のそのそ日記

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しゃべる話

2018-10-21 23:09:00 | ノンジャンル
 自分が十代の頃の口癖で、くだけた場所やプライベートなとこでの軽い会話の時ほぼ必ず語尾に「なんてね」をつけている時期がありました。
 強い主張ととられたくない、できれば喋らないでやりすごしたいけどそういう訳にもいかない、だからひと通り口にだした後で、言葉をボカすオマケをつけようとしていたんだろうな。

 今時のSNSで、つい語尾に!をつけて「言い切ったよ、次いこう次」って切り上げようとする癖とか、ちゃかしてるYO!追加意見は無いからNE!ってつけているのも多分同じ。
 何か作法を自分で作って、きちんとした文章の重さを取り除きたい、これは世間の意見じゃなくて私個人のハラの内の問題だと主張したいんだろう、と思う次第。

 水のように流れ去るSNSならまだしも、私はあとあと残ってしまう同人誌でもそれをやってしまっておりました。
 よく「昔の自分の絵を見るのが苦痛」ってあるじゃないですか。だけど絵が拙いのはもう仕方ないんだよ、順々に描けるようになっていくものなんだもの。

それよりも文章ですよ!もう自分が本に垂れ流した文章を読み返すのが苦痛でたまりませんよ!!

 ただ恥を忍んで数年分をイッキ読みして思ったんだけど、私は自分で自分の絵を好きだと思う事が悪い事だとある時期まで本気で思っていたな…と気がつきました。
 何か、できるだけ「今の自分の絵から遠くしないといけない」ってやってたみたいだ。いややっていました。なんでなんだ、と考えてもよくわからない…。
 手厳しい事をいってくる人もたくさんいたし、この絵が好きだと言ってくれた人もたくさんいたから、どっちにあわせるという訳でもなかったんだろうけど。
 多分、絵を描く事をはばかってたのがどっか影響してはいたんだろうけど、そんなに深刻に感じてもいなかったと思うんだけどな。なのでほんとに意味不明です。いつかわかる日がくるといいのう。

 それでしゃべりの作法に戻るんだけど、ひところ男性おたくの喋り方が妙に武士っぽく固い会話になってた時期があったじゃないですか。
 あれって
「自分の趣向はこれであります」「自分は別萌えの道をゆきます」「それは重畳」
みたいに、役の型にのっとったセリフに模して語ることで、お互い軋轢を回避しようとしてたんじゃないかな?…時々読解力不足の「俺を否定する気か」的流れ弾が飛んできても型のヨロイで最初の一撃はしのげる、みたいなノリなのかなーと。

 以前家人が頼まれモノのビデオをDVDにダビングしてた時、80年代末のYMOの方々のトークがあったんだけど、あの人たちですら
「なんて言ったりして」「とかじゃないのかなあ」「…だそーです」
って喋り方をしていたのね。要はアナウンサーのようにきっちりした喋りの訓練を受けてないミュージシャンが、放送の場で喋っていいのかっていう遠慮がはっきりあったのだ。
 そういう遠慮は、多分80~90年代の放送や出版のメディアを浴びて育った世代には、かなり濃く染み付いているんじゃないかと思いました。
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