも手を凝りすぎるな。シンプルイズベストだ。

いきなり朝から頭を使う文章だったな・・・。さて、家探しに行こう・・・。