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平成恐慌の序幕(3)<本山美彦>の注

2009-04-17 | 時事問題
先月3月7日の第223回現代史研究会 「『世界同時不況』-世界はこれからどうなるか、そして日本は…?」
と言うタイトルで本山美彦氏に講演をしていただいて以来経済動向がわたくしでさえ、ぐっと身近に、切実に感じられたものですから、氏のブログから転載しました。
注を読むだけでも、社会経済情況やシステムや用語の説明等さまざまなことが関連付けて解ります。膨大な資料からの検索、抽出、分析、精緻な仕事から導き出された論考、わたくしにとってもまた皆様方にとっても大変参考に、また勉強になったことと思われます。
皆様のご関心も高いようで、このような日記でもなく、ジャンルの限定もしない取りとめの無いブログにもたくさんの方々がアクセスしてくださいました。
ありがとうございました。
今や世界経済動向が直結して私たちの日常に跳ね返り、その結果困窮させられる事態になっていますので、今後も適宜氏のブログの転載をしていくつもりです。



(13) 政策金利のことを指す。政策金利とは、中央銀行が、一般の銀行(市中銀行)に融資するさいの金利のこと。

一九九四年九月まで民間銀行の金利は公定歩合と連動していて、日銀は公定歩合を操作することで金融政策をおこなうことができた。しかし、一九九四年一〇月に、民間銀行の金利は完全に自由化されたので、公定歩合を利用して民間銀行の金利を操作することはできなくなった。日本の景気は悪化し続けていたから、従来であれば公定歩合を下げて金利を下げるべきであったが、日銀は一九九五年九月から二〇〇一年二月まで公定歩合を下げず、〇・五%のままであった。

民間銀行の金利が完全に自由化された後、公定歩合を操作する代わりに、短期金融市場の金利(無担保コール翌日物の金利)を操作することで金融政策を続けた。短期金融市場は、民間銀行が借り入れをするのに通常用いる市場である。具体的には公開市場操作により、日銀が民間銀行から国債や手形を買い取る買いオペレーション(買いオペ)をして、金利を下げる操作を続けた。これにより、従来もっとも低い金利は公定歩合であったが、現在では短期金融市場の金利がもっとも低い金利となった。

現在の日本の政策金利は、無担保コール翌日物となっており、公定歩合は政策金利ではない。現在の公定歩合は、短期金融市場の金利の上限の役割を果たしている。日銀は二〇〇〇年八月にゼロ金利政策を解除したが、金融不安が高まるのを防ぐために、〇一年三月に、ロンバート型貸出制度を導入したのである。

ロンバート型貸出制度とは、金融機関が、日本銀行から公定歩合(基準金利)で短期資金を借りられるという制度で、金融機関の資金調達を、低金利で安定的におこなわせる仕組みである。ロンバート型貸出制度では、日本銀行は、金融機関の申し出に応じて必要額を、金融機関が予め差し入れた担保の範囲内で機動的に貸し出す。ロンバート型貸出制度は、翌日返済を原則とし、連続五日まで公定歩合での借り換え(ロールオーバー)が認められている。ただし、六日以上借りる場合には、公定歩合に二%上乗せした金利が適用される。http://www.findai.com/yogo/0197.htm
つまり、公定歩合は、いまでは、短期金利の上限になっている。

経営が不振な民間銀行は信用が低いため、短期金融市場で借り入れできなくなったり、借り入れできたとしても非常に高い金利で借り入れることになる。このことで金融不安を招く恐れがあった。これを防ぐために、担保さえあれば、日銀は制限なく民間銀行に公定歩合で融資をすることにした。担保があれば、民間銀行はどんなに高くても公定歩合の金利で借り入れが保証されるので、金融不安を押さえることに成功した。日銀は、この後、少しずつ公定歩合を下げていった。二〇〇一年九月一一日の米国同時多発テロ事件で金融不安が高まったために、日銀は公定歩合を、史上もとも低い〇・一%まで下げた。〇六年七月一四日に、〇一年三月より再実施されていたゼロ金利政策が解除され、公定歩合は〇・四%となり、その後〇七年二月二一日には、公定歩合は〇・七五%まで引き上げられた。

日本銀行は、〇六年八月一一日に「公定歩合」に関する統計の名称変更をおこない、今後は公定歩合という名称は使わず、「基準割引率および基準貸付利率」と呼ぶことを発表した(Wikipediaより)。

(14) 国際取引所連合とは、世界の主要取引所が加盟する国際機関で、国際証券取引所連合(Federation Internationale des Bourses de Valeurs=IBF)を改名したもの。欧州証券取引所連合(Federation of European Securities Exchanges,=FESE)を前身とし、二〇〇一年の年次総会で国際取引所連合に改称された。世界四七か国・地域の五六取引所が加盟している(二〇〇七年一〇月一五日時点)(Wikipediaより)。

(15) スロバキア(Slovak Republic)。首都はブラチスラヴァ(Bratislava)。北西にチェコ(Czech)、北にポーランド(Poland)、東にウクライナ(Ukraine)、南にハンガリー(Hungary)、南西にオーストリア(Austria)と隣接する。古代にはサモ(Samo)王国・モラヴィア(Moravia)王国として独立を保った期間もあったが、一〇〇〇年間少数民族としてハンガリー王国の支配下にあった。第一次世界大戦後、オーストリア・ハンガリー帝国(The Austro-Hungarian Empire)からチェコと合併するかたちで独立し、その後、いくつかの変遷を経て、一九九三年一月一日にチェコスロバキアから分離独立し現在に至る。スロバキアの語源はスラヴ (Slav) であり、これはスロベニアと同じである。そのため似たような国名になっている。

一〇世紀になるとマジャール(Magyar)人の侵入を受け、ハンガリー王国に組み込まれた。第一次世界大戦の終了と共にオーストリア・ハンガリー帝国は崩壊。一九一八年、独立運動の指導者トマーシュ・マサリク(Tomáš Garrigue Masaryk)は、単一のチェコスロバキア人国家として独立を宣言した。さらに、ハンガリーに侵入して北部ハンガリーのほとんどの地域をハンガリーから奪取した。これが現在のスロバキア国家の基本的な領土となっている。

一九三九年三月一四日、ナチス・ドイツ(Natis Deuche)によってチェコスロバキアが解体され、スロバキアは独立宣言。ドイツの保護国「スロバキア共和国(独立スロバキア国)」となった。

共産党体制下のチェコスロバキア(一九四五年~一九八九年)、そして、一九九三年、チェコとの連携を解消して(ビロード離婚、Velvet Divorce)、スロバキア共和国が成立。二〇〇四年、EU加盟国となった。〇一年の国勢調査による民族構成は、スロバキア人が八五・八%、マジャール人が九・七%、ロマ(Roma)人が一・七%、チェック人が〇・八%である。この他に、チェック人ではなくモラヴィア人、シレジア(Silesia)人としてのメンタリティを持っているもの、ルテニア(Ruthenian)人・ウクライナ人、ドイツ人、ポーランド人、クロアチア(Croatia)人がいるがその総数はおおよそ二%である。現代のスロバキアは比較的スロバキア人均一性が高い国民国家としての性格を有している。ただし現在のような民族構成がほぼ固まったのは第二次世界大戦以降である。ユダヤ人のコミュニティーも多かった。スロバキアのすべての町村にスロバキア語以外にハンガリー語の名があり、また多くの町がドイツ語の名前を持っているのはこのためである。

〇四年の調査によるとカトリックがもっとも多く六〇・三%を占める。次いで宗教的メンタリティを持たないものが九・七%、プロテスタントが八・四%、ギリシャ・カトリックが四・一%、東方正教会が四・一%等である(Wikipediaより)。

(16) 一九九九年一月一日のユーロ発足時は一一か国。オーストリア(Republic of Austria)、ベルギー(Kingdom of Belgium)、フィンランド(Republic of Finland)、フランス(French Republic)、ドイツ(Federal Republic of Germany)、アイルランド(Ireland )、イタリア(Republic of Italy)、ルクセンブルグ(Grand Duchy of Luxembourg)、オランダ(Kingdom of the Netherlands )、ポルトガル(Portuguese Republic)、スペイン(Kingdom of Spain)であった。〇一年一月一日、ギリシャ(Hellenic Republic)で導入、〇二年一月一日、ユーロ紙幣、硬貨が導入される。〇七年一月一日、スロベニア(Republic of Slovenia )で導入、〇八年一月一日、キプロス(Republic of Cyprus)、マルタ(Republic of Malta)で導入、そして、〇九年一月一日 スロバキアで導入。二〇〇九年一月一日現在、ユーロ圏は、一六か国(Wikipedeliaより)。

(17) 二〇〇九年一月一日現在、ユーロを導入していないEU加入国は一一か国。デンマーク(Kingdom of Denmark)、リトアニア(Republic of Lithuania )、ラトビア(Republic of Latvia )、エストニア(Republic of Estonia)、英国(United Kingdom of Great Britain and Northern Ireland )、スウェーデン(Kingdom of Sweden)、ポーランド(Republic of Poland)、チェコ(Czech Republic)、ハンガリー(Republic of Hungary)、ブルガリア(Republic of Bulgaria)、ルーマニア(Romania)。ユーロ導入した国としていない国を合わせたEU圏は、二七か国である(Wikipedeliaより)。

(18) 英政府は二〇〇八年一〇月八日、世界的な金融危機にさらされていた国内銀行への救済措置として、主要八行の一部国有化を含む、総額最大五〇〇億ポンド(約八兆八〇〇〇億円)の公的資金の注入に踏み切った。英財務省によると、この資金で政府が主要銀行の優先株を買い取るとしており、対象にはロイヤル・バンク・オブ・スコットランド(RBS)、HSBC、バークレイズ(Barclays)、HBOS、ロイズTSB(Lloyds TSB)、スタンダード・チャータード(Standard Chartered)、アビー(Abbey)、ネーションワイド(Nationwide Building Society)の大手八行が含まれている。同救済策ではまた、銀行間融資の流動性を確保するために、二〇〇〇億ポンド(約三五兆一五〇〇億円)の特別供給枠を設けた。http://www.afpbb.com/article/economy/2526306/3409266

(19) 日本でも人気が高い、高級洋食器、ウェッジウッドで知られるアイルランドの大手陶磁器メーカー、ウォーターフォード・ウェッジウッド(Waterford Wedgwood )が、〇九年一月五日、経営破綻した。負債総額は、四億ユーロ(五〇〇億円)を超えると見られる。ウェッジウッドは、二五〇年前の一七五九年に英国で創業、王室も愛用する「女王の陶器」として、世界的に人気を集めていた。一九八七年には、アイルランドのクリスタルメーカー、ウォーターフォードと合併したが、近年、売り上げが伸び悩み、負債が増加していたところに、〇八年からの金融危機が引き金を引いた形である。http://news.tbs.co.jp/20090106/newseye/tbs_newseye4032285.html

『ウォールストリート・ジャーナル』(Wall Street Journal, January 6, 2009)は次のように報じた。アイルランドの陶磁器・ガラス製品メーカー、ウォーターフォード・ウェッジウッドは、二〇〇九年に破綻した欧州企業の第一号となったが、同社が最後ではないだろう。スタンダード・アンド・プアーズ(S&P)によると、欧州企業が〇九年借換をおこなわなければならない社債と融資は五三〇〇億ユーロ(七三四〇億ドル)相当に上る。借換は引き続きおこなわれてはいるが、多くの企業にとって非常に大きな負担となるスプレッドがついている。政府債と非投資適格の社債の間の平均スプレッドは約二〇ポイント。ムーディーズ(Moodys)によると、スプレッドが一〇ポイントとすると、将来のデフォルト率は一〇%になる計算という(〇九年一月のデフォルト率は約四%)。

一方、利益率は大きな低下圧力にさらされている。アクサ(Axa)がおこなった直近の景気動向調査の分析結果によると、ユーロ圏の製造業者の業績で、〇八年末時点の実際の数字と三か月前の予想数字との差はここ二〇年近くで最大となった("Heard On The Street"より)。

紅茶販売の老舗として日本でも知られる英ウィタード・オブ・チェルシー(Whittard of Chelsea)が二〇〇八年一二月二四日までに事実上の経営破綻に追い込まれた。ウィタードは、一八八六年に創業、日本でも福岡市に直営店がある。

さらに、英国では、ヴァージン・グループ(Virgin Group)の映像・音楽ソフト専門店、メガストアーズ(Megastores)の店舗を二〇〇七年に引き継いだ「ザビ」(Zavvi)も経営破綻。
http://www.iza.ne.jp/news/newsarticle/business/retail/207669


(22) 非正規従業員とは、期間を定めた短期契約で雇われた人たちである。期間を定めない雇用契約を結ぶ正規雇用の対義語である。日本では、非正規従業員には、パートタイマー、アルバイト、契約社員、派遣社員が含まれる。

バブル経済崩壊後の平成不況では、コスト削減の圧力から正規雇用(フルタイム労働)である正社員の採用を抑制し、非正規従業員を増やすことで、業務に対応していくようになった。労働者数の推移をみると、一九八〇年代から雇用者に占める非正社員の比率は少しずつ増加していたが、一九九〇年代半ばから増加傾向が著しくなり、〇五年には約三割を占めるようになる。これは主に女子学生、中年女性のパート・アルバイトが増加したことと、男女(とくに女性)ともに派遣・契約職員が増加したためである。〇八年一~三月期平均データでは過去最高三四・〇%を記録し、三人に一人超を占めるようになる。また、〇八年版『青少年白書』では、一〇代後半の非正規授業員率は約七割と報告している。

欧州には、正社員と非正社員の均等待遇(同一労働同一賃金)が原則になっている。フランスは一九八一年、ドイツは一九八五年に差別的取り扱いを禁止した。EUでは、一九九七年にパートタイム労働指令が発令された。これにより、パートタイムを理由とした差別の禁止と、時間比例の原則を適用することとなった。フルタイムとパートタイムとで賃金が違うということがなくなったのである。

米国には、均等待遇という原則はない。これは、それぞれの雇用形態は企業と労働者の間の契約で取り決められたものだから、政府が法律で介入することはしないという考え方による。そのため、労働者が広域な労働組合を組織し、企業や地方自治体に待遇改善を図る方向で動いている。

韓国では、二〇〇六年一一月三〇日に国会を通過・成立した「非正規職保護法」がある。雇用期間が二年を超えた有期雇用者は無期雇用とし、派遣労働者は直接雇用とすること。非正規社員を、賃金・勤務条件で正社員と不当に差別してはならないといった内容。韓国では、一九九七年の経済危機をきっかけに非正規化が一気に進み、韓国の非正規社員率は五五%(二人に一人超)と日本の過去最高である三三%をはるかに超える高い状況だったこともあり、上記の法が成立したが、実際には非正社員が二年勤務の法実施の直前に大量に解雇される事例が増えている。平均月収八八万ウォン程度で暮らす若者を指して、「八八万ウォン世代(88만원 세대)」という語が流行語となるなど、ワーキングプアは韓国でも大きな社会問題である。

日本では、非正規雇用から正規雇用への転換については、制度自体がない企業も多く、制度がある企業でも適用例はさらに少ないのが実情である。また多くの会社が非正規雇用に対する差別や冷遇は当然という認識があり、正社員と同様の収入になる事は難しい(Wikipediaより)。


本山美彦氏のブログ 「消された伝統の復権」から転載
http://blog.goo.ne.jp/motoyama_2006