Noriko-McLane Movie Blog

自分の見た映画の感想を気ままに綴っています。
ネタバレの可能性もあるので、まだ見てない方はご注意下さい。

僕の初恋をキミに捧ぐ

2011-12-12 | Weblog
僕の初恋をキミに捧ぐ
 (TV金曜ロードショー秋コレにて)

この映画の原作は青木琴美のマンガ。観る前は、大人が楽しめるものではないだろうと思っていたが・・・・・秋コレの中でこの「僕の初恋をキミに捧ぐ」が一番心に残った作品となった。ある意味、男と女というものを結構深く捉えているし、登場人物がみんな素直に本音で生きている感じがいい

逞(たくま)(岡田将生)は、心臓病で20歳まで生きられるかどうか。その主治医の娘が同い年の繭(井上真央)。幼い頃に病院の庭で遊んでいて二人は偶然知り合って小さいながらに結婚の約束を。
繭がお医者さん、逞が患者さん・・・という設定で遊んでいて、繭が逞に「パンツを脱いで下さい。」と言うところ。普通こんなこと言いますか?逞はどうするんだろうと思ってましたが、恥ずかしがってるだけでもちろん脱ぎません。ここちょっと注目シーンでした。この頃は、繭の方が断然お姉さん。

繭の父が逞の両親に逞が大人になるまで生きられないかもしれないことを告げているのを偶然繭と逞が聞いてしまう。この後、繭は逞に元気でいて欲しいと願うが、逞は繭と仲良くしていたいということばかり・・・・・・でも、まぁ、この辺のところはマンガなんだと思って見てたし、結構面白いと思ってた。

映画では中学生になってる逞と繭のシーンに。この辺はちょっと退屈だった。中学卒業の頃から、逞は自分と一緒にいても繭は幸せになれないと考えて、別々の高校に進むことに決める。レベルの高い全寮制の私立に合格。繭に対する逞のよそよそしい態度・・・繭はその意味もわからないまま・・・・・逞の高校合格を知り、自分も家庭教師に猛特訓してもらって2次試験で同じ高校に合格。

高校に入学した辺から、この映画面白くなってくる。男と女の行き違いや身勝手さなど、大人でもうなずけるし、なるほどと思ったり、そうかなぁ?と考えさせられる部分がたくさん出てきた。この作品では、逞の命に時間は限られているので(どちらかというと)繭が(気の強い性格ではあるが)逞に尽くして上げている部分が多いと思う。特に最後に近づくに連れてそれは顕著に現れている。

高校の入学式で、逞は初めて繭が同じ高校に来てたことを知る。それも、繭の入試の成績が良かったから繭が入学の挨拶を壇上で・・・・でも、繭は壇上で逞に向かって強い口調で一人この学校に行こうとしたことを責めるが、それは結局みんなの前で入学式に逞に告ってること。この辺のところ、繭はすごい。やるなぁまぁ、マンガだからと言えばそれまでだが・・・・

繭は、弓道部に入り弓を討つ姿はなかなか昴という同級生のプレイボーイが繭に夢中になって、繭のことをいつも’姫’と呼んで近寄ってくる。
一方、逞は同じ心臓病の照ちゃんの入院する病院にいつもお見舞いに行く。繭はこのことに妬いている。
繭は昴のことをきっぱりと拒み続けている。これに対して逞の方は照ちゃんにせがまれてキスをする。照ちゃんは明日死ぬかもしれない身の上。そんな人にお見舞いに行ったら「私はまだ誰ともキスしたことがないの。逞くんがキスしてくれたら、思い残すことなく死んでいける。」と言われたら・・・・・まぁ、仕方ないか・・・・とも考えられる。でも、繭の立場としたらどうかな?
それも、逞は繭に「俺、照ちゃんとキスした。」と告げるのはどうなんでしょう??こんなことわざわざ言わなくてもいいのにと思うけど。逞は繭にわかってほしかったのかなぁ?この時、二人はすごく険悪なムードだったし、もう別れるのかと思ったほどだった。逞のこの時の気持ちが、よくわからない。でも、逞自身も自分の気持ちがわからないから、繭にすべてをぶつけたのかもしれない。男の気持ちも複雑!

照ちゃんが亡くなって、逞がお墓参りに行くと言うので、繭もつきあうところ・・・・・・こういうところ、繭は逞を包んでると思う。普通に考えれば、嫌味のひとつも言いたくなるところだと思うけど・・・・・・

逞は、この後、昴に100メートル走を挑む。この場面では、私自身もハラハラ。100メートル全速力で走るって、死んでもいいからやるの?昴は、100メートル走に負けたら繭に一切近づかないと約束していた。
ここで、びっくり!逞が勝つんです!!(小さい時から心臓病で走ったことないのに勝てるのかな????まぁ、マンガやしな(*´∀`*))
勝った時の逞の心から満足して地面に寝転んでるところ、印象的!幸せ絶好調
二人の恋はしばらくうまくいくが・・・・・・

逞が倒れる。死ぬかも?残された道は早急に心臓移植すること。でも、ドナーとなってくれる人が見つかる可能性はゼロに近い。

年上の彼女ができて、寮を抜け出して彼女のところへ遊びに行こうとした昴がトラックにはなられた。脳死状態。
なんや、これやったら「孤高のメス」と一緒やん。出来過ぎや。昴の心臓を逞に移植するんですか?お決まりのパターンや。
と、思った。でも、全然違ってた。

昴はドナー登録をしていたので、昴の家族も初めは昴の心臓を提供することを承諾した。しかし、昴が脳死状態でありながら涙を流すのを見て、もしかしたら生き返るのではないかという希望を抱き、心臓の提供を断ってきた。医者が涙を流すのは、脳が働いてのことではなくて単なる反射なんだといくら説明しても無駄だった。繭は、頭を下げて頼み込むが、スバルの祖父は、涙ながらに「心臓は上げられない。」と言う。ここの場面、昴のおじいちゃん役の山本学、さすがの演技でした。
もし、生き返るかもしれないと思うんだったら、最後まで心臓提供は断ってほしいいと思った。もちろん、昴は死んでしまうと客観的にみればわかるのだが、家族の気持ちになれば、そうすることが当然だ。

逞は、もう死ぬかもしれないという時に突然元気になって、繭を無理やり連れて病院から抜け出した新婚旅行だと言って二人で一日中遊び回るこの日は、出会った頃に繭がいつもお願いしてた四つ葉のクローバーの神様がくれた最高のプレゼントだったのかもしれない。

岡田将生の雰囲気が、逞にピッタリだったように思う。
ウエルテル(「告白」の寺田良輝)と同一人物がやってたとは??

最後の繭が教会でウェディングドレスを着て骨壷を抱いて一人で結婚式をしている場面、蛇足です。
途中、逞が主治医(繭の父)に自分がSEXをしても大丈夫か?聞きに行くところ、逞は患者であり、娘が彼女であるという複雑な立場である主治医はどう答えるか注目でした。主治医の役である仲村トオルの演技には、繭と逞を温かく見守る愛が感じられた。

点数を付けるとしたら90点



孤高のメス

2011-09-28 | Weblog
孤高のメス
  (TV日曜洋画劇場)

2010年6月に公開の映画。当時見たかったがチャンスもないまま・・・今回TVで見られてラッキー
原作は、大鐘稔彦「孤高のメス」。作者自身が医者であり、脳死臓器移植を扱った作品。さすがにリアルに医療シーン、医療現場を描いているのかもしれない。でも、それだったら恐ろしいことに〜野本のような手術どこかでやってる外科医がいるか????

この作品は、看護婦(オペ看)の中村(夏川結衣)の息子、若い医者の弘平が母が急に亡くなったので田舎に戻ってきた。その時に母の日記(1989年にオペに記録や自分が勉強したこと感じたことが綴ってある)を見る。この内容が物語となっている。だから、視点と語りはオペ看の中村となっている。

まず初めの出だしが最悪、恐ろしい場面、野本(生瀬勝久)が手術をしているシーン。血管に次々を穴を開けてしまって血が吹き出してくる。野本は助手や看護婦に怒鳴りまくっている。こういう医療現場がある得るってこと?考えられません。
もう、ここのところ、気分悪くなりそうでした

この後、中村がクーパーなど手術で使った器械を消毒して片付けるところ。彼女は、こんな手術が嫌でたまらないというのはもちろんわかります。でも、器械の扱いあまりにも乱暴すぎませんか?・・・・と、私も思ってたところに当麻先生(堤真一)がやってくる。

当麻は、アメリカで移植手術を学んできたがそういうことをひけらかすわけでもなく、この地方病院で野本が大学病院から来たという権威の中で大きな顔をしていても、そんな病院の事情などどうでもいい!自分は平でいいです!患者の命を救うのが医者!・・・・・当麻は、どんどんと手術を成功させていく。中村は、今までこの病院では決して助けることのできなかった患者の命を救うことができたという喜び、自分もその手術のスタッフになれたという満足感でいっぱいになる

スクリーンで見ていても、当麻の手術は神業。こんな先生に手術してほしいいと思います。
でも、手術中に都はるみの演歌をかけるというのはどうなんでしょう??
ちなみに私自身が6年位前にちょっとした手術でお腹切ったときは、「好きなCDを持ってきて下さい。」と、言われて持って行くと、それを手術室でかけておいてくれました。なんと素敵な計らいだと思いました手術室の雰囲気というのは患者に伝わってきます。手術室でのチームワークもとても大切なことだと思います。

中村の息子の弘平はまだこの頃は保育園児なのですが、いつも中村が遅くに迎えに行くと泣いていた・・・・それが、当麻が来て中村が仕事が好きになると、同じように遅く保育園に迎えに行っても弘平は泣かずに待ってる 母が満ち足りると、子供にもその精神状態が伝わるんですね。

大川市長(榎本明)が肝硬変による食道静脈破裂で倒れる。家族は生体肝移植を望むが・・・・・生体肝移植とは、健康な人の肝臓の半分を患者に移植すること〜血液が適合する娘の肝臓では小さすぎる。もし、大川に移植するとしたら、娘の肝臓の3分の2を取らなくてはならない。それでは、娘の命の方が危なくなってしまう。

この時に、中村が親しくしている竹井先生(小学校の先生)(余貴美子)の息子のまこと君がトラックにはねられて救急車で病院に運ばれてくる。まこと君は脳死状態に。竹井が息子が脳死状態だと言われたと中村に語るところはとても切なく、竹井の悲しみが伝わってきた。「・・脳死状態は、植物状態と違ってもう目を覚ますことはないんだって。この子の心臓はあんなに元気に動いているのに・・手はこんなに暖かいのに・・」

竹井は、まこと君が困っている人を助けたいといつも思っていたから、彼の臓器を必要としている人に移植してほしいと当麻に頼む。しかし、当時の法律では脳死移植は認められていない。そのようなことをしたら当麻は罪に問われる。
当麻は「やりましょう」と。当麻の姿勢はどこまでも患者やその家族を見つめるもの。自分の名誉のため出世のため・・・というのは一切ない。この手術を法を無視してやろうと言うのも、まこと君の母、竹井の頼みだからであり、大川の命を救いたいからである。
病院にもまこと君の脳は全部が死んでいる状態、他の検査でも全脳死状態は明らかとなり、院長も承諾。(院長は常識があり、当麻のことを一目置いてる。)

ここで、事務長が野本に「止めるように言って下さい。」と言う。野本は、事務長の前だけいい顔をしているが、なんと逆に警察に通報。マスコミには大川市長から当麻に金銭の授受があったとデタラメを・・・なんという最低な奴!腕はない!患者の命をなんとも思わない!性格悪い!妬み、恨みで生きている!(+o+)いややぁ!!!
事務長も「失敗したらこの病院で二人殺したなんて言われかねない。」とか言って、患者よりも病院の名誉なんですね(-.-)

このことで、当麻が脳死移植をこの病院ですることがマスコミにもバレて大騒ぎに。手術の前に刑事が来て、当麻に「脳死移植をすれば、それは違反、後で罪に問われてもいいのか?」とか、まるで尋問のように偉っそうにいうところ・・・いやでした。手術の前にこんあこと言われたら精神的にダメにならない?と心配でしたが・・・さすが、当麻 刑事はちゃんとあしらって、その後、手術に・・・・・

まず、まこと君の肝臓摘出。当麻が竹井に「無事終わりました。汚れのない美しい肝臓でした。ありがとうございました。お役に立てるよう全力を尽くします。」と言うところ印象的でした。それから、大川市長の肝臓を取り出す。取り出された肝臓、見るからに汚い色でした。大川さんにまこと君の肝臓が・・・オペから8時間後にまこと君のの肝臓に大川市長の血液が・・・肝臓が鮮やかな色に・・・
そして、12時間後に手術終了。「皆さんのおかげで無事終了しました。お疲れ様でした。」と当麻。みんな拍手。このとき、中村はあまりの感激に涙してしまう。そして、音楽がラーラーララララーララ それから、画面が遅れて竹井が小学校で歌を教えてるシーンに!生徒たちが歌ってるのがラーラーラ・・・ここのところすごくよかった。竹井が、息子のまこと君の死は悲しいけど、最後ちゃんと困ってる人をまこと君が助けた!!そして、まこと君は大川市長の中で生きている!!と思って,前向きに進もうとしている気持ちがよくわかりました。

野本は倫理委員会にかけられることになって、まぁよかったです。

当麻は、脳死移植をする前から手術が終わったら病院を出ていこうと考えていたようで出ていってしまう。でも、当麻の考え方はこの病院のスタッフに受け継がれていたはず。それに、次に大学病院から来た医者も当麻ほどのスゴ腕は持っていなかったとしても野本のような人ではなかったと思います。

日記は、最後に当麻が中村に言った「君はすばらしいナースでした。」という言葉で終わっている。中村は、当麻の御陰で・・・当麻との出会いで自分も学ぼう、付いていこうと思ってすばらしいオペ看になれたんですね。自分をすばらしくかえてくれるような人に巡り会えるっていいですね。

弘平はここで日記を読み終わり、竹井先生に野菜をもらって行こうとする。そのとき竹井先生が「私も復帰した大川市長が建てた福祉会館でがんばってる。」と言うと、弘平が「みんな繋がってるんだ。」と。竹井が「弘平も」・・・というような会話がある。
この後、弘平がどこか地方に病院に医師として赴任していった日、院長室でしばらく待っている間に見つけたものが都はるみ全集のカセットと故郷の病院で当麻や中村たちスタッフがみんなで移した写真!
弘平くんは、当麻先生の病院で働くわけですね。確かにみんな繋がってる。ここのところ、ちょっと出来過ぎじゃないかな?まぁ、当麻先生と周りの人たちが作り出したシンクロが広がっていったと理解しましょう。
なかなか人間的なドラマであった気がします。地方の医療について考えさせられました。


 監督 成島出 
 脚本 加藤正人 
 
  点数を付けるとしたら 78点

シャンハイ

2011-09-03 | Weblog
シャンハイ
   (2011.8.29. 二兆シネマにて hurmitさんと)

1941年、太平洋戦争開戦寸前の上海を舞台としたサスペンスであり・・・それ以上に男女の揺れ動く恋を描いた作品とも言える。

当時のシャンハイには、アメリカ、イギリス、イタリア、日本、フランスのそれぞれの国が租界を置いていた。シャンハイという一つの街の中にいくつもの国が存在するようなそのゴチャゴチャした様子。中国に手を伸ばしてきた国々がにらみ合う緊迫感。映画が始まるとすぐに当時「魔都」と呼ばれたこの街の様子が伝わってくる。

米諜報員のポール・ソームズ(ジョン・キューザック)がシャンハイにやってくる。そして、親友の諜報員コナー(ジェフリー・ディーン・モーガン)とカジノで待ち合わせをする。このカジノでポールは美しい女性アンナ(コン・リー)に出会う。一方、ポールの待っていたコナーは、カジノへ来る前に恋人スミコ(菊池凛子)のアパートを出てすぐに殺されていた。

ポールは親友が誰に殺されたのかを突き止めようとする。
人が撃たれることは日常茶飯事・・・そんな上海の緊張感と賑わいの中で、コナーは少しづつ紐解いていく。

ポールが新聞記者としてドイツ領事館の夫人を頼って出席できたアンソニー・ランティン(チョウ・ユンファ)も出席するパーティー。ランティンは上海三合会のボスであり、コナーは彼を追っていた。
このパーティーで、ポールは日本軍大佐のタナカ(渡辺兼)を紹介される。そして、もう一人、ランティンの妻として紹介されたのはカジノで会ったアンナだった。アンナの本当の顔はレジスタンスのリーダーであった。アンナの父は南京事件を避難して日本軍に殺され、彼女はランティと結婚することで身の安全が保たれていたのだ。実はカジノでも他のレジスタンスと連絡をとっていたのだ。しかし、このことについて夫のランティンはこのころはまだ気づいてないみたい。

日本軍情報部のトップであり陸軍、空軍を掌握していたこのいかついタナカ!
このタナカが、ポールに「二度目の恋は燃える!」という話をする。この辺がこの映画全体の方向を決定づけてると思う。

一番驚いたことは、この映画の中で男たちは自分の好きな女のために必死でもがき、行動をしていることです。ポール、ランティン、タナカ・・・・・それぞれに自分に恋、愛に命を賭けています。結局、この作品はサスペンスというよりこの緊迫した状態の中で男たちは自分たちそれぞれの恋に必死だったというお話だったような気もします。それってすばらしい
私の周りの男性もこうあって頂けたらと思います。

アンナは最後までレジスタンスだった自立した女性だったことが語られています

アンナ役のコン・リーは45才とは思えない。赤い口紅を濃く塗ってるシーンでは貫禄なのか、ちょっと上品さに欠ける感じもあったけど、そうでないシーンではピュアーなお色気が感じられた。でも、ちょっとこの人はお尻がでかいらしいけど・・・・・映画の中では特に気づきませんでした・・・

スミコが出てくるのは、コナーと一緒にいるときの他はアヘン中毒になっているので、もう一つどういう女性か読み取れないし、ミステリアスな雰囲気だけが脳裏に残っています。アメリカと日本のスパイで、表向きは娼婦。タナカはスミコのことが本当に好きだった。だから、最後アヘン中毒であまりにも苦しんでいるスミコを見ていられずにポールの手を借りてタナカがスミコに注射をして殺すシーン・・・スミコがほんの短い時間苦しみから解き放たれてタナカに微笑む・・・ここのところ印象的でした。

1941年のシャンハイ、私には行くことのできないところだけど、この映画を見てちょっと垣間見たような気がした。

点数を付けるとしたら、92点







沈まぬ太陽

2011-08-28 | Weblog
沈まぬ太陽
(金曜ロードショー録画)

原作は、言うまでもなく山崎豊子の小説「沈まぬ太陽」である。
素晴らしい作品だと思って再度見た。社会派の作品としても評価は高いものだし、それだけでなく個々の心情、ケニアの壮大な風景など…素晴らしい文学作品を見事に映画化している。
日航ジャンボ墜落事故の後始末の映画としてだけ知っていたので、クライマーズハイを思い出して見るの気が重いなぁ!と思っていた。でも、この作品は面白い引き込まれるように見てしまう。

今、日本では東北で大震災がおこり、原発のことや被災者の人達のこと政府は真剣に考えてるんだろうか?という思いがこの作品と重なった。この時期だけに見るべき映画だと思った。(去年じゃなくて今年のアカデミーショー作品賞だったらよかったのにな。)

最初の場面は、事故を起こす123便にみんなが乗り込んでいくところ。そして事故に。

それから、時が20年以上さかのぼり国民航空の労働組合が会社と団体交渉をしているシーン。恩地元(渡辺謙)を委員長、副委員長は行天四郎(三浦友和)。組合員の八木和夫(香川照之)もがんばっている。彼らは労働条件の改善をしなければ空の安全はありえないことを訴えているのだ。パイロットの異常な激務、点検費用の削減・・・このようなことで空の安全はありえないことを〜
恩地たちは要求が通らないとストへ。会社側は、要求を飲むよりほかに手立てはなくはほとほと困っている。(・・・と、言っても、もともと無理なことをやらせてるのは会社側

また、123便事故後の安置所の場面に戻る。ここでは一つ一つの遺族の心境が語られている。

そして、再び1964年の冬。
事故当時から組合でがんばっていた頃からのふたつの時の流れが交互に出てくるのが良い効果。見ていて退屈しない。)
会社は恩地にこれ以上組合でがんばられたのでは不都合と考えパキスタンのカラチへ左遷。会社は「身から出た錆」とか言ってるが、それはないと思う。上の人たちがこんなにも自分の利益だけ考えて会社自身のことは考えてないなんて恐ろしい!なんと副委員長だった行天は会社側に付くことになる。組合はバラバラにさせられて、それでもがんばろうとする組合員にはまともな仕事を与えてもらえない。ここで特にひどかったのが八木への仕打ち。彼には全く仕事が与えられず支店の客の前で座ってるだけ。少しでも座り方がいい加減だと客の前で注意を受ける。まるで見せ物。(この八木の役、香川照之すごくよかったです。彼だからこそ出来た役!)

飛行機の中で皆平気で煙草吸ってるところ、時代を感じてしまいました。それからスチュワーデスの制服も懐かし素敵!特にミキ役(行天の彼女?愛人?)の松雪泰子スチュワーデスの制服がとっても似合ってました。

恩地はカラチに妻子も呼び寄せて、2年経ったら日本へ返すという約束を信じてなんとかがんばった。しかし、次はテヘランへという辞令が・・・・・
ここで恩地が、「ここで、会社をやめるわけにはいかない。それでは俺の矜恃が許さない。」と言ったのが印象的。彼なりのプライドと意地があったということだろう。この作品の中では恩地の気持ちはよくわかる。でも、今の時代としたら少し理解しにくいかもしれない。

1969年からはケニアへ。海外へき地たらい回しである。家族は日本へ帰ってしまうし、ケニアの支店は彼一人。原野で車を乗り回して、現地の言葉で原住民としゃべりケニアに国民航空を乗り入れできるように努力するが・・・(ここのところは、カラチ、テヘランと違ってワイルドでいい感じだった。動物が自然の中を悠々と歩いてる姿とか見てると、ケニアに行きたいた思うほど〜ここはさすが映像の世界映画バンザ〜イ
でも、娘から手紙が来て、自分が会社で悪いことをして左遷されたように言われ娘はクラスではのけ者扱いに、息子は全然しゃべらないし、妻はいつもイライラしていると〜その上、ケニア政府と国民航空tの交渉も打ち切りとなり、もうどうしていいかわからない恩地。しかし、このとき、ケニアの大きな大地、自然、太陽が彼を支えていた

再び、事故後遺族の世話係をする恩地の場面に。
国民航空の次期会長に抜擢されたのは関西紡績の会長、国見。(石坂浩二 へぇちゃんの関西弁なかなか!)国見は一度は断るが、「総理大臣からの頼みだからお国のためだと思って引き受けて欲しい。」という嫌な頼み方をしてくる。戦争中の話を持ち出して頼んでるのか命令してるのか?ここのところ、すごく嫌だった。

政府は最低だが、国見はすごい。まず、組合を統合して恩地を重要ポストにつかせようとするが・・・。恩地は、「自分はアフリカのサバンナの夢をよく見る。この会社は何も答えてくれない。自分がそのようなポストのついてはかえって会長に迷惑がかかります。」と弱腰。しかし、「組合をひとつにして絶対の安全を御巣鷹山に誓ってきた。」という会長の言葉に恩地もやろう!という気になる。
国見はすばらしい人だ。石坂浩二、適役でした。

国見が、会社のドルの為替予約・ホテルの買収が何かおかしいことを嗅ぎつけて、恩地がニューヨークまで調べに行くところ。
ニューヨークでの動物園のシーン印象的だった。恩地が動物園に行くと、スチュワーデスのミキもやってくる。「付けてきた・・・・・行天に恩地の行動を見張るように言われた。」と言うミキ。
恩地と行天が共に組合でがんばってたずっと前、行天は恩地のようにズバズバ行動できない控えめなタイプだった。そんな行天にミキは惹かれる。そして、行天の彼女(愛人兼スパイと自分自身言ってるが・・・)となる。でも、今は恩地と行天は敵同士のようなもの。恩地の方が真っ直ぐな道を歩いてることはミキも初めからわかってる。行天は、ミキに「事故の遺族者の名簿を手に入れろ!」と言っている。ホテルでこのことを頼む(命令?)時、ミキが恩地のことを良く言うと行天はミキを突き飛ばす。この行動許せない。恩地が、最後ナイロビに行く前に行天に「淋しい男になったな。」と言うが、本当にそうです。この言葉にたいして、行天は、「負けたのはお前だ。」と言うのが又情けない。
ミキは、123便の事故の日に行天とデートしたかったので、123便に乗るはずだったけど京子に代わってもらったのだ。それで、京子は帰らぬ人となった・・・・・・・いろんな思いをミキはこのニューヨークの動物園で恩地に打ち明けている。もう、今となってしまっては最悪の人間となってしまった行天のことをそれでも心配して捨てきれないミキの気持ちもよく伝わってきた。

この映画での影のヒーローは八木(香川照之)。実は、行天は航空チケットを横流ししてる。八木に命じて航空チケットを格安チケットショップに売りに行かせて現金に替えて、接待費をして使っているのだ。ここまで来たら漫画のよう。八木は従っているように見えるが、このことを検察に告発して自殺する。八木が自殺するので東尋坊へ行く前、恩地をわざわざ呼び出して組合で頑張っていた頃の写真を見せて「この頃の恩地さん輝いてました僕も少し輝いていた」というところ印象的。

この後、もちろん行天は捕まる。
しかし、国見が国民航空を一つ一つ正しい方向に修正しようとしていくことを国民航空だけじゃなくて政府関係者も煙たくなってきた。(恐ろしい!政治ってなんなんですか?)それで、今度は続けると言っている国見を無理やりに辞めさせる。
あ〜ぁ、これからまた会社はどうなっていくんでしょう・・・・(ー_ー)!!
そして、恩地はまたケニアに飛ばされる。でも、彼はこの時はむしろ大自然の営みの中に喜んで行くくらいの気持ちだろうと思う。

恩地と息子のやりとりが何度か出てくる。息子は小さい頃は海外僻地暮らしで友達もなくて嫌だったし、父がケニア単身赴任のときは家族の気持ちがバラバラに。しかし、大人になってから父の気持ちを理解して「もう、会社辞めたら?」と父がやめるはずないと分かっていて冗談を言ったりしていい奴。それから、娘の結納のシーンでの恩地はすごくよかった。実は、このシーンの恩地に一番惚れた

最後は、恩地がケニアから遺族の人に宛てた手紙で終わっている。この作品も中では遺族のことについても印象に残る箇所はたくさんあったが、これについては他の作品や実際のニュースなどでも誰もが多く目にしていることなので省くことにした。

渡辺謙、香川照之、松雪泰子、石坂浩二、三浦友和の他にも鈴木京香(恩地の奥さん)、西村雅彦(国航商事の名でニューヨークなどのホテルの支配人をやってる嫌な奴、八馬。結局、国見に辞めさせられる。この役ぴったりでした。)宇津井健(遺族)など、豪華メンバーの俳優さんたちの素晴らしい演技が見どころであったことは言うまでもない。

点数を付けるとしたら 99.7点







オカンの嫁入り

2011-07-17 | Weblog
オカンの嫁入り(DVD)

去年、この映画が公開となった頃に、「さくら色 オカンの嫁入り」(咲乃 月音著)を読んでたので、映画は本と又違ってるのかなぁ?と思いDVD借りてみた。

月子の母、陽子(大竹しのぶ)が夜遅くに酔って男を連れて帰って来る。そして、この人と結婚すると言い出す。この男、研二(桐谷健太)というのがなんと金髪のお兄ちゃん。月ちゃん(宮崎あおい)は、この急な展開にどう対処していいものやら????それに今まで、お母さんと二人っきりで信じ合って暮らしてきたのに・・・なんか裏切られたような・・・・・・

映画では、陽子や月ちゃんの背景だけが述べられていて、研二は料理店を一緒にやってたお祖母さんが亡くなってひとりぼっちになったと単純化している。
しかし、本では研二の背景はもっと複雑 研二はお祖父さんと料理店をやっていて、研二の友達に騙されヤクザに店を取られひどい目に会う。この部分は「さくら色 オカンの嫁入り」の中で結構印象的だったが・・・・・
とてものんびりしていて、「悪い人なんか一人も出てきませんよ!!・・・」という雰囲気のこの作品の中で、ヤクザが店に来て脅したり店をめちゃくちゃにしたり・・・最初はそれでも来てくれてたお客さんがだんだん来なくなる・・・・・ここでは、語りきれないなんか恐ろしさ、怖さを感じました。
映画では、こういう部分は、抜かしてホワ~ンとした雰囲気だけにしたかったんだろうと思いました

そして、(本では)しっかりとしていたお祖父さんがこのことで自殺。なんとか命だけは助かるが・・・・・とうとうお祖父さんが亡くなった後、研二も後を追おうとするが、お祖父さんの彼女のお陰で踏みとどまることが出来る。それから、研二はこのお祖父さんの彼女(この人は、お金持ちのおばあさん)の家でお手伝いをしながら暮らす。でも、このお祖母さんも亡くなってしまって研二は、本当にひとりぼっちになってしまう。
確かに本のほうが、寂しい者同志がくっついた!という印象は強かったです。(映画のほうは、陽子、月ちゃんの親子関係をメインにしたかったのかな。)

それから、本ではすべてが大阪弁で書かれてるところがちょっと変わってる。セリフの部分は、大阪弁でいいのですが、なんでセリフ以外も大阪弁なの??作者も大阪出身と言っても・・・・・ちょっと変わってる。まぁ、いいけど・・・・(これでは読みづらいという意見もありました。)

どうなるのかなぁ?って思ってたのは、月ちゃんと先生のベットシーンです。(と、いうほどのものでもありませんが・・・)
いかにも「小学生の皆さんも読んでね!」という雰囲気をかもし出しているこの本、急に月ちゃんと彼氏のお医者さんとがベットの中でしゃべってるシーンが出てくる。別にこれベットの中にしなくてもいいのちがう?と思いましたが・・・・・
本では、このお医者さんは、前に月ちゃんのお母さん(陽子さん)のことが好きだったけど、今は月ちゃんと真剣に結婚しようと思ってつきあってる。月ちゃんよりはだいぶ年上だけど、陽子さんよりはだいぶ年下の人なんでしょう。
でも、映画ではこの先生の役は國村 準。もちろん、月ちゃんと先生はつき合ってないので、ベットシーンもありません。先生が、陽子さんを好きというだけになっています。

國村 準さん、素敵な俳優さんです。好きです。口を大きく開けてしゃべらないところがいいそれがら多くを語らなそうなところがいい前にサントリー・オールドのCM、すごくよかった。私もパパとお酒飲みたい!

月ちゃんの家の大家さんのサク婆・・・・本を読んだ時は、もっと年取ったお婆さんらしいお婆さんを想像していました。役は絵沢萌子・・・と言っても、この人は1939年生まれなので72歳ですが、大阪のおばちゃんらしくてパワーがありました。月ちゃんが何かというとサク婆に頼ってくる気持ちがわかります。
サク婆の家の台所の流し、(セットだろうが)昔ながらのタイルで可愛い。

陽子さんは、自分が死ぬと言うことを研二だけに話しています、映画では。本では、だれにも話していません。だから、本読んだ時、自分が死ぬってわかってるのにそのことを言わないで結婚していいのかなぁ???と思いました。まぁ、マンガのような物語なので深く考えなくてもいいのでしょうが・・・・・・

映画の方が、母娘のつながりをより表現できていた気がしました。しかし、省かれている内容も多いために単純な物語がより単純になっていました。その分わかりやすいとも言えます。

宮崎あおいと大竹しのぶの大阪弁は、まぁまぁよかったです。他の共演者はみんな関西出身という中で方言指導も徹底していたらしく、さすがでした特に宮崎あおいの大阪弁はとても自然だと思いました

映画の最後のシーン、オカン(陽子さん)が白無垢着ているところ、月ちゃんは、「おかあさん、めっちゃ綺麗!」とか言ってますが、白無垢を着た大竹しのぶは綺麗ではありません。もうちょっとライティング考えるとか、レフ板で光らせるとかしてなんとかならなかったのかと思いました。(ひどいこと書いてたら大竹しのぶさんごめんなさい。)

点数を付けるとしたら 68点

悪人

2011-06-08 | Weblog
悪人
 (June 3th. 2011   DVDで)
今年の日本アカデミー賞で、妻夫木、深津がそれぞれ主演男優女優賞に、そして榎本明と樹木希林がそれぞれ助演男優女優賞に輝いた作品。授賞式のときに妻夫木は会場にはいなかったが、涙ながらに「俳優として個性がないと悩んだこともあったが、全身全霊を尽くしてのこの作品で受賞できて嬉しい」と語っていた。

公開中には見るチャンスがなかったが、この妻夫木の変身ぶりは是非見てみたいと思っていた。

この映画のキャッチフレーズ通りに「誰が悪人なのか?」ということを考えさせる作品である。

主人公の清水祐一は、長崎市郊外の漁村で祖母、祖父と暮らしている。小さい時に母に捨てられて、祖父、祖母(樹木希林)に育てられた。叔父の経営している建物解体工事の会社で解体の仕事をしている。携帯の出会い系サイトで知り合った佳乃を殺してしまう。
・・・・・よく考えてみると、祐一だけが悪いのか?

佳乃は、出会い系サイトで知り合った祐一とつきあっているが、友達には祐一のことは「肉体労働者だから~セックスだけはいいけど・・・」とか言って、実際はつき合ってもいない増尾というパッと見イケメン(私だったら、全然タイプじゃない!!)の大学生とつき合ってると言ってる。(この辺から佳乃って最低!)
祐一と待ち合わせしてた場所に偶然増尾が車で通りかかり、佳乃は祐一を無視して増尾とドライブに行く。でも、途中で佳乃が餃子を食べた後でニンニク臭かったので増尾の機嫌が悪くなる。もともと増尾は佳乃のことなんか何とも思ってない。
増尾はだれもいない峠の道路で佳乃を無理矢理降ろしてそのまま置き去りにしてしまう。(悪人というより、全く常識のない行為!)

祐一は、急に自分の前で他の男に車に乗って行った佳乃に腹をたてた。
当然だ。祐一の暮らしてる長崎市郊外から福岡までの結構な距離をわざわざ車走らせて来てるのに~
それで佳乃を乗せた増尾の車を追跡していたら佳乃が降ろされて置き去りに~
祐一は、優しく自分の車に乗るように勧めるが、佳乃は乗るどころか祐一に対して自分をつけてきていたことを責め立てて、もうひどい言葉を浴びせかける。その上、祐一にレイプされたと言いふらす!と言った。

佳乃にしてみれば、自分が想ってる増尾に完全にふられた・・・それだけじゃなくて、車から降ろされてこんなところで置き去りにされたのを祐一に見られて、もうどうしていいかわからなくなってるのか。それにしても、ここで素直に祐一の車に乗っていれば殺人もおこってない。(まぁ、それでは祐一も光代に出会ってないし、物語も始まらないど。)

佳乃は、悪人かどうか考える前に、まず人生にたいするこの浅はかな考え方をなんとかしないといけないのではないか。
でも、佳乃は悪人と言えば悪人。祐一のことを全く考えてない。祐一に自分を殺させるように仕向けたのは佳乃自身とも言えるのではないか。

増尾は、この後佳乃が殺されたことで取り調べを受けるのを怖がってカプセルホテルに隠れる。警察に見つけられた時の情けない様子!しかし、一端自分が犯人でないことを警察がわかってくれると、もう大きな顔をして友達に佳乃のことをめちゃくちゃに言っている。

増尾が、佳乃を置き去りにしなかったらこの事件はおこってない~このことを考えれば、増尾も普通の精神の持ち主なら自分もひどいことをしてしまったことを悔やむはず。
母親が湯布院の有名旅館の女将とかで、裕福な家庭に育ってるからこその心の歪みなのか。増尾が佳乃を殺したとも言えるかもしれない。この人こそ悪人かもしれない。

佳乃の父(江本明)は、久留米で理髪店を営んでいる。彼は佳乃が亡くなったのは、「おまえが、福岡で暮らすことを許したからだ。」と、最初自分の妻(宮崎美子)を責める。
佳乃の父は、増尾をスパナーで殴り殺そうとでも思ったのか、増尾が歩いているところに殴りかかる。しかし、若い増尾に反対に殴られてスパナーは出さないままに終わる。この後、増尾は、佳乃の父に殴られたことを全くの迷惑というようにバカにした笑いで友達に話している。この様子を見てる佳乃の父が、増尾の友達に
「あんたは誰か大事な人はいないのか。その人の幸せな様子を観ているだけで自分も幸せになるような人は。」と言う。そして、増尾に「娘を殺された父親の姿がそんなにおかしいか?」と。
増尾に殴りかかるために(殺すために)福岡に来た時に、佳乃の父は妻に電話をして、「おまえのことを責めたが、おまえのせいじゃない。今日は、何時になるかわからないが、やるべきことが終わったら帰る。」と言っている。スパナーを隠し持った佳乃の父には、相当に覚悟があったに違いない。しかし、彼は、結局増尾をスパナーで殴ることは一切していない。彼がスパナーを出していたら、法律的には悪人となっていたかもしれない。
江本は、このやりきれない、しかし分別ある大人だから馬鹿なことも出来ないこの父の持って行きようのない気持ちをみごとに表現していたように想う。

犯人である祐一は、又別に出会い系サイトで知り合って、前に灯台のことで話が盛り上がったという女性、光代と会うことになった。
初めは、佳乃があんな暴言を吐いたのだから~と殺したことに罪の意識をあまり感じてなかった祐一だったが、・・・・・何回か光代と会っているうちに罪の意識が芽生えて警察に自首しようとする。
このときに、祐一と光代はお互いになくてはならない人となり光代が二人で逃げようと言い出す。そして、最初にメールで話していた灯台に二人で隠れ住む。
祐一が、罪の意識に苛まれて、ガクガクふるえながら殺人のことを光代に話して、「光代ともっと早く会えばよかった~」と、いうシーン。また、最初は光代に対してとってもぶっきらぼうなのに だんだん優しくなって、灯台の中が寒いので光代の足を暖めてあげるシーン。・・・・・・そして、最後に光代の首を絞める・・その直後に警察に捕まるときに光代の手に少しでも触れたいと思って自分手を伸ばそうとする祐一。

祐一は、言うまでもなく殺人犯人。しかし、偶然あの場に居合わせてしまっただけ、(悪いのは、増尾?佳乃?)とも言えるかもしれない。最後は、光代に自分と一緒にいたことで罪をかぶらないようにという思いや光代のこれからのことなどいろいろ考えて、もう警察が入ってくると言う時に光代の首を締めたのだろう。
祐一のことだけを悪人というのはおかしい。

妻夫木くん、どのシーンもなかなかの演技でした。
第一この金髪が今までにない役ということを物語ってました。光代自身も「清水君のような人とドライブするとは思ってなかった。そんな髪の色の人とっていう意味!」と、出会った日に言ってた。

ただ一つ、解体屋さんだったら、もう少し胸板厚いんじゃないか。最初の辺で、祐一がお風呂はいる前のシーン見て思ったが、ちょっとこの華奢な身体で解体屋さんは無理かも。妻夫木が身体も鍛えてからやればもっとよかったかもしれないと思う。

祐一がなかなか捕まらないので、報道の人達が大勢やってきて、家の前で待機しているので、祐一の祖母は、困り果てている。祐一の祖父が入院したので、その病院へ行くだけでも報道の人達に捕まって大変。バスに乗るまで報道が大勢マイクを持ってついてくる。バスの運転手がやっと追い払ってくれる。祖母がバスから降りる時この運転手が「あんたは、何も悪くないんだからシャンとしなければダメだよ。」と声をかけるところ印象的でした。バスを降りてから走っていくバスに祖母はしばらくお辞儀をしてた。

祐一の実の母や光代の妹は、祐一と光代が逃げてるお陰でどれだけ迷惑してるかということばかり言ってるが、祐一の祖母はそういうことは一切言わずに祐一がどうして殺人を犯してしまったのか信じられない・・・と言った様子だった。

この祖母は、悪徳商法の詐欺師に騙されてしまうが、後で無理矢理取られたお金を返してほしいと言いに行くところは立派だった。(この悪徳商法の詐欺師こそ悪人!)
母が捨てた祐一を一生懸命に育ててきた祖母が祐一が捕まった後どうなってしまうか心配な気がする。

樹木希林にしかできない役。言うまでもなく味のあるすばらしい演技だった。

光代は妹と佐賀で暮らしていて、紳士服の店で働いている。彼氏は長いこといないんだろうなぁ。(傘をさしながら自転車をこいで仕事場から帰ってくる。妹とその彼氏が出ていった後の妹の部屋のベットが目に入ってきて襖をしめる。一人、おこたでミカンを食べてる。・・・・・彼女の寂しそうな生活がひしひしと伝わってきた。)
祐一と初めて会った別れ際に「出会い系サイト、遊びじゃなくて本気で出会いたかったんだ。ダサいよね。」と言う。次に会った時に祐一も「本気で出会いたかった。」と言う。寂しかった者同士、本当に出会って大切な人となる。
光代は、捕まる前に祐一が自分の首を締めかけた理由を分かっているんだろうと思う。
最後の場面で光代が佳乃が殺された場所にお花を持ってきて、タクシーの中で
「あの人は悪人。」と言う場面。殺人を犯してるのだからもちろん法律上悪人であるが、光代にとって祐一は今もほんとうに大切な人なのだろうか。
正直言って、この最後の場面はもう一つ何が言いたいことがよくわからなかった。

地味で彼氏がなかなかできないタイプ。深津自身がこういうイメージも持っていると思う。彼女は、第34回モントリオール世界映画祭でも最優秀女優賞を獲得している。

原作は、吉田修一氏著「悪人」。これを読めば、祐一、光代、彼らを取り巻く人々や家族の思いがわかるだろう。

点数を付けるとしたら 75点

ブラックスワン

2011-05-22 | Weblog
ブラックスワン
('Black Swan' May 14th 2011 マーさんと)
ナタリー・ポートマンが第83回アカデミー主演女優賞を受賞した作品
ということで、早く見たいと思ってました。

一言で言って、CMのイメージとは全然違う作品です。
これは、いい意味でも、悪い(と言うか邪悪的)意味でも。
純粋バレエ映画だと思って見に行かないで!
(逆に言えば、純粋にバレエのことだけを考えてるからこうなったのかも?)

映画の半分はニナの妄想、幻覚の世界のような気がしました。
バレイで主役を射止めたい、主役に選ばれたら今度は立派に踊らなくては!!
というプレッシャーがあまりにも大きくて・・・・
ニナはもうストレスに耐えられなくなっているのです
ここまでして、バレイをしたいものなんだろうかって考えてしまうほどです。

映画を見ていて、どこまでがニナ(ナタリー・ポートマン)の幻覚なのか真実のことなのかわからなくなってきます。
なんか、ヘンリー・ジェイムズの’ねじの回転’を思い出してしまいました。
(これも、どれが本当に起こってることなのか、どれが幻覚と妄想なのかわからなくなる物語。)


バレエ’白鳥の湖’の主演になるためには、
純粋な白鳥と官能的なブラックスワンの両方を演じることができなくてはならない。
模範的なニナの白鳥はすばらしい
しかし、ニナにとってブラックスワンを演じるということはできるのか

振付師であり監督のトマス (ヴァンサン・カッセル )は、ニナにブラックスワンの官能的な踊りをを求めてくる。
ニナはどうしてもこの役がほしくて、リリィ(ミラ・キュウニス)に取られまいとして、
トマスのところにお化粧をして頼みに行くところ
・・・なんかこのお化粧いかにも優等生のお化粧でしたねぇ。
トマスにキスされて舌を噛んでしまうところ!すごくピュアーに感じました。

この後の発表でニナが主役に抜擢される。
トマスは、自分の舌を噛んだニナを気に入ったんでしょうか?
それとも最初からニナを主役にしようと思ってたのかな?

主演に選ばれたら、又そのプレッシャーからいろんな幻覚が始まる。
自分が官能的にならなくてはならない!というプレッシャーに

ニナの母エリカ(バーバラ・ハーシー)は、元バレリーナで、ニナを妊娠したためにその夢を諦めて、
すべてをニナだけに託している。
ニナのことを構いまくって迷惑なママ。
   ~ちょっと、異常じゃないとまで思うほど~
「でも、本当はあんなにまで厳しい母親でもなかったのかもしれないよ。
   ニナの妄想でふくらんでいってたのかも?」
と一緒に映画見たマーさんが言ってましたが、確かにそうも考えられます。

ニナと対照的で、ブラックスワンを官能的に踊るリリィ
主役の座を得てからも彼女にこの役を取られるのではないかとニナはいつもビクビク。
ある時、リリィがニナの家に来て飲みに行こうと誘う。
ニナの母は、リリィを帰らそうとするが、
   ニナは母の態度がいい加減嫌になっててリリィと飲みに出かける。
このとき、リリィがドラッグを持ってて、
 ニナもグラスの中にもドラッグを入れられて飲んでしまう。
この後のことは、すべてがニナの妄想なのでしょう。
・・・・・・帰ってきたらニナの母親は怖い顔をしているが、ニナは平気で
 「二人とやってきた!」とか言って、
 それからニナの部屋でリリィとニナのとレズビアンのセックスシーン。
妄想、結構過激です!
でも、このシーンは見ていてしばらくは本当のことかと思ってました。
次の日にニナの母親がバレイの練習の時間なのにニナを起こさなかったので
 ニナは遅れてしまう。そして、ニナが遅れて練習に行くと、
なんと主役をリィイが踊っている。
でも、「代わりに踊れといわれただけ。」と、リィイはニナに囁いて交代する。
「昨日泊まった?」と尋ねると、リリィに笑われてしまうニナ。

ニナの被害妄想なんだと思います。
リリィは、ニナの役を横取りしようとしたわけでも意地悪しようとしたわけでもなく、
結構いい奴だったのかも。

しかし、ニナは、トマスとリリィがセックスしてる幻覚を見たり・・・・・
(これは、リリィがこっち向いて異常に笑ってるし、
  トマスの顔が恐ろしいお面をかぶった顔になるから、
     幻覚だって見てる側はすぐにわかりますが・・・・・)

初めから、ニナとそっくりでニナがホワイトならこの人はブラックみたいな人が時々現れて
ニナも気にしてるんだけど、道ですれ違ったり、何でもない時にあらわれたりして、
ス~ッと消えてしまう。
これも、ニナの幻覚でなりたいと思ってる自分だったのでしょう。

ニナが爪でかくからできる背中の傷。ここから、黒い小さな羽ねのようなものが出てきてたけど、
これは、ブラックスワンの羽だったのか??


とうとう、本番舞台発表のとき。
1幕で、白鳥のニナは男性の王子役のダンサーに受け止めてもらうのが上手くいかず、
トマスにも怒鳴られてしまう。
このことで、ショックを受けて・・・・・
楽屋でリリィに「2幕めのブラックスワンは私に踊らせて!」と言われて、
とうとう鏡の破片でリリィを殺してしまう・・・・・これは、もちろん幻覚。
(しかし、このとき、ニナは、鏡の破片で自分を刺してしまっていたんですね。)

ニナは、リリィを殺してしまったと思いながらブラックスワンを踊ったのでしょうか?
すごい!だから、迫力ある踊りができたのかも。
もう、ニナのからだにはブラックスワンの毛がはえてきて、腕は真っ黒な羽に・・・!
もう、ニナはブラック・スワンになりきっていたんですね。
・・・・・・と、言うか~これって、ニナの幻覚ですね。
だって、本当にこんなことおこらないものね。
(ニナが主役になったパーティーの後、トマスを待ってる時に
ニナがそこにおいてある銅像に見入ってるシーンを思い出しました。)

この2幕目の後、舞台の袖でニナがトマスにキスをするシーン。
これが、もうちょっと官能的にキスならよかったのになぁと思った。
このキス、なんかすごく純粋なキスで、キスをしてもらったトマスの笑顔も
「かわいいキスをありがとう!」
 みたいな笑顔に感じられた。

最後、ニナの白鳥が自殺する前に観客を見渡すシーンの顔、
ニナの母親エリカにそっくりでした。
なぜ?
今まで映画の中で一度も似てると思ったこと無かったのに。

確かにナタリー・ポートマンに主演女優賞を上げるだけの作品です。
それから、この幻覚、妄想は、そりゃぁ15R。

最後、みんなの拍手の中で死んじゃうのかなぁ?

点数を付けるとしたら、81点
(’ナタリー・ポートマンのブラックスワンへの変身!よりも
       どこまでが幻覚?と思って見るのが面白かったです。)

RED

2011-05-01 | Weblog
RED
 (2011.3.1.百条シネマにて)

RED! Retired Extremely Dangerous : 引退した超危険人物

CIAを引退して年金受給者として生活しているフランク(ブルース・ウィリス)。
彼の退屈な生活の中でのお楽しみは年金課で彼の担当をしてるサラ(メアリ=ルイーズ・パーカー)と電話でおしゃべりすること。

CIAでフランクの上司だったジョー(モーガン・フリーマン)は、今は老人介護施設に入ってる。
余命を宣告されているが、女性の介護士のお尻を見るのを楽しみしてる日々。

マーヴィン(ジョン・マルコビッチ)も同じくCIAを引退。
彼は、武器や弾薬に囲まれて奇妙な生活をしている。

お気楽に、しかしめっちゃ退屈!な生活をしてる彼らをある日CIAが狙った。
このことから、3人は、元スパイのヴィクトリア(ヘレン・ミレン)や イヴァン(ブライアン・ユックス)とともに元のスリリングな生活へ逆戻り!!

最初に狙われたのは、フランクだった。
電話でいつも話しているサラも狙われるかも??
そこで、サラも仲間もような状態に!ちょうど、サラも年金課のお仕事が退屈で嫌になってたところ。
それに、年金もらってるジイサンかと思ったけど、フランクはなかなか強いし、頼もしい~とサラも思ったんでしょう。

ストーリーとしては、最初はウィリアム(カール・アーバン)というCIAの若い捜査官が彼らの命を狙っているのだが、最終的にはウィリアムはREDの味方となり、一緒に政界と癒着している軍需産業の社長をやっつけるというお話。


この映画で一番かっこよく見えたのは、ヘレン・ミレン扮するヴィクトリアでした
仲間を助けるためにバズーカ砲をぶっ放すところ、さすがです
今も名スナイパー
ヴィクトリアとイヴァンは、昔は恋人同士だったんだけど~お互いアメリカと旧ソビエトのスパイ。
命をねらい合った仲でもあり複雑。
でも、ここで彼ら再会して仲良くなってしまいましたが、これからどうなるんだろう?
なんだか、素敵な大人の恋に思えました

途中、モーガン・フリーマン扮するジョーが死んでしまったんだ~
   と思ってたら、あっ生きてたんだ!~というところが2度ありました。
さすがに余命を宣告されているため死を恐れない危険な80歳と言われているだけのことはあります。

マービンの豚のぬいぐるみから武器を出した撃ちまくったり、
ジジィと言われながらも敵の撃った弾に自分の撃った弾を命中させるというスゴ技!!
このユニークなキャラ、ジョン・マルコビッチにぴったり、とってもよかったです

言わせて頂けるなら・・・・・・・・
ブルース・ウィリスが年金をもらって毎日退屈に暮らしてる役?!
今回の役も元CIAとして活躍するからいいんだけど、・・・・
まだ、56歳なのに。
ブルース・ウィリスのファンであるだけに~

それに、若い彼女と最後は上手くいく・・・というこのお決まりのコースも
(メアリ=ルイーズ・パーカーは、そんなに若くないけど、いかにも若い感じで演出してると思う。)
今回は、ちょっとなぁ

点数を付けるとしたら67点

英国王のスピーチ

2011-04-02 | Weblog
英国王のスピーチ'King's speech'
  (2011.3.30.百条シネマにて)

第83回アカデミー作品賞に輝いた作品
また、コリン・ファースが主演男優賞をデヴィッド・サイドラーが脚本賞を受賞
それだけのことはある作品でした。
今のエリザベス女王の父ジョージ6世の実際のお話。
ユーモアーたっぷりに着色していることは言うまでもない。
演劇的な感じのするの作品だった。
    (脚本賞をもらっただけのことはあります
当時のイギリス王室の様子もわかったし、俳優もよかった。
楽しめる作品でした  


ジョージ6世(コリン・ファース)は、吃音(きつおん)がコンプレックス
それで、人前で話すことは大の苦手。
それにもかかわらず、彼のお父様のジョージ5世は、彼にスピーチをさせようとする。
と言うのは・・・・・本当は、長男であるかれの兄が王となるはずなのですが、
兄は離婚歴のあるアメリカ人と結婚しようとしているので、
「王になるのはおまえなのだから、すばらしいスピーチをして、立派な王になってくれ。」
というのが、ジョージ5世のお望みだったわけ~

なんとかジョージ6世の吃音を治そうと、何人かの名の通った言語聴覚士に相談してみますが、どれも上手く行かず・・・・
王妃(ヘレナ・ボナム・カーター)が捜してきた資格など持たない無名のライオネル(ジェフリー・ラッシュ)のところに行ってみることになる。
 
最初の日、ジョージは朗読出来ないと言ってるのに大音響の中で朗読させて、それを録音してみると上手く読めている
でも結局その時はジョージは怒って帰ってしまったので録音したレコードはお土産ということになる
後で聞いてジョージも王妃もびっくりする。完璧に読めてるじゃない

ライオネルは、ジョージと対等の立場でないと治療はできない!また、自分のクリニックに来てくれないと治療出来ない!と言うし、ジョージは、自分の父は王だった!兄は王!その私も向かって!と、怒り出すし・・・・

しかし、ライオネルは、ジョージを心から理解して、励まし勇気を奮い立たせた。ジョージもライオネルを心から信頼していた。

ジョージがとうとう王となった時、もうそのプレッシャーは最高潮。そして、彼はライオネルのところにやって来る。そこでライオネルに小さい頃に左利きだったのを無理矢理矯正させられたこと。O脚も痛いのに寝てる間も器具を付けて矯正させられたということ・・・を話し始める。これでは、心の歪みはどこかに出てきても不思議はない。
生まれつき吃音(吃音)の人はいないと、ライオネルは言っている。

第2次世界大戦が始まると言う時、国民は王のスピーチを待っている。このクライマックスのスピーチ。まぁ、上手く行くんだろうと思いながらも、こちらの方もハラハラドキドキ! ライオネルを前にジョージは一言一言・・・・だんだんと力強く・・・・はっきりと語り出す
私には、まるでライオネルが指揮者で、指揮の通りになんとかがんばって演奏してるのがジョージのように思えた 
 

古い王室の中にいながらも、お兄さんは自由奔放。離婚歴のあるアメリカ人と結婚!
生真面目なジョージ6世のおかかえ言語聴覚士ライオネルはちゃんとした免許もなくて、オーストラリ訛りの俳優を志してた男。彼は、ジョージ6世と友情で結ばれている。

イギリス王室は開けてます。こういう映画ができること自体がひらけてると思う

ジョージが、peopleと上手く発音できないというと、a people と言えば良い~とか、
mの発音ができないというと、まず nnnnn・・といってからmの発音をすればいい
とアドバイスしてるところなどは、実際的で興味深かった。

ライオネルは、なんの免許や資格も持ってないけど、誰にも勝る言語聴覚士というだけでなく、優れた精神科医かも

ジョージが、ライオネルと身分を超えた友情を持ったことは、彼の王として国民を見る目を大きく変えたことは間違いない。

俳優では、ヘレナ・ボナム・カーターの王妃は、とてもよかった。さすが!!
それから、注目が ティモシー・スポール。ウィストン・チャーチルの役で、最後のスピーチの前にジョージを激励する。彼の一度見たら忘れられないような風貌、強烈!

点数を付けるとしたら 84点

ロビン・フッド

2011-03-31 | Weblog
ロビン・フッド ('Robin Hood')
(2010.12.17. MOVIXにて hermitさんと)

獅子心王リチャード1世の十字軍の戦いでの死。その後のジョン王のひどい政治。
そして、フランスの襲撃などの歴史的事実を・・・・
12世紀のイングランドを伝説のヒーロー、ロビン・フッドを軸に描いているこの映画。
私にとっては、楽しめたような~又お勉強映画だったような~

リチャード1世の跡を継いだジョン王の政治は、民のことを全く考えないひどいものでした。圧政に苦しむ民
それだけでなくて、ジョン王は人を見る目も全くなし。ジョン王はゴドフリーをとても信頼しているが、実はフランス王のスパイ
ウィリアム・マーシャル(リチャード1世のときから王室に仕えている臣)は、ゴドフリーがスパイであることを感づく。ジョン王はウィリアム・マーシャルを解任してしまうが、解任された後もウィリアムは王室のために尽くす。

ジョン王が、ウィリアムを解任したときは信じられなかった。ウィリアムこそが、信頼できる臣なのに~アホちゃいますか
それから、ゴドフリー役のマーク・ストロングぴったりでした。いかにも悪そうな人相がスキンヘッドの頭と顔からにじみ出てました


~さて、ロビンは十字軍の兵士としてフランスで戦っているときに、もう死の直前であるロバート・ルクスリーという騎士に自分の剣を父(ノッティンガムの領主であるサー・ウォルター)に届けて欲しいと頼まれる。
ここで、騎士の遺言とは言え、まさかロビンはノッティンガムまで行くのかなぁ?と、半信半疑で見ていましたが~ロビンは、サー・ウォルターを訪ねて行ってちゃんと剣を返しました。人情味が厚いというか、いい奴

ここで、なんとサー・ウォルターにロビンは、自分の亡くなった息子ロバートの代わりになってくれるように頼まれるんです。
ロビンは
ロビンは、ロバートの奥さんであった(今となっては未亡人ですが)マリアンのことが気に入ってたということもすぐにOKした理由の一つだったと思います。(彼女のお尻にロビンが注目してる場面があったよね。)
マリアンの役は、ケイト・ブランシュレット。10年の間、戦いで帰らない夫を待って、家と領民に尽くしている献身的ではあるが、しっかりした女性の役によく当てはまってました

ロビンがサー・ウォルターにOKしたことで、マリアンのだんな様になったわけですが、ロビンは寝室には入れてもらえずにずっと土間のようなところで寝かされています。かわいそう!でも、マリアンにしてみれば、戦争でだんな様ロバートは亡くなりました~それで、それを知らせたロビンが今日からだんな様と言われても困るよね

もちろん、ロビンの男らしさにマリアンはだんだんと惹かれて、二人は本当に愛し合うようになり、形だけではなくて本当に夫婦となります

領主のサー・ウォルターが、ロビンのことが息子であると言えば、それを領民が認めることが不思議でした。どうして?10年以上前からここノッティンガムに住んでる領民はたくさんいるでしょうし、ロバートとロビンは顔がちがうでしょ??でも、領主さまの言う通りなのかなぁ

まぁ、ロビンがノッティンガムにやって来て、領主の息子となったことは、領民にとってすごくよかったことということは言うまでもない

スキンヘッドのゴドフリーが、サー・ウォーターと戦う場面。目の見えないサー・ウォーターを相手に嫌なゴドフリー。卑怯者!


結局、ロビンの人生は、ロバートの遺言を聞いてノッティンガムにやって来たことで大きく変わって行ったのかもしれない。
ジョン王のひどい政治にたいして立ちむかい、最終的にはイングランドを率いてフランスと戦うことになるのですから

この戦いのとき、マリアンも武装して戦うシーンがあるますが、あれはないよね まぁ、強かったらよかったんですが・・


最後のシーンがノッテルダム近郊のシャーウッドの森で、マリアンや他の仲間達と弱いものを助けて暮らしているところでした。
なんか、この部分が・・・・・夢の世界のような映しかたで、今まで強かったロビンが急に慈善事業を始めたみたいに思えてスゴク嫌だった。まぁ、伝説のボビン・フッドはシャ-ウッドの森に住んでたんだからしょーがないですが・・・・・


リドリー・スコット監督の作品に’グラディエーター’があります。(主演も同じラッセル・クロウ)この作品よりグラディエーターのほうが、感動はずっと大きかったように思います。(もう、ボロ泣きでした。)コロセアムでたった一人で動物や兵士を相手に戦うんですから、迫力も違うし、時代背景やストーリーもよかったです。

一緒に行ったhermitさんが、ラッセル・クローは、ロビン・フッドのイメージに合わないと言ってました。確かにロビン・フッドは弓の名手で木の上から弓を放ったりしてたみたいだから軽々した身体じゃないと~ラッセル・クローの頑丈そうな身体では、ロビン・フッドよりやっぱりグラディエーターかも。


点数を付けるとしたら、75点