本を読んでいて、「なるほど」と思うことがありました。
辞書における「今(いま)」の説明について。
使われる場面によって広がりのある言葉ではありますが、ここでは、もっとも基本となる意味を。辞書では筆頭に出て来る説明です。
私がもっぱら使っている『集英社国語辞典』では次のようにあります――
- 過去と未来の境にある時。この時。ただいま。現在。
『広辞苑』(第一版)では――
- 現在。まのあたり。現今。
時々、参照する小中学生向けの『例解国語辞典』(三省堂)では――
- 現在の一瞬(いっしゅん)。
説明になっているとは、ちょっといいがたいところがありますね。同じことを言いかえているだけのような。しいていえば「過去と未来の境にある時」という語釈が、説明といえば、説明っぽい。
読んでいる本とは、国広哲弥『日本語を斬る』(研究社)なのですが(森下註:正しくは『日本語学を斬る』でした。わせいさんのコメントで教えてもらいました。)、国広さんによれば、このところ辞書の編纂者の語釈についての実情が明かされるようになったが、彼らは「意味論の理論的な基本を必ずしも学ばないで、日常的な感覚だけに頼っているために無用な苦労をしている場合がある」とのこと。その例として「今」「ここ」「右・左」が取り上げられています。
国広さんは、まず、「このような時間・空間・位置を表わす語の語義記述には、その使い手のその時、その場所が基準になる」。そこを押さえておけば簡単だといいます。
で、国広さんによる「今」の定義は――
- 話者が「いま」といった時。
「なるほど」と思いました。ただ、その一方で「それではミもフタもないような……」という気がしなくもありません。
これは「右・左」の説明でも同様でした。
国広さんは、この概念を、人の頭を上から見た図を示して、中央より「右側」を「みぎ」、「左側」を「ひだり」としているのです。人が自然に身につけた無定義習得語だから、これでいいのだとか。