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最近、国際政治でも国内、身辺を問わず、力は何で構成されるのだろうか、と思うことがある。物質的に言っても身体的な力から言っても、下降線をたどり始めている昨今(日本という国家も社会も)、この言葉はどうなのだろうと思っている。 . . . 本文を読む

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最近、著述家佐藤優の「新約聖書 I」(2010年)が後書きで書いている文を読んでいて、深い所で異なる二つの考え方があるという主張に注目した。それは、周囲を取り巻く情勢によって判断する、その場対応的な「情勢論」と思想や理想が底流に流れる「存在論」である。 . . . 本文を読む

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これは人類が古来ずっと直面してきた難問である。旧約聖書の知恵文学の一つヨブ記は正にこの問題を扱っており、科学技術が進歩した現代においても同じ深刻な問いがしばしば人々を当惑させ、茫然自失させている。ここでは1978年に著されたベストセラーと一人の実業家マリリン・タム(香港出身)の言葉を紹介したい。 . . . 本文を読む

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ずっと前に読んだ言葉で、不遜ながら少し同感を覚えたことがあった。少し長いが引用させていただくと次のような文である。これは哲学者宇野邦一(くにいち)が「群像」1991年9月号に寄せたエッセイ風短評の一部である。 「まだ読んでいない無数の本。それを数えることはできないから、確かに無限である。まだ生きていない有限の時。それは数えることができないが、確かに有限である。 . . . 本文を読む

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「歴史との対話」という言葉に接することがあるが、それは歴史上の人物や重要な出来事を吟味・評価し、また歴史上の位置づけを行なうという大切な作業を意味すると思う。 . . . 本文を読む

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本ブログの越本氏訃報で、彼が生前小説釈迦伝「異邦の予言者」を著したことに触れた。阿弥陀をキリストと見る考えは彼以外にも以前からあり、越本氏が最初というわけではない。この視点の可能性について少し調べてみた。 . . . 本文を読む

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東日本大震災後、日本を訪れ、「傷ついた日本人へ」(新潮新書 2012.4)というメッセージを残したダライ・ラマは次のように語っている。 . . . 本文を読む

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最近読み終わった本に次のような言葉があって目にとまった。 「周縁的な存在は、  中心を客観的に捉える立場を獲得でき、 . . . 本文を読む

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イタリア旅行からの帰途、機中で1.29付日本経済新聞を読んでいて次の言葉が目に入った。 . . . 本文を読む

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トルコの主席補佐官はNHKの番組「クローズアップ現代」の中でこう述べた。トルコ人は政教分離を重んじていると主張するが、それでもイスラム教徒であると自覚し、東西をつなぐ国の市民としてその意識も持っている。 . . . 本文を読む

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