今月20日 河村たかし名古屋市長が南京大虐殺を否定する発言をしたことは大変残念で理解に苦しむ。加害者側の日本があれはなかったと言うのは、原爆投下を正当化するアメリカ以上に見苦しい。被害者数など検証すべきことについて研究会を共催したいというのであれば、慎重な手続きと配慮の上で進めるべきであった。南京の友好都市であるならなおさら気をつけなければならない立場である。
24日 外務省横井裕外務報道官は記者会見で「旧日本軍の南京入城後、非戦闘員の殺害、略奪行為があったことは否定できない」と述べている。
近年、南京事件やその他の件で日本はそんなことをしていない、と言った論調が雑誌、書籍などで頻繁に見られる著しい右傾化にわたしは驚いている。確かに厳密な検証を進めることに異論はないが、加害者側が声高になかったと喧伝することではないと心得たい。
参考
笠原十九司「南京事件 虐殺のその時とその後の人生 体験者27人が語る」2006年
笠原十九司「南京事件論争史 日本人は史実をどう認識してきたか」2007年
藤原彰編「南京事件をどうみるか -- 日・中・米研究者による検証」1998年
本田勝一、渡辺春己、星徹「南京大虐殺 歴史改竄派の敗北 -- 李英名誉棄損裁判から未来へ」教育史料出版会 2003年
沼野ブログ記事南京大虐殺事件記念館を訪れて
[続き 3/8/2012 facebook に投稿した文]
南京(虐殺)事件についてそこここに見られる否定論に憂慮しています。人数の問題から入って、残虐行為はなかったのでは、と進みます。しかし、本質は人数の問題ではなく、加害者側からなかったというのはおよそ誠意の欠如した姿勢ではないかと言うことです。原爆投下を正当化するアメリカ人に出会ったら私たちはどう感じるでしょうか。死傷者の規模を縮小して論じてきたらどうでしょうか。南京事件の場合、事実はどうだったのか。南京事件資料集が1992年にアメリカ側、中国側から出ており、それらの一次資料に基づいて歴史書が刊行されています。日本軍の加害証言も、また被害を受けた中国人側の証言もあって、虐殺事件の史実は否定できるものではない、と私は認識しています。(日本の国としての見解も同様。)そのような歴史を背負う我々の良識が問われていると遺憾でしかたがありません。(米国)Ldsもメドーズ山(MMM)虐殺について人数が遥かに少数であっても同じことが問われます。歴史を正視するのは自虐ではありません。自己責任と言うべきでしょうか。・・尚、第三者である西欧人の外交官、ジャーナリスト、宣教師などから本国への報告はもちろんありました。I regret the persistent move of negating Nanjing atrocity in Japan.
[続き 2]
東京大学教授 吉見俊也「戦後日本には、戦中のアジアへの侵略行為を忘れたいという社会心理があった。」(2012/09/04 朝日新聞 p. 13「高度成長とアメリカ」)
[続き 3]
東京大学教授 加藤陽子「日本人はドイツ人にくらべて、第二次世界大戦に対する反省が少ない、とはよく言われることです。・・日中戦争、太平洋戦争における中国の犠牲者は(数値は統計によって異なり、議論もあるものですが)中国が作成した統計では、軍人の戦死傷者を約330万人、民間人の死傷者を約800万人としています。さらに台湾、朝鮮、南洋諸島など、日本の植民地や委任統治領になった地域の人々の苦労も、決して忘れてはならないものです。」(「それでも日本人は戦争を選んだ」2009年、p. 389)
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名古屋の話をしてる場合やおまへんで!
最近人気絶頂の維新の会ですが、教育行政に関しては、いささか首をひねる言動が多いですね。
昨日こんな会が有ったのを御存知ですか?
安倍氏に、松井府知事、そして、あの八木さんですよ!
橋下(維新の会)頑張れ!なんて言うてると、後になってとんでもない方向に行くかもです。
http://kyoukashokaizen.blog114.fc2.com/blog-entry-153.html
国民を扱使っている政治家が目立つということは、
もっと扱使われることがこれから起こるか、または、
起こっているという解釈になります。
これから関西圏の住民はケツ叩かれて扱使われるのでしょうか?見ものですね。
中国人や、朝鮮人は、日本人のようにお人好しではありません。いろいろな意味で狡猾です。
日本人は彼らと渡り合うには、お人好しすぎます。バカがつくほどに。中国人とビジネスをしている人に聞けば分かりますよ。
ただ、衣食足れば礼節を知るで、中国も変わることを望みますが。
中国、日本、朝鮮が、経済的に結びつけば、世界でも強力な経済圏が生まれます。
それを、阻止したい連中が画策していると言うことです。中国も朝鮮も、まんまとそれに乗せられているわけです。
それを画策している人間たちが、遙かに狡猾だと言うことです。
東洋人は、彼らほど狡猾ではないと言うことです。
大阪の政治(家)について、英語で言えば
Wait and see. 様子を見る
と言ったところでしょうか。
国政について、国の指導者を短期間で変替え過ぎの傾向(癖)はやめた方がよいと言った評論家に賛成です。
日本人がお人よしであることは承知しています。もまれていないというか外国との交渉に慣れていなくて下手なのでしょう。負けてはならない、したたかでなければと思います。
しかし、偏見を持ってもいけません。粘り強く、相手の狡猾を乗り越えていくのです。中国人といっても皆個人個人で異なります。中国(人)はどんどん変わっていくことでしょう。追い越されます。
陰で画策する部外者たちがいるとしたら、「東洋人よ頑張れ」と言いたい。
しかし、それ以外に、粘り強い、しぶとい、などといった意味でも使われる。
最近は、「あいつはしたたかな奴だ・・」のように、「一見弱そうに見せて、実は強かった」とか、「一見損をしているように見えて、実は大儲けをしている。」と言った意味で使われている様に思います。
後に書いたような意味なら、日本の外交は「したたか」と言っていいのではないでしょうか?
本当に外交が下手なら、戦争に負けた小さな島国が、世界第二位と言われるほどの経済成長を成し遂げる事が出来たでしょうか?
アメリカとの貿易摩擦でも、何度も頭を打たれながらも、何とかやってきたし、中国に対しても、実利を取っているのではないかと思います。
正面切って喧嘩をするのが、したたかだとは思えません。
それと、どうも最近は、「したたか」と言うことが賞賛されますが、「誠実」とか「真面目」とか言うのももう少し賞賛されてもいいんじゃないですかね。
本当は豚さんの言われるように、誠実、真面目が一番よい方針(身上)で最善の策とも言われますね。それで進めながら、相手のどんな出方にも屈しないで目的を遂げるという姿でしょうか。望ましい姿勢は。
中国はまだしも、もう少し賢く売り抜けています。
日本はアメリカに首根っこを押さえられている状態です。外交などありません。
日本の政治家がアメリカに追従している限り、稼いだ金を吸い上げられ続けるでしょう。郵政民営化などその最たる物です。
今現在、世界が不況なのではなく、ヨーロッパとアメリカが不況なのです。それは金融に頼りすぎたせいです。日本がアメリカのポチで有り続ける限り、アメリカの影響を受け続けるでしょう。
それは、私には神の存在は認めるが、サタンの存在は認めないと言っているように聞こえます。
神殿でも、サタンがどういう存在か、社会にどういう影響を与えているか、漠然とですが知ることができます。
サタンがどういう風に社会を裏で動かしているか、教会員は、それについてある程度知る必要があると思いますよ。そうでないとだまされることになります。
例えば、911がアルカイダがやったなんて信じている人間は、私はバカですよと言っているとしか思えませんね。
自分の親を目の前で殺されたのを直接見たのに関わらず、殺人者が「私は殺していません。」と言うのと同然のような気がして、とても悲しく思います。
ですが、河村市長は何を根拠にそのような発言をしたのか、今の私には知る由もありませんが、気になるところです。仮に根拠があってのことであれば、人として市長として、勇気のいる言葉だったに違いないです。
今回のことで気になることが更に出てきました。
どれが真実なのか一瞬混乱したのですが心静かに考えると日本人本来の誠実さ、和、律儀さを考えると温かいものを覚え、涙ウルルンにしてくれた記事が目の前に飛び込んできました。今回の大震災でも窮地に立った時でも日本人の人柄の良さが見る事が出来たのは事実です。
以下がそうです。どれが真実なのでしょう?知りたいです。
「南京大虐殺」は捏造(ねつぞう)だった
南京の日本軍がなした多くの人道的活動
日本兵による犯罪は少数あったものの、
「大虐殺」はなかった
非道行為を行なったのはむしろ中国兵たちだった
日本軍の司令官・松井石根(まつい・いわね)大将は、
南京攻略を前に、「決して民間人を殺してはならない」
と全軍に厳しく命じていました。
http://www2.biglobe.ne.jp/~remnant/nankingmj.htm
中国の策略というか国策というか。。
有名政治家がこの問題に歴史の検証よろしく持論を展開することは
”政治”としてはよろしくないですね(--;
わたしは、この記事を通して、日本人の一人として新に「誇り」に思いました。それを知っただけでも十分だと思っています。誤解されたまま亡くなられた日本兵を思うと胸が痛みますが、彼らが残した誠実に敬意を払う気持ちを持つなら、中国に対して平和の心を持ち続けたい気持ちにさせてくれました。
アブラハム・リンカンが南北戦争の時に敵国との和平を求めていることに懸念した側近は「どうして、敵国との和平を求めるのですか。」の質問に、
伝説によるとリンカーンは「私が敵を滅ぼしていないとでも思うのか、敵との和平は敵を滅ぼすことではないか。」福音を知っている者として、主の教えにならう者として、このような時でもどのような態度を取ったら良いか、考えることも大切だと思います。私自身はまだまだの人ですが、主の側に立ちたい一人です。
コメントをありがとうございます。いつも変わらぬ人柄と信仰が感じられます。
ところで、この種の虐殺行為(atrocity, massacre)が行われた時、一般的に被害者の苦難が深刻で記憶も鮮烈で消えません。広島も沖縄もパレスチナ、イラク、アフガニスタン、ベトナムも皆同様です。加害者側は忘れたい、触れて欲しくない、記述を軽減したい傾向があることも共通しています。末日聖徒イエスキリスト教会にもありました。加害者の立場に立った例が。人数は一般的な上の例に比べれば遥かに少ないのですが、やはり massacre と呼ばれています。MMMと呼ばれます。Mountain Meadows Massacre.日本の教会員はほとんど知らない状態です。
温厚で親切な人物が満州にいたと聞いたことがあります。それは嬉しいことですが、それで中国東北の人たちが今も特に中高年の人たち全般が心の隅に持つ対日不快感・警戒感がぬぐえるわけではありません。わたしもそのような人たちの気持ちを何度かあらわに見せられました。
私が尊敬するキリスト教の長老古屋安雄氏がフィリピンへ行ったとき、やはり恨みを抱く現地の人に出会って返す言葉がなかったと語っています。われわれは多くのことを知らないでいるのです。
どうして二つの異なった見解があるのか、どちらを信じたらよいのか、それは美らさんほどの人であれば、読み比べれば自ずとわかるのではないでしょうか。私の記事にあげた笠原十九司さんの本に否定派の用いる手法が出ています。
中国がごく最近まで、愛国教育の名で日中戦争を背景としたドラマを放映して日本に対する敵愾心をあおり、政府に批判・不満が向かわないようにしたことは事実です。それももう終わるでしょう。中国人に余裕が出てきて、そのような感情をいつまでも持つことの無意味さに気づいてきていると私は観ています。
>有名政治家がこの問題に歴史の検証よろしく持論を展開することは”政治”としてはよろしくないですね(--;
そのとおりです。名古屋に期待感を抱いていたのですが、名古屋が私の心の中で地に落ちた。
日本が経済的に戦後早く立ち直れたのは、確かに軍備にお金を回さずに済んだ点がありました。
安全保障の点でアメリカに依存している状況は、独立国の姿ではないことに気付いています。時々何とも言えないやるせない気持ちになります。しかし、敗戦国の日本にほかに取る道はなかったように思います。
日本が独自の外交ができない、という点も大筋そうかも知れません。しかし、田中角栄が日中国交回復を実現させたとき、アメリカは意表をつかれて激怒したと聞きます。限られているとは言え、外交ができる余地は十分あると考えたいですね。
勝てば官軍よろしく、勝者に都合の良い歴史観になっています。
ホロコーストにしても、南京大虐殺にしてもです。
ホロコーストにしてもユダヤ人に都合のいいように歪曲されています。
ナチスのメンバーのほとんどがユダヤ系であったことをご存じですか。それが何を示すか考えてみてください。
歴史には裏があります。その裏を隠すのが勝者の論理です。歴史を学ぶとは、歴史の裏にある真実を知ることだと思います。学校やテレビでは教えないことを。
真実を知りたければ、テレビや学校や新聞なんぞにはありません。繰り返しますが、そこにあるのは勝者により歪曲された歴史です。事実ではありません。
勝者は私たちが考える以上に狡猾であると言うことです。上っ面の歴史などいくら勉強しても意味がありません。
現代の秘密結社は、モルモン書の時代などよりもっと強大になっていることを教会員は知るべきだと思います。
例えば、あるスポーツ競技を例にとってみたらどうでしょうか。表に現れない選手はやはり実力がないからです。表に出てくるものが厳として社会を構成し、動かしていきます。
それで、人は周囲の状況を知り、人生を社会を渡って行きます。暗部、不正に負けてはならないと思います。情報、ニュースという点で操作があり、全部でないことは承知です。しかし、あくまで法治、文明の社会を推進したいと思いませんか。・・人に先んじて仕組みや表に表れない情報を先取りされるなら、それは利点でしょう。無知な人に穏健な方法で知らせてあげてはどうですか。
ロムニー氏がもし大統領になったら、その危険性がありますね。直接でなくても、間接的には裏の社会に関わりを持つわけですから。
そこで教会員を維持しようと思えば、すぐにやめるか、暗殺されるかどちらかでしょう。ケネディのようにね。
私も日本兵が正しかったなんて思っていません。ただ勝者のほうがもっと狡猾で、もっと悪いと言うことを知っているだけです。
のんきに暮らす」ことのないようにするうえでどのような助けになるでしょうか
モルモン書教師用テキストからの引用です。
これは、人の心の中だけのことを言っているのではないと思いますよ。
サタンやそれに従う人間に対抗しようと思えば、彼らが何をしているかをある程度知る必要があるでしょう。政治においてもね。
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