のそのそ日記

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異世界もの

2020-04-13 15:28:00 | ノンジャンル
 友達の小説かきさんが、作品を書いてもファンタジーじゃないとそもそも相手にしてもらえないのが残念、としょんぼりされてました。
 だけど今もてはやされてるファンタジーは、現実とは違う世界環境を前提とするクラシックなファンタジーじゃなく、現実世界とほぼ同じだけど「自分」のスペックだけがなぜか爆上がりしているお花畑系ファンタジーだから、ちゃんとした話が書ける人が足を踏み入れちゃだめだー!とこっそり思っている派です。
 異世界ファンタジーが好きな派にはほんとにごめん。

 でも戦争とか闘争が始まったとき、自分は当然勝つ側殴る側とだけ思っているお花畑ファンタジーに浸かりすぎていると、基本的な見方が「常に強い者の味方」になってしまうと思うのね。
 自分が生まれ成長し暮らしてきた世界とは別の環境に放り込まれたとき、大方は適応できずにわりと早いうちに死んでしまいます、合掌。では物語にならないから、物語の作り手が影に日向に都合のいい救いの手を差し伸べてくれるから、物語は進む訳じゃないですか。あからさまなチート設定でなくとも、その都合の良さに無自覚でいられるのが、フィクションの楽しみだと思うのだ。

 それで現実にファンタジーのような大変な環境激変が起こったとき、チート世界になれた感覚で軽率な極論をぶっこいたりする人が絶対でてきちゃうやろ。

 ぶっちゃけ今のコロナ禍で、すぐにワクチンができる筈とか、罹患した人に対しての攻撃とか、不安な行動に出る人への批判とか、現場で働く人への差別とか。
 闘う相手は病原体であるはずなのに、殴れる相手を探して攻撃してしまうのは、どうしたって物事を簡略化して考える癖もあると思うんですわ…

不安なのはわかる、でも殴る相手は目の前にいるこの人じゃないって、何度も言わないといけないし、できれば不安が膨らむ前に具体的な話をもっとしていきたいと思うんです。
 チートファンタジーとは逆のことを。
コメント
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