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8月15日を前にして、ヴァイツゼッカー の演説-1

2009-08-08 | 時事問題
この演説は、あの有名な『過去に目を閉ざす者は結局のところ現在にも盲目となります。』が言われたものです。

1985当時これを読んだとき、衝撃を受けざるを得ませんでした。
ドイツの大統領がこうであるのに、日本の歴代の首相で、戦後このように感じていた人は誰もい無いからです。あの当時でも、相変わらず首相の靖国参拝問題は、8月の問題の大きなひとつでした。
アジア近隣諸国においても、過去の日本の侵略に対しての忌わしさゆえ、首相の靖国参拝問題には、絶えず神経を尖らせていました。

改めて再々再度この演説を心に刻みたいと思います。

その後のヴァイツゼッカーにはいろいろ問題があり批判されていますが。
この演説に関しては、今読んでも、私の心に響きます。そして深く肝に銘じたいと思っています。
過去侵略戦争をして、近隣アジア諸国に筆舌に尽くしがたい虐殺、略奪、拷問、レイプ、人体実験(731部隊)、性奴隷(従軍慰安婦)、等等残虐卑劣な行為を犯したことを!


『荒れ野の40年』 (1985)    ヴァイツゼッカー

 5月8日は心に刻むための日であります。心に刻むというのは、ある出来事が自らの内面の一部となるよう、これを信誠かつ純粋に思い浮かべることであります。そのためには、われわれが真実を求めることが大いに必要とされます。

 われわれは今日、戦いと暴力支配とのなかで斃れたすべての人びとを哀しみのうちに思い浮かべております。

 ことにドイツの強制収容所で命を奪われた 600万のユダヤ人を思い浮かべます。

 戦いに苦しんだすべての民族、なかんずくソ連・ポーランドの無数の死者を思い浮かべます。

 ドイツ人としては、兵士として斃れた同胞、そして故郷の空襲で捕われの最中に、あるいは故郷を追われる途中で命を失った同胞を哀しみのうちに思い浮かべます。

 虐殺されたジィンティ・ロマ(ジプシー)、殺された同性愛の人びと、殺害された精神病患者、宗教もしくは政治上の信念のゆえに死なねばならなかった人びとを思い浮かべます。

 銃殺された人質を思い浮かべます。

 ドイツに占領されたすべての国のレジスタンスの犠牲者に思いをはせます。

 ドイツ人としては、市民としての、軍人としての、そして信仰にもとづいてのドイツのレジスタンス、労働者や労働組合のレジスタンス、共産主義者のレジスタンス――これらのレジスタンスの犠牲者を思い浮かべ、敬意を表します。

 積極的にレジスタンスに加わることはなかったものの、良心をまげるよりはむしろ死を選んだ人びとを思い浮かべます。

 はかり知れないほどの死者のかたわらに、人間の悲嘆の山並みがつづいております。

 死者への悲嘆、

 傷つき、障害を負った悲嘆、

 非人間的な強制的不妊手術による悲嘆、

 空襲の夜の悲嘆、

 故郷を追われ、暴行・掠奪され、強制労働につかされ、不正と拷問、飢えと貧窮に悩まされた悲嘆、

 捕われ殺されはしないかという不安による悲嘆、迷いつつも信じ、働く目標であったものを全て失ったことの悲嘆――こうした悲嘆の山並みです。

 今日われわれはこうした人間の悲嘆を心に刻み、悲悼の念とともに思い浮かべているのであります。

 人びとが負わされた重荷のうち、最大の部分をになったのは多分、各民族の女性たちだったでしょう。

 彼女たちの苦難、忍従、そして人知れぬ力を世界史は、余りにもあっさりと忘れてしまうものです(拍手)。彼女たちは不安に脅えながら働き、人間の生命を支え護ってきました。戦場で斃れた父や息子、夫、兄弟、友人たちを悼んできました。この上なく暗い日々にあって、人間性の光が消えないよう守りつづけたのは彼女たちでした。

 暴力支配が始まるにあたって、ユダヤ系の同胞に対するヒトラーの底知れぬ憎悪がありました。ヒトラーは公けの場でもこれを隠しだてしたことはなく、全ドイツ民族をその憎悪の道具としたのです。ヒトラーは1945年 4月30日の(自殺による)死の前日、いわゆる遺書の結びに「指導者と国民に対し、ことに人種法を厳密に遵守し、かつまた世界のあらゆる民族を毒する国際ユダヤ主義に対し仮借のない抵抗をするよう義務づける」と書いております。
 
続きます。 


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