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【軍隊は軍隊を守る】

2010-04-29 | 沖縄問題
【軍隊は軍隊を守る】

 ところで、敗戦後、戦史家の伊藤正徳は、沖縄戦の特質の一つとして市民が直接に戦闘に参加したことに言及し、「沖縄戦では疎開を行ったのちになお数十万の市民が戦場の周辺に住み、その結果、じつに15万人強の多数が戦火の犠牲となったことは、悲惨の最たるものとして記録せねばならない。」

 「このことは、もし日本の本土が決戦場となった場合における国民の惨害を想像して膚に粟を生ずる次第であるが、沖縄戦はその悲しむべき実物教訓を15万人の血汐によって記録したのであった。」と述べています。

 沖縄戦では、伊藤が言うように非戦闘員は戦場の周辺ではなく真只中にいたので犠牲も大きかったわけですが、沖縄戦の住民の犠牲は、日本政府による廃藩置県以来の極端な皇民化教育のいわば必然的ともいうべき帰結でした。

 その点と関連して、著名な郷土史家で柘植大学の図書館長をつとめた東恩納寛惇教授は、敗戦後、つぎのように語っています。

 「琉球処分の結果、沖縄内部でも各種学問の究明とともに人心の帰趨も定まり、慶長以来300年間の空白をへて南島統治の古へに復帰し、忠良なる日本国民としての自覚を取り戻し、沖縄人は日本南進の前衛をもってみずから任ずるようになったが、“この自覚”が却って今次太平洋戦争に、世界史上まれにみる深刻な犠牲を支払わせることになった。

 按ずるに今次の敗戦によって、日本は武士道日本の伝統をすら敝履の如く脱ぎ捨てて、一路平和国家、文化国家の出現に邁進している。この姿こそ沖縄が守り続けて来た理念であった。噫さいじたるこの海那、常に平和に恋々として、一切の武備を捨て、民生を豊かにし、天地の化育に参して地上の楽土を実現せんと努力しつづけて来たにもかかわらず、周囲の激浪は絶えずその生活を脅威し、搾取し、竟にはこれを抹消せんとするに至った。若し人類の文明にその曾つての過失を追想し反省する日が来るとしたら、その時こそこれらの島々の生活が、理念が、文化が、深き同情と愛着とを以て追念されねばならないだろう。」

 ここには、みずから皇民化教育に携わった一老学者の痛恨の思いが端的に表現されているわけですが、問題は、沖縄戦の経験からおのずと持ち上がる疑問は、はたして軍隊は、俗に言われるように国民の生命・財産を守る存在なのか、ということであります。この疑問は、いわば軍隊の本質に関わる問題ですが、通常はあいまいにされたまま、まともに検証されていません。

 沖縄戦における非戦闘員の悲惨きわまる被害について、みずから沖縄戦に参加し、敗戦後は自衛隊で沖縄戦史を教えていたある陸将補は、つぎのように述べています。

 「沖縄戦は、明治以来、外地ばかりで戦争してきた日本軍が、はじめて体験した国土戦でした。戦争が始まる前に国土戦のやり方を決めておくべきだったが、それがなかったので、外地の戦争でやってきた慣習をそのまま国土戦に持ち込み、沖縄戦の悲劇が起ったのです。」

 「外地でやってきた慣習」が何であったか、南京大虐殺はいうまでもないけれども、ここでは措くとして、戦争に巻き込まれることが必至の非戦闘員に対する保護策がまるで欠落していたことは、この発言からも明らかです。ちなみに本土のある高名な作家は、『ある神話の背景』という本で、慶良間諸島における住民の集団自決との関連でつぎのように書いています。

 「“軍は国民を守るためのものでしょうに”という発言を、私は沖縄で何度か聞いた。なぜ一つの国家が戦争をするのか。それは、自国の国民(の生命・財産・権利など)を守るためではないか、という答に現在の私たちは馴れている。しかしその場合も国民というものの定義は明確にされていない。恐らく全体としての国民なのであり、“大の虫”を生かすことなのであろうと思われる。…
赤松隊(注1:渡嘉敷島駐留の日本軍)は、決して村の守備隊ではなかった。むしろ島を使って攻撃をするために来たのであった。出撃が不可能となり、特攻攻撃を諦めざるを得なくなった日以降、彼らは好むと好まざるとに拘らず、島を死守することになったが、それとても、決して島民のためではなかった。村民は恐らく“小の虫”であって、日本の運命を守るために、犠牲になる場合もある、と考えられていたに違いない。」

 この発言には、日本のマジョリティとマイノリティとの歪な対応関係が如実に示されていると思われますが、この作家は語をついでこうも述べています。

 「しかし、それは必ずしも、沖縄の、しかも小さな離島だから“小の虫”として見放されたのではない。もし米軍が、鹿島灘に上陸して来たら関東地方に住む多くの非戦闘員は、日本軍の防衛線と米軍との間に置きざりにされて見捨てられたであろう。というよりそれらの住民を犠牲にすることを前提に、防衛の戦闘配置は決められるのである。…」



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