Nyanyahoi's Essay

庭あり、音楽あり、食道楽あり。本館と庭と別館のエッセイ部分をまとめてみます。ブラザーズとpenchiも時折登場。

たすけあい? それとも・・・?

2004-11-13 17:36:46 | etc.
東京でも木枯らしが吹きました。今日は寒いです。
風邪の胃痛(いいた)はなかなか収まりません。

地震、台風、今年は災害続きでした。
ついこないだも、大雨で静岡が浸水したし。
自分ちの周りだったら、密集してるし下町で古い家が多いし、じいちゃんばあちゃんが多いし、
ほんとどうなるかな? と思います。

しかし、積極的にでていってその方々に自分が何できるんだろ?
なんてことは、よく考えます。
遠い土地、しかも、手のかかる子供もいるし、お財布もあまり豊かじゃない。
街頭の募金活動も、ちょっと照れくさくてできません。
コドモとドラえもん募金の電話をしてみたり、コンビニのおつりをこそこそっと募金箱に入れるのが精一杯。あとは、町内会の募金、かな・・・?

でも、独身だったころと違って、ブラザーズがおなかにやってきたり、生まれたりして、世の中ずいぶんあったかいものだなぁと言うことを実感しました。
おなかが大きければ、なかなか落としたものもおなかがつかえて拾えない。階段登るにも息が切れるし、ぽこ坊のときなどはよちよちこじぞうがくっついてのお出かけ。
電車でだいぶ席も譲っていただきましたし、病院でぐずったときにはあやしていただいたりしました。
デパートでこじぞうがそっくり返って駄々をこねているときは、店員さんが休憩室から自分のおやつをもってきてくださったことがありましたっけ。

だから、こじぞうが席を譲ってもらったときは、よくいいます
「こうやって、席を譲っていただいたよね。すわれてうれしいね」
「うん」
「だから、おおきくなって立ってるのがつらそうなひとがいたら、こんどはこじぞうがせきをゆずってあげな、それが今のお礼だよ」

こんな小さなお礼の積み重ねが積もっていくといいなと思います。
そしたら、まわりまわって、遠くの土地にもとどくかしら?
私も、お礼してかなきゃね・・・
うまくいえないけど。

それと、中越にボランティアにいかれたパン屋のNicolasさんちのBBSに興味深いことが書いてありました
「なにか、こちらで買っていってください」
土地の産業が傾いてしまえば、そこで働く人、そこで稼ぎを持っている人のこれからの生活が危ぶまれる。
そういえば、生協で注文した鯛焼きも、産地が中越付近だったらしく、製造中止になっていました。
こないだは宮川村のポン酢を迷わずデパートで買いました。台風の被害にあった野菜や果物、それから三宅島近辺の産品など、お店や生協で見つけたときは、時々買っています。

マスコミも、もうすこし、いろいろ、継続的にいろんな災害のその後の情報を継続的に流してほしいものです。
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4 コメント

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繋いでゆく事 (クローカ)
2004-11-13 18:11:04
最近、私の生活は信じられないくらい充実しています。仕事もプライベートも(彼はいないけど)、本当に楽しいことダラケ。それを他の誰かに感謝の気持ちとしてリレーしてゆく事をずっと考えていました。



そして震災・台風の被害にあった方に、私が出来る事も考えていました。特技もない私が被災地に行って何ができる?食べ物と交通手段を無駄に消費しに行くようなものかもって。



そんなときのこの記事は鳥肌が立つような衝撃でした。受け取ったものをすぐに返す必要はないのかもしれないですね。こじぞう君が席を譲れる大人になるように、被災した町が以前と同じ生活を取り戻せるように、そんなお返しこそがたくさんの人がいる社会では必要なのかもしれないですね。



長いコメントごめんなさい。上手く伝えられませんが、すごく自分にとってプラスになる記事でした。ありがとうございました。
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親切へのお礼 (あい)
2004-11-13 23:19:05
私が困っているとき、助けてくれた人が沢山いました。

私は、当時も今も、その人たちにお礼をすることばかり考えていましたので、この記事にはショックを受けました。



親切にしてくれた人へのお礼はもちろんだけれど、もっと大切なのは、そのお礼を別な誰かに回していくこと。そして、そのお礼の波を、みんなが止めずに広めていくことですね。



自分の力では、困っている人に十分な助けをすることが難しいとき、自分の非力さを申し訳なく思いますが、自分のちょっとしたお礼が波となって広がって、そのどこかで自分では助けられない人々に通じていたら、嬉しくなります。
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情けは人の為ならず (Futty)
2004-11-14 23:32:07
という諺があります。

たぶん現代社会において間違った意味に捉えられている諺の上位に入るものでしょう。

この諺の本来の意味で言われるよう、周りの人々に親切にしてあげれば、いつかそれは巡り巡って自分のところに帰ってくるかもしれません。

うちも小さいのを連れていたりあるいはお腹が大きいときなんか結構席を譲ってもらいました。もちろん譲ってもらった方への感謝の念は止みませんが、それ以上に次は自分たちが譲ってあげられる人になることが重要ですよね。kumiさん仰るとおり。

そうやってみんなでささえあっていける世の中になってほしいものです。

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コメントありがとうございます (kumi)
2004-11-15 10:24:14
クローカさん、あいさん、Futtyさん、素敵なコメントありがとうございました。



結構、実は後ろめたい気持ちでこれを書いたのです。なじみのビールやさんでもチャリティーオークションをしていましたし、本文に書いたパン屋のNicolasさんは、お客様からも義援金を募ってそれを送ったり、焼き菓子を焼いて手渡しに行ったりされていました。私も参加したかったのですが、いろいろ迷ったり天気や何やで・・・結局何をすることもできなくて。積極的に動かれていらっしゃる方もいるのに、自分は何ができるのだろう・・・ともやもやと考えていたのです。



義理や礼儀にうちのハハが厳しかったせいもあり、「御礼をしなきゃ」「譲らなきゃ」といった義務感はよく芽生えるのですが、肝心のその中の思いやりとか、湧き上がってくる優しさが先にたたない自分にもどかしさを感じたりします。

東京都では「奉仕」という授業と単位をこれから都立高校でつけるそうですが、そのことにも、なんだか不安を感じたりします。

話がそれそうなので、これはまた別口で書くことにしますね。

それだから、やっぱり、そういったわきあがってくる優しさを、自分の中でも育てたいし、ブラザーズのそういった心を大事にしたいな、と思ったり・・・します(~_~)

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