沼隈郷土文化研究友の会

広島県東部に位置する沼隈町は古代より瀬戸内海の中央(ヘソ)に当たり、
その郷土からの情報発信です。

「能登原と平家ゆかりの地を訪ねて」

2013年03月19日 | 歴史と文化財

「沼隈郷土文化研究友の会」(略称:沼郷文研)と
「能登原公民館」主催の「健康ウオーキング」と兼ねて、
「能登原と平家ゆかりの地」を巡りました。


 実施日:平成25<2013>年3月10日(日)9:00から
 参加者:27名(内子供達7名)


             (開会の挨拶)


             (参加の皆さん)


           (参加の皆さん)


 午前9時からの開始には、天候も薄日が射し、絶好のコンディションで
能登原公民館⇒殿迫神社(とんさこ)⇒弓掛けの松⇒能登原公民館で一息入れた後、


      (殿迫神社)


  (殿迫神社の石柱)


  (殿迫神社の石段)

        (殿迫神社から加井城方面)

         (殿迫神社から海後方面)


           (殿迫神社から内海田島方面)


           (殿迫神社での解説風景)


      (殿迫神社へ行く途中の石仏)


 伝源平能登原古戦場が見渡せる展望台へと移動し、本日のメインである
能登堂(のとんどう)へ全員登りました。


           (展望所からの解説風景)


          (展望所からの解説風景)

 丁度、展望台辺りから雲行きが怪しくなり、能登堂(のとんどう)へ着く頃には、
とうとう雨が降り出してしまいました。
 しかし、その雨も物ともせず、能登堂の解説を聞き、
その後に能登原公民館へ戻り、解散しました。


 能登堂へ続く山道は、見た目より厳しく途中で一休みを入れる程でしたが、
子供達は、元気に先頭で登って行きました。
 能登堂からの景色は、雨で霞んでいましたが、晴れば絶好の眺望が出来、
「口なしの瀬戸」が満喫出切るものと、思います。
 また、この様な景色を見ながらの地元に残る歴史を学ぶ事が出来て、
一石二鳥の思いがしました。


 参加された皆さん、大変お疲れ様でした。


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5 コメント

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伝説を証明するものは・・・? (飛天)
2013-03-22 01:22:55
やっぱり現地を見て歩くのが一番勉強に
なりますね・・・。
たくさんの伝説がありますが、
それを証明するようなものとか、証拠とか、
そういうものは全くないのでしょうか・・??
返信する
「伝説・伝承」の記録について (鳳来)
2013-03-22 23:44:31
飛天 さん

少し、長くなりますが・・・・

戦に敗れた場合には、先ず自分の過去の履歴あるいは、
職歴を消す事が生き残る道となります。

従って敗者にとって、記録に残す事は、「死」を意味し、
記録に残す事は出来ません。(特に武者の場合には敗者狩りなど)

では、どの様な方法で、今までの活躍や活動を伝えるか?
身内や同族への「口づたえ」となります。
この事が、「伝説・伝承」となって残る事に繋がることが考えられます。

古代においても、「口づたえ」は、それを「職」として
連綿と続いています。
その良い例が『古事記』です。(稗田阿礼の例)
『日本書紀』の場合には、各家の伝承を、国家の都合に合わせて、
「収受捨拾」し作成したものです。

従って、今までの戦の歴史は、勝者の記録を見ている事になります。

私達が「歴史を学ぶ」事は、表に現れない「隠れた史実」を
探し出す事であり、必要で重要なことです。

それらの作業を積み重ねて、新たな発見や知見それに思わぬ出会いが有る事が、
「知らない事を知る」喜びに繋がります。

この様なことでよろしいでしょうか?
返信する
面白いですね (飛天)
2013-03-23 02:45:07
わぁ!面白いですね
知らないことでとても勉強になりました。
どうも有難うございました

流水さんのコメントを読んで思い出したのですが、文化財協会で歴史を勉強してみて、
学生時代に習ったことは歴史のほんの
一部分なのだと、最近思っていました。
それから、先日の会議で会長さんが、
窪田次郎が活動していたころ、当時は
笠岡の辺りは「民選だとか大変だと
言われていた」と、仰ったのが面白かった
です。今と逆の見方・・・当時の一般民衆と
逆の立場の方から言えば、改革・改革で
大変だったと思います。(苦笑)

かなり年配の方の中には、当時学校で習った
ことがそのままそこでストップされている方も
多々おられます。お話をすると、戦後の教育を受けた者から見ると「えっ!?」と思うことも
あります。
また、戦争中の米から見たいい方、
日本から見たいい方・解釈の仕方とか、
同じことでも立場による違いにも
気づきます。

これらのことから、
私が読むこと・見ることは、色んな見方の
一つの物の見方にすぎないとも言えることを
最近何となく感じていたところでした。
流水さんに敗者の生き残る道を教えて頂いて、勝者の立場から物をみている(記されている)歴史に触れて、これらのことがだぶって
思い出されました。
更に世界が拡がると共に、改めて自分が
感じていたことを認識することが出来ました。
どうも有難うございました

返信する
少しでもお役に立てば・・・・ (鳳来)
2013-03-23 09:30:25
飛天 さん

少しでもお役に立てれば、嬉しいです。

一点、お尋ねの件で残っているものですが、

「伝説・伝承で何か証拠は?」とお尋ねの件について。

「平家谷」や「伝源平古戦場」などを訪ねて歩くと、

地元の人達の話が、「活き活き」と話して下さいます。

まるで昨日有った出来事の様に。

また、山間の谷間に残る社や神社には、小さくても

「紙垂(しで)」が赤色で飾っています。

それに、私が始めて「平家谷」を訪れた時には、

その小さなそれぞれの社に「兵船の模型」

が数台奉納されていました。

その当時には、それが何を意味するのかが解かりませんでした。

只、「こんな山の中に何故船が?」と疑問に思っていました。

その様な疑問が積み重なり、今に繋がっています。

と言うような事で、解決になったでしょうか?
返信する
どうも有難うございました!! (飛天)
2013-03-24 02:13:31
どうも有難うございました。
面白いですね・・・。
火のないところに煙は立たないというので、
ちょっと期待しています。
今度お会いしたときには、ぜひ鳳来さんの見解を
聞かせてくださいね。(笑)
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