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「歴史歪曲は国民の損失」吉野さん声詰まらせ

2009-12-16 | 沖縄問題
日米密約について12月1日大きく報道された吉野文六さんの証言

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毎日新聞

沖縄返還交渉を巡る密約文書の開示を政府に求めた情報公開訴訟で原告側の証人として出廷し、会見する吉野文六・元外務省アメリカ局長(右)=司法記者クラブで2009年12月1日午後4時14分、佐々木順一撮影 「過去の歴史を歪曲(わいきょく)するのは、国民のためにならない」。1日、沖縄返還の日米交渉を巡る密約の存在を初めて法廷の場で明言した元外務省アメリカ局長、吉野文六さん(91)は、これまでの国の姿勢を批判した。72年には、密約を報道し国家公務員法違反に問われた西山太吉・元毎日新聞記者(78)の刑事裁判で検察側証人として密約を否定した。それから37年。今度は民事訴訟で西山さん側の証人として出廷し、声を詰まらせながら再会を喜びあった。【合田月美、伊藤一郎】

 高齢の吉野さんは、法廷で時折、原告側の弁護士や裁判官の質問内容を聞き返しながら、ゆっくりと記憶をたどるように証言した。尋問が終わり、法廷を出ようとすると、西山さんから「静かになったら2人でゆっくり会いましょう」と耳打ちされ、ほほ笑んだ。

 吉野さんは71年1月~72年5月、アメリカ局長を務め、返還交渉の責任者としてスナイダー駐日米公使(当時)らと折衝に当たった。その後駐独大使などを経て82年に退官した。3年前に妻を亡くし、横浜市内で1人暮らし。

 証人尋問後、東京都内で記者会見した。沖縄密約事件前、西山さんが外務省担当記者だったころに一度、2人でてんぷらそばを食べたことを打ち明け、「西山さんは活発で有能な人だった。(事件後)西山さんが非常にたくさんの費用や時間を費やして何回も裁判に挑んだことに対して信念の強さに感心していた」と述べた。「西山さんの刑事裁判では、密約を否定しましたね」と質問されると、「『密約がない』とは、今は(証言)できないと思う」と言葉少なに語った。

 西山さんの訴訟に出廷した理由について、「返還交渉の実情をなるべく真相に近い形で伝えたいと思った。最近、過去の真実を追究した報道や歴史家の努力はいいこと。それを続けることが日本の将来のため有益になると信じるようになった」と述べた。

 一方、西山さんは、別に記者会見し「法廷という厳正な場所でかつて偽証した本人が、『偽証しない』と宣誓して証言したのは、相当な覚悟がいることだったと思う。(密約文書への)サインを認め、局長室で交わしたことを認めただけで十分だと思う」と、感激した様子だった。



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