対馬でカワウソが生息しているとのニュース!
うれしい。高知で「日本最後のカワウソ」が目撃された後、絶滅したとされているニホンカワウソであれば、さらにうれしい。
最高気温は 28.2℃(隣町アメダス)まで上がりましたが、市民プールへ行けるほどではありません。
庭で白菜の種播き用の土を調合しました。どんな土にすれば良いのか、まだよくわかっていません。ピートモス、赤玉土、堆肥などを適当に混ぜ合わせてみました。
音楽のメディアの勉強。今日はレコード会社です。
円盤型レコードを発明したエミール・ベルリナーは1895年、フィラデルフィアにベルリナー・グラモフォン社を設立、円盤レコードの事業に乗り出しました。
1897年には英国にザ・グラモフォン社、翌98年にはドイツにドイツ・グラモフォン社が設立され、ベルリナーのレコード事業は着実に進展します。
一方、エジソンのフォノグラフもすぐに撤退したわけではありません。
ベルリナーの会社設立よりも前、1888年にノース・アメリカン・フォノグラフ社という会社がつくられ、録音・再生機器の事業を始めています。この会社はエジソンのフォノグラフと、グラハム・ベルらが開発し、フォノグラフより性能の良かったといわれる蝋管型蓄音機「フォファグラフ」の両方を扱っていました。
同社は紆余曲折の後、コロムビア・フォノグラフ社となり、ベルリナーが創業した1895年には、英国、フランス、ドイツに支店を置いてエジソン型蓄音機の普及に力を注いだのでした。
しかし、円盤レコードの勢いには逆らえず、同社は1901年にベルリナーのグラモフォン社と協議して円盤レコードも出すことに方針転換(発売は1902年から)、結局、円盤レコードのメーカーとなってゆきます。
こうして、グラモフォンとコロムビアという2つのレーベル(とはつまりレコードの中心に貼るラベルのことです)が誕生します。
ただし、もうひとつ、ビクターというレーベルにも触れておく必要があります。
グラモフォン陣営の本家アメリカでの会社は、先に書いたようにベルリナー・グラモフォン社でした。しかし、子会社との内紛が起きて裁判沙汰になり、「グラモフォン」という名詞は普通名詞なので社名に使うことができないという判決が出たのです。その結果、1899年、ベルリナー・グラモフォン社から「グラモフォン」が消えてしまいました。
内紛の際、会社を去ったエルドリッジ・R・ジョンソンという人(グラモフォンのモーターを担当していた技術者です)が自分の会社を起こし、1901年にビクタートーキングマシン社と名付けます。
この会社が、結局は、ベルリナーのレコード事業を引き継ぎ、ヨーロッパの2つのグラモフォン社と提携することになります。つまり、ビクターとグラモフォンは同属会社なのです。それで、犬が蓄音機のラッパに耳を傾けるレーベルも同じだったりするのです。
以上、初期のレコード業界、2大陣営のまとめでした。