電気羊に旅を

「東南アジア一人旅32日」からブログタイトルを変更。東南アジア・中国・ネパール・インドの旅日記あり。南米ネタを公開中

2006年2月27日(月) 再びサンチアゴ

2011年02月27日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャ・デル・マル
9:30AM頃 目が覚め、シャワー。朝食に再びガーリックトースト。
H口さんも起きて、朝から貝を醤油などで煮込んでいて美味しそう。まったりした朝食の時間を過ごし、パッキング。

12:00PM、チェックアウト。H口さんと?さんが玄関まで出てきてくれお別れ。H口さんはグァデマラで採ったという黒曜石をくれた。こういうのすごくうれしい。
宿の前の道で88番のコレクティーボに乗りビーニャの町へ(400ペソ)。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル
教会の前で降りる。まだ全然ビーニャの町を見ていないので、そのままバスターミナルに行くのではなく、少し町を散策。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル
広場の北あたりに行くと人だかりが。何かテレビの中継をやっているようだ。よく観ると、汐見荘にいたときに朝テレビでやっていた番組だ。毎日やっているのか今の音楽祭に関する番組なのかはわからないが、観衆は盛り上がっていた。

ぐるっと町を遠回りしてターミナルへ。
学割が使えると聞いていたCONDORの窓口へ。しかし学生証を見せるが首を横に振る。おかしいなぁ、チケットを購入し(3300ペソ←後で金額確認)、10分ほど待つ、バスの前に行き先と出発の時刻が出ているので分かりやすい。

1:15PM出発。

南米チリ・サンチアゴ
ぴったり2時間後の3:15AMサンチアゴのバスターミナルに到着。

南米チリ・サンチアゴ
ターミナル内の写真を撮っていると、小さい女の子を抱いた男性に声をかけられる。子供の写真を撮ってとのこと。最後に危ないからカメラを隠せとのこと。もう南米に入ってから二日に一度くらいの割合で地元民に言われるなぁ。

近くのメトロ(地下鉄)に乗り、Baqu?駅で降りる。
歩いて南にいき教会のところで右折。レストランJAPANの看板があるとなり、ペンション内藤。どこかの情報ノートに書いてあってそのメモだけを頼りに来た。
しかし、ドアは閉まっていて、叩いても反応無し。汐見荘で隣のレストランJAPANがここのホテルの経営者と聞いていたのだが今は昼休みで店が閉まっている。どちらの扉もなんども叩くが反応無し。
しょうがないので向かいのホテルNIPPONに行って聞いてみる。カウンターに一人日本人女性がいた。親切な人で、このホテルに泊まっている人でペンション内藤に泊まったことがある人(←多分)の部屋に内線で事情を聞いてくれた。
ドアにブザーがあるとのこと。そんなの無かったはずだが、と思いもう一度行ってみると、ちょうどドアから年配の日本人が出てきた。てっきり、ちょうどいいタイミングで出てきたので、さっきの内線の相手は実はこのオーナーにかけてくれて、そのオーナーが出てきたと思ったのだが、ただの宿泊客だった。その人に鍵を開けてもらう。

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ
中に入ると一人ドミトリーに日本人がいた。
彼にトイレの場所などを案内してもらう。なんだろオーナーがいないのに泊まっていいのだろうか・・・。外に出ようとするとまた別の年配の人がいて、鍵がないと不便だろということで、オーナーの娘(?)と話してくれて鍵をゲット。

一階がレストランJAPANという寿司屋、二階が家族が住むリビングなどや個室、そして余った二部屋をドミトリーとして貸し出しているという感じ。なんだか片手間に宿を経営しているのかな。壁の注意書きを見ると日本人しか泊まれない宿のようだ。

南米チリ・サンチアゴ
3:00PM、外に出て歩いて?の丘へ。

南米チリ・サンチアゴ
ここはあまり期待していなかったがすっごく良かった。門には立派な噴水。もともと砦の跡のようで多くの階段でどんどん上に登っていくことが出来る。頂上は小さな展望スペース。なかなか眺めがいい。

南米チリ・サンチアゴ
帰り際、噴水のところで遊んでいた子供たちが僕のカメラを見てニタニタするので近寄ってそばにいたお母さんに許可を撮ると快くOK。撮ったデジカメのモニタを見せるとむちゃくちゃ子供がうけていて楽しかった。

南米チリ・サンチアゴ
一時間この丘で過ごし、旧市街のアルマス広場の南のハンバーガー屋がたくさん並んでいるところへ。
ここの一軒でハンバーガー・ポテト・ジュースのセットを食べる。1470ペソ、安いなぁ。改めて国境の町サンペデロデアタカマで食べた4500ペソの料理が贅沢だったのが分かる。

アルマス広場のベンチでゆっくりする。汐見荘のM浦君が怪しげなCAFEのことを教えてくれたので、さっそくいっていたとおりの外観の店を発見し、中へ。ドアを開けたら薄暗い中にすぐに水着の美女がいてその周りでおっさん達がコーヒー(?)を飲んでいた。いまいちスペイン語が出来ない自分が堂々と入れる雰囲気じゃないのでやめた。

歩いて宿へ。
スーパーで水とビール(多分390ペソ)を購入。宿に一端戻る。オーナーがまだ帰ってきてないのは明らか。明日の朝早いのでそれの交通手段が心配だ。「地球の歩き方」にミニバスをホテルまでに迎えに来てもらうように手配するとは書いてあるが、どうせ英語も通じないだろうし、自分で電話するのは自信が無い。まだお金も払っていないので隣のレストランに行く。オーナーに会いたいが応対したのは日本語も英語も通じない従業員のおばさん(おそらくオーナーの奥さん)が応対。宿代は私に払ってといわれるが、空港バスのことがきになるので結局店の奥に行って寿司を握っていたオーナーに出てきてもらった。なにか淡白な人で空港バスについてきくと朝早いからバスがないのでタクシーしかないよなぁ・・・などと言われてしまう。まぁとりあえずそうしますと返事して、宿代をはらって外へ。

昼間対応が親切だった向かいのホテルNIPPONへ(ちなみにここのロビーを通る客は皆外人だった)。カウンターには日本人はいなかったが大きな体の男が英語が話せて助かった。
相談すると電話をして6:00AMに迎えに来てくれるように手配してくれた。宿泊客でもない自分に親切な対応をしてくれたし、チップを要求するそぶりもまったく見せなかったので、500ペソを渡す。僕が渡すとは思っていなかったのかすごくうれしそうにしていた。

安心して宿に戻って、ビール。
同室の日本人は昨日日本からサンチアゴについたばかり、今は12時間の時差があるので時差ぼけなのだろうか、僕が部屋に戻ると寝てしまった。

廊下に机(近くに電源あり)があるのでそこで日記を書いて過ごし、2:00AM頃就寝。


※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月26日(日) 一緒にバルパライソ

2011年02月26日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャ・デル・マル
9:30AM頃、目が覚め、シャワーを浴びる。外ではS根さんが覚えたてのギターを弾いている。

朝食にパンとヨーグルト。
朝からいい天気、宿のM本さん・M浦くん・H口さんと4人でバルパライソに行くことになる。全員が起きるのが遅めで朝食も皆10:00か10:30AMに食べたので12:00PMに出発し、お腹が空いたら向こうでエンパナーダなどを食べるなどしましょう ということに。

12:15PM頃、出発。海岸まで歩く。
天気がむちゃくちゃ良い。少しさびしげな海岸や町並みも今日は見違えて綺麗に見える。
大通りでバルパライソ行きのバスを捕まえる(400ペソ)。
昨日 歩いた魚市場をあっという間に通り越し、埠頭へ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
日曜日だからだろうかかなりの人でにぎわっていた。なにやらスペインっぽいダンスをしていたり。なにやら威勢のいい呼び込みで多くの人がボートに乗っている。

湾内の遊覧30分は1000ペソ(ちなみに少人数でのるボートは2000ペソ)。
次から次へとたくさんの客を乗せボートが出て行く、僕は消極的だったが、3人とも乗ろうかということになったので、列に並ぶ。
しばらくするとH口さんがやっぱりいいや、しばらくあたりを見ているよということに、M本さんもあとにつづきぬける。M浦君に再度確認すると乗りたいというので 一人だけにさせれないので自分は付き合うことに。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
小さいボートにたくさん人を乗せる。ちゃんとオレンジ色の救命道具をつける。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
最初はあまり気づかなかったが、湾内には軍艦や貨物船、ドック(船の修理などをする船)などたくさん見所があって充分楽しめた。


湾から遠くのバルパライソの坂の様子などがありありと観て分かった。軍関係のものは写真にとってはいけないということのはずだが、乗客は写真を撮りまくりなので自分も遠慮しない。
あっという間の30分だった。

船を上がるとH口さんが待っていて、軍艦にどれくらい近づきました?とか後で写真くださいなど。
彼は、汐見荘にある「沈黙の艦隊」を1巻から読み続けているので、かなり軍艦などへの興味が高くなっていたようだ。ちょっとボートに乗らなかったことを後悔しているようだった。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
まず一番古い建物がならぶ西側のソイマール(?)広場よりさらに西へ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
ここの名物アセンソール発見。かなり距離が長い。ここのアセンソールが有名なのか長い列ができていた。
10分くらい待っただろうか。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ アセンソール

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ アセンソール

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ アセンソール
乗客を乗せた広い4畳ほどの広さの箱が斜めにゆっくり登っていく。単純ことだがなかなか楽しい。登った先で料金徴収(150ペソ)。

出口を抜けるとほんの少し観光客用のショップが並んでいた。出たところの見晴らし台でしばらくゆっくりし。南のほうへ適当に歩いていこうということに。
なぜか皆僕に行き先を聞く、僕が今回皆をさそってバルパライソに行こうといった言いだしっぺだからか?

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
今日はすごく晴れていて明るいから それほど感じないが、やはり噂どおり少し治安は悪そうな気配はある。
昨日ネットの外務省のチリのページでも最近バルパライソで強盗被害などが多発しているので注意などと出ていたのもうなずける。そのために4人で来た甲斐があった。

二人姉弟と思われる子供二人と目が合ったので写真を撮ると非常に人懐っこく接してきた。H口さんが少しスペイン語が出来るので通訳してもらう。手を出しているのでお金が欲しいかと思ったら、日本のコインが欲しいとのこと。なぜか自分の財布に100円玉があったので見せてあげるが、微妙に100円は惜しいので見せただけ。いつも外国に行くときに5円玉を持って行こうと思っているのだが毎度忘れてしまう。
分かれても何度も遠くからチャオと手を振っていた。こういう出会いが楽しい。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
町の壁には、らくがきともアートともとれるペイントがたくさん描かれていた。
坂を降り、近くのメルカド(市場)へ。時間が遅いせいか市場自体はほとんどの店が閉まっていたが、二階のレストランが庶民の店っぽくて見ていて面白かった。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
外に出ると、なにか路上で魚とか貝をさばいていたおっさんにH口さんが捕まる。味見をさせられていたがまずかったようだ。
広場のそばの売店でパンを買って休憩。

南米チリ・バルパライソ アセンソール
再びアセンソールに乗り上へ。上にある青空美術館なるものを見に行く予定だ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ

南米チリ・ビーニャ・デル・マル バルパライソ
行ってみるが、うーんどこに?みんな壁の書きまで指差し「アートだねぇ」とみんな馬鹿にしたようにつぶやく。もっとアートエリアとしてしっかりしているのかと思ったが、違うのか?たしかに町のいたるところの壁にペイントがされている。なかにはおもしろいもの力作などがあったが微妙だなぁ。諦め、階段を下りていくと壁の穴まで利用したアートが。3人でポーズをつけてもらい、おバカ写真に。

町に戻り、スーパーで買い物。パタゴニアは物価が高いので買い込む。少し買いすぎたか・・・。バスに乗り宿へ。こういう宿でしりあった仲間と観光するのは楽しい。いい思い出が出来た。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル
宿に帰り早速パスタ。にんにく・マッシュルーム・クリームソース。フランスパンでガーリックトースト。フライパンでやったので見た目は良くないが美味しく出来た。宿のメンバーに食べてもらって好評だった。

部屋に戻り、まったり した後、リビングに行くと、皆寝てしまったらしくH口さんだけが沈黙の艦隊を一人で読んでいた。しばらく今までの旅のことなど聞いた後、彼がメキシコ(?)かどこかの日本人宿で日本の太平洋戦争について是か非かに2対2に分かれて討論をしたという話がきっかけで、僕とH口さんと一緒に戦後保障などについて議論がはじまってしまう。

H口さんは非常にまじめな人で僕の話も真剣に聞いてくれる。僕が読んだことある本も被っているのが多く話が合う。僕が今までの国でインディヘナの人がキリスト教の教会でお祈りをしている姿に関して違和感があるという話から、神や宗教についての話にまで議論が及び及び二人で延々討論、止まらなくなる。

結局4:30AMころ、ある宿泊客(夜型の人)が「まだ起きてたんスか?」と歯を磨きにリビングに入ってきたのをきっかけで議論終了とした。こういう話はなかなかできないので非常に面白く有意義だった。

全然眠くないが二人で部屋に戻り(同じ部屋)就寝。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月25日(土) ビーニャの魚市場

2011年02月25日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャ・デル・マル
7:20AM、今日 朝の市場に宿の4人と一緒に行く予定なので 起こしてもらう。

すぐに用意し出発。
バルパライソ方面にその市場があり、30分ほどの道のり。市場につくまでほとんど町を歩いている人がいない。土曜日ということもあるのだろうが、静か過ぎる朝だ。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場
住宅街を歩くコースで行き、市場に到着。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場
普通に外で魚介類をならべて商売をしている。中には水揚げされた状態のままボートの上で魚やイカを売っている店もある。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場
市場のおっさんも写真撮影には快く応じてくれ楽しい。

?さんが今回のメインとなるレイネッタと呼ばれる魚を購入。
すぐそばでチップを払い捌いてくれる。
H口さんはムール貝と名前のわからない貝を買っていた。女性のM本さんはカニを3匹買っていた。自分はホタテを買うつもりで行ったのに、市場に行ったらすっかりそのことを忘れていた。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル市場 エンパナーダ
30分ほど過ごし、市場をでるときに露店でおばちゃんがエンパナーダを売っていた。はじめ安い200ペソのものを買おうとしたら、よく観るとそれはチーズ入り。もう一つ400ペソの海産物入りのエンパナーダが看板に出ていたので購入。
貝が具に入っていて美味かった。食べながら宿に帰る。

M本さんが世界一周中でその写真を持っていた(外付HD)ので、ノーパソにつないで見せてもらう。南極の写真とか美しかった。
その間、Hさんがムール貝のバター醤油焼きをつくる。なんとスペイン語の「バター」と「ラード」の単語が似ているらしく間違えて買ってしまったらしい。だから正確にはラード焼きとなる。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
それが終わって、買ってきた魚をS根さんとM本さんとが準備。
S根さんが結構先頭を切って計画を立てていたし、この宿に居る期間も長いのでてっきり捌くのが上手いのかと思ったら、初めてとのこと。二人とも結構苦戦していた。

しばらくしたらS根さんのうわぁという声が。観ると寄生虫?か何かで白い1センチくらいの大きさのナメクジのようなものが魚の端から出てきた。微妙に動いている・・・。
うーん。切り身も現地の汚いまな板できっただけあって怪しげなので「水で洗いましょうよ」と提案するがS根さんは断固拒否。身が水分を吸って水っぽくなるからという理由だが、それよりも安心して食べたいのが僕の心情だが。
・・・とちょうど皿に盛り付けられたころ、宿に到着したばかりのM浦君が到着。一緒に刺身会となる。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
みんなそれぞれ醤油を持っている。僕もマイ醤油を出す。ちゃんとチューブのわさびを持っている人がいて使わせてもらう。
味は美味い。寄生虫を観ていないM浦君にも食べさせる。もちろん前もって虫の情報を与えインフォームドコンセントを得ておく。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
刺身を5切れほど食べただけのM本さんは持っていた味噌で魚を茹でて味噌スープを作る。虫を見てげんなりしていた彼女がそのスープのおいしさに饒舌に。
6人で刺身などを食べながら談話するが、3分に一度の割合で虫の話になるから面白かった。

自分は洗濯をして、外へ出てネットを一時間。

パン屋でいろいろ買い物。果汁のジュースのパック三つで1100ペソと安いので購入。パンも量り売りで1kg750ペソ(購入は210ペソ分)。
チリも買い物を工夫すれば安く済む。

宿に帰り、おやつとしてさっき買ったバターを塗ってパンを食べる。安いパンだがフライパンで少し焦げ目をつけて食べると充分おいしい。

部屋でDVD「義経」や「この夏は忘れない」を観るなどして過ごす。うーん、まったりし過ぎかも。

南米チリ・ビーニャ・デル・マル 汐見荘
7:30PM頃になったので、サンチアゴで買っていたトマトソース(といってもほとんどケチャップの味)とH田さんのムール貝を5つもらい、パスタ。
コンソメスープ・玉ねぎ・にんにくでソースにコクを出してみたりする。なかなかおいしく出来た。

宿のメンバーでおしゃべりし、自分の部屋で日記を書くなどして就寝。
たまには海外で何の観光もせず過ごすのもいいもんだ。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月24日(金) ビーニャデルマルの日本人宿

2011年02月24日 | '06南米旅行記
南米チリ・ビーニャデルマル
ゆっくり起床。シャワーを浴びる。
今日サンチアゴ観光にするか、ビーニャデルマルに行くか悩むが、サンチアゴはイースター島から帰ってきてからも観光できるし、いったん海鮮の町ビーニャに行くことに。

チェックアウトタイム11:30AM間際の11:15AMに宿を出る。
LosHeroes駅の地下鉄からバス停のあるUniversiad de Santiago駅に行き、ビーニャ行きのバスチケットを購入。
ターミナルの売店でエンパナーダを買い食べ、10分ほど待つバスが来た。なんというかチリは時間にしっかりしているし安心だ。
11:55AMバスに乗り、すぐ寝る。

1:40PM頃、ビーニャデルマルのターミナルに到着。
外へ出て歩く。町散策をしたいのは山々だが、今日は宿として汐見荘に宿泊する。そこは町から3kmほど離れている。「地球の歩き方」にAlvares通りから86、88番のコレクティーボに乗ると書いてあり、さっそくその道に行くが・・・そこは一方通行の道で汐見荘へ向かう方向とは反対方向。いいかげんな情報書きやがって。
反対側の大きな道に行き、86、88番のコレクティーボが通らないかしばらく待つが来ない。バスに適当に乗っても3kmほどの距離だと憶測で乗るわけにも行かない。

インフォメーションが近くにあるのでそこで聞いてみようということで歩き出す(今思えば宿に電話すれば良かったのだが)。
するとタクシー乗り場があり運転手が声をかけてきた。
宿の住所を見せると、すぐに分かった顔。いくらか聞くと何か数字をスペイン語で言っている。聞き取った数字が350だったのでそれを紙に書いて見せると「Si(イエス)」とうなずく。なにか怪しいのでバックパックをトランクには入れさせず、助手席に置く。車に乗ってサイド紙を見せて確認。彼はうなずく。

安心して乗り、7分くらいで到着。
到着して小銭でちゃらちゃら350ペソを渡そうとすると、彼のポケットから1000札を出し、違う違う3000ペソだという。あぁまたか・・・。さっき自分が書いた350を見せる。
するとペンを取り上げその下に3000を書く。さらにレシート(機械で出てくる紙)を見せてくる。強い口調(日本語と英語)で抗議で応戦。
荷物を強引に降ろす。すると運転手は逃げるように汐見荘の玄関に行きチャイムを鳴らす。
この宿は看板などをだしておらず外観は普通の家のよう。だが彼がここが宿だと知っているかのようだ、何回も来たことあるのか、それともただガイドブックを見せてつれてきているので宿だと判断したのか分からないが。
チャイムで少し運転手は中の人間と話、ひとり優しげな日本人の年配の方(宿のオーナー山岸さん)が出てきた。
運転手が彼に何か言っている。山岸さんに状況を聞かれ答える。彼はスペイン語で僕にもともと正規の値段を言ったんだ、と主張。
だいたい最初の接触からこちらがスペイン語わからないことは運転手は分かっているし、その確認で乗る前に紙に書いて確認したんだ。
自分は運転手に350の数字を見せしばらく抗議。
しかし、運転手は山岸さんにしか話そうとしない(スペイン語で話すので当たり前といえばそうだが)。
これから泊まろうとする宿のオーナーに迷惑がかかるのも嫌なので結局払った。運転手の態度からはじめからしらばくれるつもりだったのは間違いない。
しかし、悔しいなぁ。たかが日本円に直すと600円くらいなものなのだが、根負け。

南米チリ・ビーニャデルマル汐見荘

南米チリ・ビーニャデルマル汐見荘

南米チリ・ビーニャデルマル汐見荘
宿の建物は手前は普通の家のよう。奥が客室の建物で中庭があってマッタリ出来そう。共有スペースには日本の本がたくさんキッチンは狭いが必要なものはそろっている。
一通り壁に貼られている地図を見ながら、この周辺の説明を親切にしてもらう。

南米チリ・ビーニャデルマル

南米チリ・ビーニャデルマル
一息ついてから、町を散策。
さすが金持ちの避暑地。別荘らしきリッチな建物が立ち並ぶ。小さい八百屋とかパン屋とかもあっていい感じの町だ。
日本語が使えるというインターネットを宿でメモしておいたのでそこで二時間もネット。今まで読むだけはしてきたが久々の日本語で書き込むことが出来るのでブログの返事書きやmixiの日記更新、メールの返事書きなど。
パン屋でパンを購入。

南米チリ・ビーニャデルマル

南米チリ・ビーニャデルマル
一端宿に戻る。宿にいる日本人で明日の朝 市場に買い物に行く約束をする。ちょうど自分も翌朝行きたかっただけに楽しみだ。
しばらく宿で過ごし、夕焼け空になったので再び外へでて、今度は海沿いを歩く。

宿に戻ると8:50PMだった。日が長いので、まだ7時くらいの間隔だった。
僕を待っていたかのようで、すぐにリビングで翌朝の市場に行く予定を話し合いをした。
自分は夕食。サンチアゴで買っておいたたまねぎと宿にフリーでおいてあったコーンスープの元でスープスパ。

南米チリ・ビーニャデルマル
今日はここビーニャで大々的な音楽祭が行われている。それをサンチアゴで聞いていたが音楽祭という名前からなにかオーケストラなどのコンサートかと思ったら、世界中の多くの有名アーティストがスタジアムでコンサート。A-HAのTake on meなど 知った曲も。
しばらく宿の皆で観てから部屋へ。

部屋で同室の男性と宗教や神の話やら色々と熱く語り合い、結局寝たのは3:00AMくらいか・・・。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。

2006年2月23日(木) 中央市場でウニ

2011年02月23日 | '06南米旅行記
南米チリ・サンチアゴ
7:30AM頃目が覚め、シャワー。
一階にあるインターネットで30分ネット(150ペソ)。朝食抜きにしようかと思っていたが、朝食を買うために昨日行ったスーパーでパンと1リットルジュース(200+600ペソ)を購入。

南米チリ・サンチアゴ
テレビルームで食べながらノートパソコンで日記を書く。

11:30AMに昨日のメンバーで中央市場にウニを食べに行くという約束だったので、チェックアウトを済ませロビーにいた美鶴さんと合流。残りの二人は少し遅れてきて、出発。

南米チリ・サンチアゴ 中央市場
電車に乗り、駅を出てすぐの市場へ。中は思っていた市場というイメージとは違い、一階にはレストランの座席が広がるスペース。
日本人の自分たちを見ると皆「ウニ・ウニ」と声をかけてくる。しばらく一階の店などを見て、「地球の歩き方」に載っているDondeAugustoの客引きがきたのでそれにつれられ二階にあがる。

南米チリ・サンチアゴ 中央市場

南米チリ・サンチアゴ 中央市場

南米チリ・サンチアゴ 中央市場

南米チリ・サンチアゴ
美鶴さんがウニとライスを注文。由紀さんはアナゴ(?)のフライ。自分はPastel de Jaivaというカニグラタン。恵美さんは魚介類系の臭いがするところが苦手らしく気分が悪いのでなにも注文しなかった。
他の人の料理もつまませてもらったがどれも美味い。ウニにはちゃんとわさび(韓国産)と醤油付。たしかに美味いが量が多い。美鶴さんも量にはうんざりしていた。

南米チリ・サンチアゴ 中央市場
食べ終わって一階を観て回っているとやはり「ウニ・ウニ!」と客引き。安いという言葉を知らず、皆「No高い」を繰り返していた。なぜか日本に留学していたという甘い顔のチリ人女性がいて少しおしゃべり。

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ

南米チリ・サンチアゴ
外へ出て、モールを通って南へ。モールはもう本当に先進国という感じの風景。アイスを食べたりしながら歩く。今回、サンチアゴ館という日本人宿が安いとの情報を聞き皆で見に行くという目的もあった。

南米チリ・サンチアゴ
探し出した住所は、インターネット屋。おかしいとおもいつつ、カウンターの男に聞くと、日本語で書かれた宿の料金表を出してきた。どこにホテルがあるというんだ・・・?不審がる皆を見て、すこしネットの客を捌き、待たされた後、カウンターの横のドアをあける。なんで物置なんかこんなときに覗いているんだと思ったら、それが宿への入口。
階段があり登っていくと屋根裏部屋のような感じのところに日本の本がたくさん並ぶ。電子レンジテレビ・将棋などもある。奥が部屋になっていて窓が無い。ある部屋で電気つけて見せてというが点かない。
うーん、なんだこの宿は。何か税金対策で違法に営業しているんだろうか。なにか独特な空気というか怪しいというか。まぁ、ある意味面白い。話のネタになった。

外へ出て、ハンバーガー屋やピザ屋などがずらっと立ち並ぶ通りを歩く。どこも似たようなお店だが安いしすごくそそる。今度飯の時間にまた来たい。

南米チリ・サンチアゴ
南へ歩いて地下鉄に乗りTobalabaで降りる。その駅から歩いて日本語が通じる旅行会社アンデスニッポンツーリストへ。対応にあたってくれたのはかわいい女性だが声が小さく少し自信がなさげな人。パタゴニアの旅や航空券の相談をいろいろしたかったのだが、彼女はパタゴニアにいったこともないし、とにかく元気が無い・・・。チケットの値段はいろいろ見せてもらったが思ったよりずっと高い。由紀さんと恵美さんも日程は違うが同様の相談をしたかったようだが、いまいち消化不良。
一端 近くのラインチリオフィスに行ってさらに安い航空券が無いか確かめに行くことに。いったん駅の近くのマックで時間をつぶしていてくれた美鶴さんと合流し、一緒にオフィスへ。

相談すると、ここ4日間の出発では、サンチアゴ→プンタアレーナス往復422USDという金額。ちょっと高すぎ。
結局悩んだ末2月28日発・3月6日にサンチアゴに戻ってくるチケットを購入。322USDといわれて決めたがTAXがつくということで380.68USDに・・・。高いなぁ。いずれにせよ、どうせランチリのオフィスで買うならカラマなどにいたときに購入するべきだった。
これでパタゴニアまで余裕が出来てしまったのでビーニャでも明日から行こうかな。

4人でスーパーへ。由紀恵美二人組みは明日からイースター島なのでそのための買出し。美鶴さんはこのあとアントファガスタに行ってしまうが宿で9:30PM頃まで時間があるので一緒にワインでも飲もうと二人で話し盛り上がったが、そういえばグラスがない(宿にキッチンが無い)ので、購入は止める。かなり二人はじっくり品定めをして時間がかかった。

地下鉄で宿へ向かう。パタゴニアのバスのチケットを取りに由紀恵美二人組みはさらに地下鉄に乗りターミナルにいく。美鶴さんと宿に併設しているバーでワインで飲みながらおしゃべり。彼女はお酒が入るとすごく饒舌になる。短い期間だけ某通信社のバイトをやっていたようで少し裏話を聞けた。
それよりもけっこうエロ話で非常に盛り上がって楽しかった。女性からそういう話を聞く機会がないので本当に面白かったなぁ。

バスの時間なので9:30PMまだ話していたかったが切り上げ、地下鉄へ。暗いので駅まで見送り。駅のそばでちょうど由紀恵美に会ってちゃんと3人で見送ることが出来た。

宿に帰り、日記をつけようとノートパソコンをもって誰もいない静かなテレビルームにいくが、なんだか過去一週間の自分の旅の行程をみていたらイグアスにむりやりにでもいけたかなぁといろいろ地図を見ながらあれこれ後悔。
そうこうしていたら由紀さんが来て最後のお別れに来た。テレビルームの閉鎖時間なので廊下で少し話しお別れ。
部屋に戻り就寝。



※1チリペソ=0.2円として計算
※注)2011年にブログを更新してますが、コレは2006年の南米旅行記です。