沼隈郷土文化研究友の会

広島県東部に位置する沼隈町は古代より瀬戸内海の中央(ヘソ)に当たり、
その郷土からの情報発信です。

広島県史跡「草深の唐樋門」を校外学習しました!

2018年09月18日 | 歴史と文化財
 千年小学校3年生(1組・2組)が、「地元の宝物」の一環として、
「草深の唐樋門」を現地学習しました。(9月6日10:00~)

 講師は、福山市文化財保護指導員の上田晴士先生が、務められ解り易く
興味深くお話しをして頂きました。
 地元に残る歴史的な文化財を宝物として、お話しされとても勉強になり
ました。

 草深干拓の樋門には、棟札二枚により、江戸時代に構築された事が解り、広島県の産業遺跡として史跡指定されています。

 干拓地の土地を守るため、樋門が構築され、海水の干満時を利用し、
干潮時には、海水を干拓地より海へ流し、
満潮時には堰き止めて海水の進入を阻み、
干拓地を農地へ変える役割を、解説図を用いて、小学生に懇切丁寧に話されて、大変有意義な校外学習でした。

 地元に在りながら中々気付かず見過ごしてしまいそうな遺跡に目を向ける
小学生達の学習意欲に触れる思いがしました。


広島県史跡「草深の唐樋門」


図を用いて解説される上田先生


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8 コメント

コメント日が  古い順  |   新しい順
Unknown (小林良枝)
2020-04-19 12:10:56
唐樋門ってどうして県指定史跡になったのでしょうか?
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「草深の唐樋門」について (芦田 流水)
2020-04-19 13:47:15
小林 良枝 さま
おいでませ!!
広島県史跡「草深の唐樋門」の指定につきましては、「産業遺跡」として貴重であると認定を頂き、広島県産業遺跡として史跡指定を受けました。
その要因の一つとしては、まず「棟札」が2枚、残っていました。それは、「唐樋門」を修理した時の棟札で、元禄九年(1696)札と安永三年(1774)札が見つかり、更にこの様な遺跡は、広島県下に置いてここの一棟しか、残っていない事が、非常に貴重だ、と言う事で指定されたものです。
一時は、交通の妨げになると邪魔者扱いをされましたが、新しい道路が出来たおかげで、難を逃れ残ったものです。先人が残した技術で、海水の侵入を制御する機能を現地で確認して頂ければ、幸いです。
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Unknown (小林良枝)
2020-04-22 16:05:55
ありがとうございます。凄く勉強になりました❗️
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ありがとうございます! (芦田 流水)
2020-04-23 10:10:57
小林 さま

現在に残る、文化的な遺跡は、只単に残っているだけでなく、多くの人たちの賜物で残っています。
現在に生きている、私たちは、それを正しく引き継ぐ
事が、大切だと考えています。
これからも、しっかり学んで下さい。
未来は、君たちの肩に掛っています。
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Unknown (ポテト🍟)
2020-05-22 12:13:28
唐樋門の苦労話とかってありますか?
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唐樋門の苦労話 (芦田 流水)
2020-05-22 15:17:00
ポテト さま

「唐樋門」の苦労話については、

当時(江戸時代から明治・大正時代)は、潮の満干潮(海の海水が満潮・干潮)時には、唐樋門の樋門を上げ下げしなくてはなりません。
そのために、人が管理(対応)していました。そのため、潮の満潮干潮の時刻を間違えたり、遅れたりすると大変な事になります。
それが一番大変な事です。
時刻を間違えると、樋門が海水の力で、上げ下げが出来なくなり、干拓地(水田)が海水に覆われてしまいます。
全て、人の力で行っていました。
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Unknown (ポテト🍟)
2020-05-24 12:24:19
ありがとうございます✨地元新聞を作る宿題が出たので、図書館などに行こうと思ったのですが開いてなくて…。凄く助かりました❗️
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参考になれば、幸いです。 (芦田 流水)
2020-05-25 11:38:20
ポテト さま

何か、参考になれば、幸いです。

この様な状況なので、図書館にも中々行くことが出来ません。
もし、必要であれば、利用して頂ければ、幸いです。

判る範囲でお答え致します。

但し、歴史関係が中心ですが・・・・・
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