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[佐藤優 同志社神学科修了]

最近、著述家佐藤優の「新約聖書 I」(2010年)が後書きで書いている文を読んでいて、深い所で異なる二つの考え方があるという主張に注目した。

それは、周囲を取り巻く情勢によって判断する、その場対応的な「情勢論」と思想や理想が底流に流れる「存在論」である。存在論は哲学用語からきていて、難しいが次のようにまとめることができるのではないかと思う。

まず、情勢論である。その時々の情勢に見合って提起され、その情勢の中で有効に機能し展開し得る考え方を言う。
 また、前の世代の考え方が時代や社会情勢とうまく合わなくなって、新しい考え方が生まれる場合、それがだんだんと浸透していくと、現代に合った考え方として受け入れられる。しかし、それはしばしば行き過ぎる傾向がある。社会に合った考え方というより、その考え方に合わせて社会を変えていこうとする。その際、考えることより行動することが先に立ち、暴力的になって先鋭化することがある。(この段落 iwatam 「世代論」より)。これも情勢論による思考のもたらす一つではないかと私は見ている。

それに対し、存在論を次のようなものと受けとめた。思想・主義また運動やある社会が存在するその基盤は何なのかを探ろうとする姿勢を存在論と呼ぶことができる。そのように考えるためには、常識の背後にある「見えないもの」、言い換えれば普遍的なものや本質を掴み取るようにしなければならない。置かれている状勢(力関係、利害、メンツなども含まれる条件)に左右されないで思考できることを指す。この思考は長期的スパンに基づく。

この二つの考え方は、どちらが正しくどちらが間違っているというのではなく、実際は両方の考え方が交錯しながら、社会は動いていると私は見る。双方とも用いられている。ただ、私たちは、情勢論で物事を見るのに慣れているので、本質を重視する存在論を忘れないよう気を付けなければならないと佐藤は述べる。なお、佐藤は情勢論と存在論について、柄谷行人「世界史の構造」を参照している。

参照、佐藤優(解説)新共同訳「新約聖書 I 」文芸春秋 2010年

[付]
存在論の術語的解説:さまざまに存在するもの(存在者)の個別の性質を問うのではなく、存在者を存在させる存在なるものの意味や根本規定について取り組むもので、形而上学ないしその一分野とされ、認識論epistemologyと並ぶ哲学の主要分野でもある。
「存在論」の原語は、ドイツ語でOntologie、ラテン語でontologiaであるが、この表現はギリシア語で「存在するもの」(存在者)を意味する「オン」(on)と「理論」を意味する「ロゴス」(logos)を結んで、17世紀初頭ドイツのアリストテレス主義者ルドルフ・ゴクレニウス によって作られたものである。・・、1930年後半以降に入り「存在論」の訳語が定着し、一般にハイデガーのOntologieに対する訳語として用いられることになった。

[付 2] 聖書学者の信仰、佐藤の信仰。「このような宗教(キリスト教)を信じるかどうかは、個人の趣味の問題だ。新約聖書を専門的に研究している学者でも、神の存在を信じていない人は意外に多い。私の場合、19歳のときにプロテスタント教会でキリスト教の洗礼を受けた。それから、イエス・キリストを信じることで救われるという私の確信が揺らいだことはない。」pp. 7, 8

[付 3] 「非常時になると実力のある者が上に立つ」p. 379



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コメント
 
 
 
人種と (バハマ)
2015-01-06 21:29:49
今日教会のホムペを見てみたら、特設ページで論文が掲されてました。 

この制限の根拠となったものは,ユタ準州内で黒人「奴隷」の合法化を主張するために使われた人種劣等性について広まった考え方を反映しました。9 合衆国で少なくとも1730年代に普及した一つの見解によれば,黒人は弟アベルを殺した聖書の中のカインと同じ血統だということでした。10 この見解を受け入れた人々はカインに下された神の「のろい」のしるしは,褐色の肌であると信じました。時として黒人奴隷は,父親に対するハムの軽率な行動の結果としてノアの孫のカナンに下された第二ののろいと見なされることもありました。11 しかしながら奴隷制度はユタ州の経済活動の重要な要素ではなかたため,ほどなくして廃止されましたが,神権の聖任の制限は残りました

正直に真実を伝えようという誠実は素晴らしいと思います。

しかし、人種差別を神からの啓示ではないと認めるなら預言者が謝罪しなければということになると思います。もっと現代に合わせれるようになるのでしょうか。
 
 
 
指摘に感謝 (NJ (沼野))
2015-01-11 00:15:05
教会のホームページに「人種と人権」の翻訳が出ていることをおしえていただきありがとうございます。

教会(高位の指導者)が謝罪すべきでは、ということですが、ときどきそれに近い表現が一部の指導者の口から聞かれることがあります。それを敏感に気づくようにするしかないのではと私などは思っています。

上の特設ページにある声明(英語ではessay)の中に微妙に見つかるかもしれません。
 
 
 
Unknown (バハマ)
2015-01-13 22:49:57
「今日,末日聖徒イエス・キリスト教会に関して非常に多くの情報が,疑わしい情報源や多くの場合不正確な情報源から出されています。教会はこの状況を認識し,2013年に多くのトピックに関する徹底的で詳細な論文を発表しました。」

と書いてありますが、実際には聖典に神権が与えられなかった理由は教会の歴史が一切明らかにしていない、と書き加えられたりしており、いままでの教会の対応でわなく反モルサイトが悪いことになっていて反省は感じられません。預言者はなにが間違っているのかわからないのだとおもいます。
 
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