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トルコの主席補佐官はNHKの番組「クローズアップ現代」の中でこう述べた。トルコ人は政教分離を重んじていると主張するが、それでもイスラム教徒であると自覚し、東西をつなぐ国の市民としてその意識も持っている。(東洋と西洋、先進と途上のいずれにも理解を示し、軸足を移すことができる)。結局、人はみな幾つかのアイデンティティを重層的に持ち合わせているのだと思う。私の場合:

*アジアに位置する先進国としての日本の国民
*政治・経済面で閉塞感に捉われている日本の住民(しかし所得は比較的高い)
*日本のキリスト教徒、中国のキリスト教徒(に理解)、日本の末日聖徒(それぞれふたつの文化)
*過去の保守的な面が時折り表に出ることもあるリベラルなクリスチャンなど、

いずれも複数の層で構成されるアイデンティティが時と所に応じてその個人を代表することがある。そして必ずしもそのことは矛盾している訳でない。

”Identity is multilayered.” Ibrahim Kalin, Chief Foreign Policy Adviser of Turkey.

[補] Frederic Martel 社会学博士
「私は男性で、フランス人、パリに住み、ジャーナリストです。生まれはフランスの南部で、もう信者ではありませんが、カトリックの影響を強く受けて育っています。こうした複数のアイデンティティの総体が私です。同じように誰もが複数のアイデンティティを抱えている。」

「ひとまとまりの言葉にアイデンティティを集約されてしまうことは、断固拒否したいと考えます。一つのカテゴリーに閉じ込められず、みな、複数のアイデンティティの海を自由に漂えることが大切です。」(「LGBTと「ローカル」の力」対談、「世界」誌2017年2月号)


コメント ( 4 ) | Trackback ( 0 )



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コメント
 
 
 
意見具申の場を頂き恐悦至極です (totoro)
2011-12-17 04:16:23
NJ様

前の記事に対する私のコメントにレスを頂いたので、お返事をしようと思ったら「コメントは受け付けておりません」になっていました。(笑)

せっかく「totoroさんは冷たい人なのですか」というお問い合わせを頂いたので、こちらのコメント欄を利用して返信とさせて頂きます。

私は温かい人間ですよ。(笑)ただし他者の平和に暮らしたいという権利を踏みにじる組織や人間に対してはとことん噛み付きますが。

残念ながらモルモン教会はそういう組織だったということです。

それからろくに調べもしないで「この教会は神の教会です」という人も同様ですね。

特にそれが二十歳やそこらの「若造」ならともかく、ある程度の人生経験を積んだミドルエイジは自分の発言に責任を自覚すべきだと思うからです。

ところでこの記事の「identityは重層的である」といタイトルですが、要約すると「その場その場でパーソナリティの使い分けをしなくっちゃならないことがあるよね?」と言っているように思えます。

しかしながら、モルモン教会がそのようなことを認めているのかといえば答えは「No」でしょうね。

NJさんは大学教授という立場から聖典や教会幹部の言動の矛盾もすでに理解されていると推測します。

だからこそ多元的なパーソナリティという考えに至ったのでしょう。

であれば私の「他者への抑圧をみせるもの」に対する嫌悪感については一定のご理解を頂けるものと愚行致します。

乱筆無礼





 
 
 
暖かいトトロさんへ (NJ)
2011-12-20 11:14:04
ここは主宰者のグラウンド、コメントには節度を心得てお願いしたいと思います。コメントへのコメントを含めて。

>他者の平和に暮らしたいという権利を踏みにじる組織や人間に対してはとことん噛み付きますが

モルモン教がそうだった。では初めからそう思う人は加入しなければよく、途中でそう思う人はその時点で去ればよいのであって、合うと感じて留まる人に噛み付くのはよくない。ことは信仰の問題だからです。

トトロさんの嫌悪感や立場は誰も抑制したり変更を迫ることはできません。思想・良心の自由だからです。
 
 
 
個人的経験とその範囲 (totoro)
2011-12-21 00:56:08
NJ様

レスありがとうございます。

>合うと感じて留まる人に・・・

同感です。
しかしながら、モルモン教会在籍中はいわゆる「証」を強要されるケースが多々ありました。

「自分が確信が持てない」あるいは「それが個人的な経験に過ぎないのか確証がない」場合にもです。

まるで「証を持てない者は信仰者として未熟者」という雰囲気がありました。

あるいは指導者や教会のポリシーに合わない思考に対しては「反教会的」というレッテルが貼られたりしていましたね。

少なくともNJさんやZOOさんはそのような経験があったから「独自のブログ」を立ち上げたのではと私などは推測していました。

ちょっと脇道に反れたようですので、閑話休題。

まあ、私が言いたいことは「きちんとした情報を提供せずに、改宗後にそれが発覚してから、出ていきたいならば出ていけば」というのはアンフェアだということですね。

それからもう一つ。現在の「伝道」方法では、モルモン教会内で「個人的な信仰の深化」を図るのは難しいということです。

現世利益の追求や個人のPRが教会内の基本方針化している状況では「聖書や神と個人的に向き合い、じっくり考える時間が得られない」からです。

このような状況は私の考える信仰生活ではありません。

NJさんはいかがお考えなのでしょうか。



 
 
 
浅薄な面があれば残念 (NJ)
2011-12-21 01:33:11
残念ながらそのような傾向があるのは、教派型伝道強調の外来教会に見られる特徴かもしれません(マレン著などの解説)。

それでも中には大変敬虔な、立派な人格者がアメリカ人にも日本の教会員にもいますから、個人の資質や信仰による面も大きいと思います。結局は個人が選ぶ生き方や聖典から学んで実践する姿が人となりや信仰を決めていくのではないでしょうか。それが教会(会衆)の雰囲気や運営に影響することもあります。
 
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