「沼隈郷土文化研究友の会」(略称:沼郷文研)と
「能登原公民館」主催の「健康ウオーキング」と兼ねて、
「能登原と平家ゆかりの地」を巡りました。
実施日:平成25<2013>年3月10日(日)9:00から
参加者:27名(内子供達7名)
(開会の挨拶)
(参加の皆さん)
(参加の皆さん)
午前9時からの開始には、天候も薄日が射し、絶好のコンディションで
能登原公民館⇒殿迫神社(とんさこ)⇒弓掛けの松⇒能登原公民館で一息入れた後、
(殿迫神社)
(殿迫神社の石柱)
(殿迫神社の石段)
(殿迫神社から加井城方面)
(殿迫神社から海後方面)
(殿迫神社から内海田島方面)
(殿迫神社での解説風景)
(殿迫神社へ行く途中の石仏)
伝源平能登原古戦場が見渡せる展望台へと移動し、本日のメインである
能登堂(のとんどう)へ全員登りました。
(展望所からの解説風景)
(展望所からの解説風景)
丁度、展望台辺りから雲行きが怪しくなり、能登堂(のとんどう)へ着く頃には、
とうとう雨が降り出してしまいました。
しかし、その雨も物ともせず、能登堂の解説を聞き、
その後に能登原公民館へ戻り、解散しました。
能登堂へ続く山道は、見た目より厳しく途中で一休みを入れる程でしたが、
子供達は、元気に先頭で登って行きました。
能登堂からの景色は、雨で霞んでいましたが、晴れば絶好の眺望が出来、
「口なしの瀬戸」が満喫出切るものと、思います。
また、この様な景色を見ながらの地元に残る歴史を学ぶ事が出来て、
一石二鳥の思いがしました。
参加された皆さん、大変お疲れ様でした。
なりますね・・・。
たくさんの伝説がありますが、
それを証明するようなものとか、証拠とか、
そういうものは全くないのでしょうか・・??
少し、長くなりますが・・・・
戦に敗れた場合には、先ず自分の過去の履歴あるいは、
職歴を消す事が生き残る道となります。
従って敗者にとって、記録に残す事は、「死」を意味し、
記録に残す事は出来ません。(特に武者の場合には敗者狩りなど)
では、どの様な方法で、今までの活躍や活動を伝えるか?
身内や同族への「口づたえ」となります。
この事が、「伝説・伝承」となって残る事に繋がることが考えられます。
古代においても、「口づたえ」は、それを「職」として
連綿と続いています。
その良い例が『古事記』です。(稗田阿礼の例)
『日本書紀』の場合には、各家の伝承を、国家の都合に合わせて、
「収受捨拾」し作成したものです。
従って、今までの戦の歴史は、勝者の記録を見ている事になります。
私達が「歴史を学ぶ」事は、表に現れない「隠れた史実」を
探し出す事であり、必要で重要なことです。
それらの作業を積み重ねて、新たな発見や知見それに思わぬ出会いが有る事が、
「知らない事を知る」喜びに繋がります。
この様なことでよろしいでしょうか?
知らないことでとても勉強になりました。
どうも有難うございました
流水さんのコメントを読んで思い出したのですが、文化財協会で歴史を勉強してみて、
学生時代に習ったことは歴史のほんの
一部分なのだと、最近思っていました。
それから、先日の会議で会長さんが、
窪田次郎が活動していたころ、当時は
笠岡の辺りは「民選だとか大変だと
言われていた」と、仰ったのが面白かった
です。今と逆の見方・・・当時の一般民衆と
逆の立場の方から言えば、改革・改革で
大変だったと思います。(苦笑)
かなり年配の方の中には、当時学校で習った
ことがそのままそこでストップされている方も
多々おられます。お話をすると、戦後の教育を受けた者から見ると「えっ!?」と思うことも
あります。
また、戦争中の米から見たいい方、
日本から見たいい方・解釈の仕方とか、
同じことでも立場による違いにも
気づきます。
これらのことから、
私が読むこと・見ることは、色んな見方の
一つの物の見方にすぎないとも言えることを
最近何となく感じていたところでした。
流水さんに敗者の生き残る道を教えて頂いて、勝者の立場から物をみている(記されている)歴史に触れて、これらのことがだぶって
思い出されました。
更に世界が拡がると共に、改めて自分が
感じていたことを認識することが出来ました。
どうも有難うございました
少しでもお役に立てれば、嬉しいです。
一点、お尋ねの件で残っているものですが、
「伝説・伝承で何か証拠は?」とお尋ねの件について。
「平家谷」や「伝源平古戦場」などを訪ねて歩くと、
地元の人達の話が、「活き活き」と話して下さいます。
まるで昨日有った出来事の様に。
また、山間の谷間に残る社や神社には、小さくても
「紙垂(しで)」が赤色で飾っています。
それに、私が始めて「平家谷」を訪れた時には、
その小さなそれぞれの社に「兵船の模型」
が数台奉納されていました。
その当時には、それが何を意味するのかが解かりませんでした。
只、「こんな山の中に何故船が?」と疑問に思っていました。
その様な疑問が積み重なり、今に繋がっています。
と言うような事で、解決になったでしょうか?
面白いですね・・・。
火のないところに煙は立たないというので、
ちょっと期待しています。
今度お会いしたときには、ぜひ鳳来さんの見解を
聞かせてくださいね。(笑)