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4・28沖縄デー 「切り捨て」の発想改めよ

2010-04-29 | 沖縄問題
4・28沖縄デー 「切り捨て」の発想改めよ
 今から58年前の1952年4月28日、サンフランシスコ講和条約が発効した。沖縄、奄美、大東を含む南西諸島は日本から切り離され、米国の統治下に置かれた。沖縄が切り捨てられた「屈辱の日」として忘れてはならない。
 太平洋戦争で沖縄は本土防衛の「捨て石」とされた。日本で唯一おびただしい数の住民を巻き込んだ地上戦が行われ、20万人余が犠牲になった。このうち約9万4千人は沖縄の一般住民で、軍人の死者よりもはるかに多い。
 国民を守るはずの日本軍は、しばしば住民を避難壕から無理やり追い出し、食料を奪った。中にはスパイの嫌疑をかけられ殺害された人や、集団自決(強制集団死)に追い込まれた人たちもいる。
 米軍は沖縄占領後、嘉手納飛行場や普天間飛行場を整備。戦後も住民の大切な土地を銃剣とブルドーザーによって強制的に接収し、広大な基地建設を推し進めた。
 日本は、サンフランシスコ講和条約によって主権を回復する一方で、沖縄統治を米国に委ねた。
 「捨て石」にされた上、米国の施政権の下に置かれた沖縄住民は日本にとって一体何だったのか。
 米軍は沖縄の自治権を抑圧し、68年に屋良朝苗氏が選挙によって主席に就任するまで、全琉球住民の代表者を自身の手で選ぶ権利さえ認めなかった。
 72年に念願の日本復帰は実現したものの、広大な米軍基地が沖縄に残った。現在も全国の米軍専用施設面積の約74%が集中する。沖縄本島の実に18・4%は米軍基地だ。在日米軍兵力の規模を見ても総員約3万6千人のうち7割近くが沖縄に駐留している。
 県民は米軍基地から派生する事件・事故に脅かされ、基地周辺住民は騒音被害に苦しんでいる。返還が取りざたされる普天間飛行場の移設先に挙がっているのは本土ではなく、沖縄県内や徳之島(鹿児島県)だ。
 基地を辺境の地域に押し付けることで日米安全保障体制の維持を図り、安寧を保つという考え方は、本土防衛のために沖縄を「捨て石」にした発想と大差ない。
 国会論戦などを見ていると、普天間移設は完全に政争の具と化している。政治家は過度の米軍基地が集中するに至った沖縄の歴史を学び、「切り捨て」「押し付け」の構図を改めてもらいたい。

4/28琉球新報




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