Noriko-McLane Movie Blog

自分の見た映画の感想を気ままに綴っています。
ネタバレの可能性もあるので、まだ見てない方はご注意下さい。

楓ニュータウン

2011-03-28 | Weblog
胸キュンアニメ「楓ニュータウン」(DVD)
アニメ作品ですが、これは胸キュンアニメというよりも児童文学と言うべきもの。
ステラさんのお勧めで見たのですが、見る前は子供向けだと思ってバカにしてました。
でも、私には思ってたよりずっと楽しめる作品でした

この楓ニュータウンはズバリ大阪の千里ニュータウン
そう思って見てたら、最後のところでマンションの名前にメゾン千里って書いてありました。
それから、天王寺ミオという名前も傑作!
確か天王寺ミオってファッションビルありますよね。

ミキオの大好きなハルコが転校していくのでコクりたいのですが・・・・
コクるどころか反対のことを言ってしまってハルコを怒らせてしまったり・・・

そんなある日、天王寺ミオハルコに告白。
でも、ハルコは「断ったわ。ホンマに好きやったらみんなの前で告白してほしい。」と~
女は、結局こういう気持ちは持ってますよね。
正々堂々としているのが好きなのかなぁ。
確かにそうや。

実は、ミキオは小さい時にマンションから落ちた瞬間におばけに助けられていました。
人間一人一人にそれぞれおばけがついてるんだって。
ハルコ
もこのおばけを見ることが出来るので、ハルコはずっとミキのことが気になってたんですね

このおばけの存在とは
ミキオハルコには見えてるというシーンでは、それぞれのおばけはとっても可愛い!
このおばけ達は、守護霊でもないし~?良心でもないし~?
子供の時だけ見えるって言ってるけど、ミキオハルコにしか見えてないみたいですね。
何かはわからないけど、このおばけの存在は大切だと思った。
何かこういうものの存在を信じるてるからこそ見えたのかな?

ハルコがもう転校していく日にミキオはとうとう朝礼台の上で
「そう、ぼくもおばけが見えるんだ。ハルコのことが好き引っ越しても手紙ちょうだい
と、告白しますが、ハルコは、このときもう飛行場。
でも、このミキオの告白がおばけのお陰で全世界にテレビ中継されてるんです。
なんという展開!! ありえへん過ぎやし~


大阪弁が自然でかわいらしい。アニメのキャラクターとぴったり。
ミキオがナレーターの役をするときは、大阪弁で共通語しゃべろうとしてるみたいで微笑ましい感じでした。

まぁ、最終的にHAPPY END
最後ミキオは、
「もうおばけは見えなくなった。僕は、大人!」
 とか言ってるけど、・・・どうして見えなくなったんだろう??
 大変な時、危機に面した時だけ見えるのかなぁ??
まぁ、おばけに関しては・・・どういう存在なのか?もう一つわからなかったけど~
でも、とってもいい奴ということは間違いない。

終わりにいいタイミングでトモフスキーの「幻想特急」の曲が流れてきます。
           
点数を付けるとしたら80点

ホラーバス

2011-03-26 | Weblog
「ホラーバス」
DE GRIEZELBUS (THE HORROR BUS)
   (2011.3.19.TV)

2005年のオランダ映画。(日本では劇場未公開)児童文学作家ポール・ヴァン・ルーンの「ホラーバス」をもとにした映画

TVでやってたので、面白そうと思って見てた。

オランダ版ハリー・ポッターと言われている。確かに最初の部分やエンディングでハリポタの雰囲気を感じるが、・・・・・・
ストーリーも単純だし、ホラー・パークのセットも幼稚な感じがした。

主人公オノバルのクラスでホラー作家ノラファン・パウロを招いてお話を聞いている。
パウロは、オオカミに追いかけられている母親の話をする。その母親は赤ちゃんの入ってるカゴを落としてしまう。赤ちゃんは、車で通りかかった夫婦に助けられるが足をオオカミにかまれている・・・・・
それともう一つ、フェルシという怪物(?)がいて、このフェルシに恐怖の物語を書いて渡すと、それが現実のこととなるということ。
「オノバルは、小説家志望で文章を書くのが上手いから特に気を付けてフェルチに書いたものを渡してはいけない
 とパウロは言う。

このクラスの担任のフレンド先生、いい先生なんだろうけど、パウロさんのことやホラーパークを怖がってる様子がわざとらしくてしらけてしますほどでした

母親が「オノバルを拾ってきた森に返す~」と言ったことから、オノバルは自分がこのパウロが話した赤ちゃんだと思いこんでる。決してけんかをしない理由は、狼男に変身すると困るからだと彼女のリス・ローラに言う。

リス・ローラに思いを寄せるいじめっ子のジーノ。ジーノはオノバルが自分は狼男であるとリス・ローラに言ってるのを盗み聞きして、ますますオノバルをいじめようとする。
しかし、ジーノは、「もしリス・ローラがキスしてくれたらもうオノバルをいじめない!」と約束。

それで、リス・ローラもOK。
ここのところ、オランダの子は小学生でもなかなかやるなぁ!と思いました。
でも、このキスをオノバルが目撃!!もう、ドロドロです~

オノバルはもうみんなが自分を嫌ってるんだと自己嫌悪に陥って 
そして、ジーノに復讐する物語を書いてとうとうフェルチに渡してしまう

この後パパ(バンドをやってるけど、全然売れてないとかで見た目変だけど、オノバルには優しい)がオノバルの部屋に来ていろんな話をしてくれる。この時にオノバルは、ママが「オノバルを拾った森に返しに行く」と言ったことは冗談だったと知る。そして、自分が物語をフェルチに渡したことがどんなに恐ろしいことかを知り、なんとか止めなくては
と思う。

オノバルは、黒い髪の毛ボサボサで背も低い。
リス・ローラは顔は細くて特に可愛くないけど、背は高くてスタイルは抜群。
いじめっ子のジーノがなかなかいい!白人って感じ。金髪をモヒカンヘアーのように真ん中で立ち上げてちょっとツッパッテル感じがかわいい。顔も理髪そう。リス・ローラとは見た目ジーノの方がお似合いかも?

なんとか、フェルシから物語をとりもどさなくてはならない。
しかし、とれもどせないまま~オノバルの書いた物語の通り、クラスのみんなは遠足の日にホラーバスに乗ってホラーパークへ

ホラーパークに着くと、ジーノ達いじめっ子の5人だけがパークの中へと入っていく。リス・ローラは彼らを止めようと後を追う。リス・ローラがオノバルの両親に電話して、彼らはなんとかオノバルを助けようとやって来るのだが・・・・・・
でも、物語の世界にどうして登場人物でないオノバルの両親が行けるのか?疑問でした。

このフェルチに物語を書いて渡すと現実になるということ事態がまるで「デス・ノート」。デスノートでもどんなふうにして死ぬか、いろいろ書いてましたね。

最終的には、ホラーパークで伯爵に魂をおへそから抜かれて殺されようというときに、オノバルがやってきて自分の書いた物語の本を奪い返すと言うお話です。
(棒をおへそに刺して魂を抜く・・・すごく独創的な考えをオノバルは思いついたんだね

それから、オノバルがモンスターと戦ったり、冷凍庫に閉じこめられたリス・ローラを助け出したり・・・・といろいろあるのですが・・・・・

最後のパーティーで狼男のようなお化粧をしてタキシードを着てるオノバルとドレスを着たリス・ローラの結婚式のようなシーン。オノバル、このときはなかなか可愛かったですね。小さいときのイライジャー・ウッドのようでした

本当は、狼男???そんな指におもちゃを付けて、ジーノをだましてはだめですよ。


全くホラーではなく、ファンタジー。 ホラーパークの伯爵にも怖さ、凄さは全然感じられなくて学芸会のようでした。それだから、疲れたときでもボーッと安心して見られる・・・・ここが、この映画の良さかもしれません。

点数を付けるとしたら、62点

クロッシング

2011-03-20 | Weblog
「クロッシング」
'Brooklin's Finest'(二条シネマにて タミーさんと 2010.11.9.)

題名どおり、ブルックリン警察に勤めながらも何の接点もなかった3人が、最後の場面で同じ日に同じ場所にいる。(でも、それで??・・・・・何?)
私は「CMなんかでそれぞれの正義が交錯する」と、言ってたので、てっきり最後は3人が協力して事件を解決するのかと思って期待していました。
でも、そうじゃなくて、3人が同じ場所には行くけど話をすることもないです。それぞれの人生のお話です。
3人の接点なし。この点では、がっかりでした

サル(イーサン・ホーク)は、子だくさんで家族のためにもっと大きな家が必要。麻薬捜査中に目にした大金を思わず盗もうかと思ってしまう。薄給の身で、家族に十分なこともできないまま何とか正義を貫こうとしているサル。

タンゴ(ドン・チードル)は囮捜査官で、実はマフィアの大物のギャズ(ウェズリー・スナイプス)は命の恩人。囮捜査に明け暮れてとっくに結婚生活は破滅しているタンゴ。

そして、エディ(リチャード・ギア)は、もうすぐ定年で残り少ない日々を何事もなく送ろうとしている。そんなときに新しい警官の研修中、その警官が少年に発砲してしまう。

エディのリチャード・ギアが私にとっては一番印象深かった
彼は、いつも女のところに通っている。その人は彼女ではなくて商売のよう。彼女はエディのことを「パパ」と呼んでいる。でも、ある日約束の時間よりも早く行くと、前のお客がまだいて、その人のことも彼女は「パパ」と呼んでいる。なんでもないような顔して、階段にすわって待ってるエディ。なんか、エディ気持ちになってしまい、こちらのほうがショックでした
彼女に時計をプレゼントしてもらったときに、エディが「一緒にどこか遠いところに行こう!」と言うが、彼女にはもちろん断わられる。。
そして、彼女に部屋を追い出された後、偶然拉致されて行方不明になっていた女性を見かけ、誘拐されていく先へとつけていく。

エディにすれば、自己嫌悪に陥っていたときに誘拐されていく女性を目の前にして、警官としての正義感に急に目覚めたのでしょうか?
既にこの時もうエディは、退職してたのではなかったのかな?

いつもモテる役や、リッチな役が多いリチャード・ギアですが、今回のような役もよかったです。

サルとタンゴの人生は、終わってしまったけど、エディの人生は今から始まる気がした


監督は、アントワーン・フークア。彼の監督作品に『トレーニング・デイ』がある。
この頃は、デンゼル・ワシントンのファンだったので、彼が悪とは最後まで思いたくなくてハラハラしながら見てました。若いイーサン・ホークは、新米の刑事の役で彼もなかなかの演技でした。

「クロッシング」点数をつけるとしたら65点
(3人の人生を語ってるのかもしれないけど、ちょっと語り切れてない気がした。)

告白

2011-03-08 | Weblog
告白

日本のアカデミー賞作品賞を受賞し、ますます注目を浴びているこの作品

この作品のハリウッド版が作られる予定で、ニコール・キッドマンが松の役とか言ってましたが~
正直言って、私ならこの作品に日本のアカデミー賞あげたくないな! 
不快感を感じさせる映画でしたから~

中島哲也監督は、この映画の教師、守口の役は、松たか子以外には考えられなかったそうです。自分の娘を殺されて、淡々と犯人を追いつめていく凄さはあの人しか出せなかったかもしれません。
この森口には、体温や人間性といったものを感じさせません。不気味であり、冷酷過ぎとでも言うべき

中学の教師である森口悠子の子供がプールで死んでいた。クラスの少年によって殺されたのだ。しかし、プール近くで遊んでいて誤って落ちて溺れたと警察は片づける。
もし、犯人が特定できても少年法によって守られている彼ら。そこで、守口は自分の手で彼らを裁こうとする。

この一つの事件、そして守口の復讐について、守口、少年A、少年B、その母、クラスの少女、などの視点を通して、それぞれの告白という語られていく。だから、同じ場面も何度か全然違った見方がされて出てくる。このような描き方は、非常に面白い

しかし、なんか芸術性を全く感じないし、現代社会の嫌な面を露骨に現してる作品のようにも思えた

本も読んだが、途中で嫌になってしまった。映画は、本に忠実に作られている気がした。

本では、少年Bの母は、もっと年をとっているはずだが、映画この役の木村佳乃は綺麗それだけにこのマザコン製造機の母がととても惨めに思えた。

マザコンと言えば、少年Aも。彼は、両親が離婚して父は再婚、父と継母の間に子供もいるので、自分はひとりぼっち。だから、彼の心はいつも自分を産んだ科学者の母親を求めている。
ああ、恐ろしいマザコン・ボーイ殺人

そもそも、殺人の動機があまりにもかるはずみというか・・・こんなことで人を殺していいんだろうか?ちょっと普通じゃない。少年Aは、自分が作った電気仕掛けのバックで守口の子供を殺せると思ってる。科学者の母親に気づいてもらえるかもと思って、実験のために殺そうと思うところが異常だ。子供がバックで気絶しただけで死ななかったので、少年Bはこの子供をプールで溺れさせて殺してしまい、少年Aに勝ったと思ってる

恐ろしいマザコンボーイ達!!
やはり、マザコンとは世の中の最悪かも?男の子を持つママ、育て方間違ってませんか?充分気を付けてくださいね。


森口のクラス。ホームルームの時間にまともに先生の話を聞いている生徒はいない。携帯を触ってる生徒、大声でしゃべる生徒、・・・・(このクラス大丈夫か?と思いました。)
しかし、森口はそれに対して注意することもなく・・・・・・
「自分の子供を殺した犯人は、この教室にいます。」
          と、教室で告白!
その後、森口は、娘の父親(エイズのために結婚してない。)の血液を混ぜた牛乳を犯人には飲ませたと教室で言う。
結局は飲ませてないんだけど、少年Bは、自分はエイズになったと思いこんで自分の部屋から出られなくなる。
少年Aは、クラスでひどい虐めにあう。
クラスの全員が少年AとBが犯人だと分かったんだから、虐めにも合うはず。
これも、すべて森口が計算してやってることなんだろう。

森口の後任のウェルテルこと良輝先生(岡田将生)。クラスのこと何もわかってない、空気の読めない熱血おバカ先生。
ウェルテルと森口が一度だけコーヒーを飲みながら話してるシーンがあるが、森口が、ウェルテルに少年Bの家に何度でも訪問することや玄関からでも2階の部屋にいる少年Bに大声で話しかけることなどを指図していたのだろうと思われる。

このことが、原因で少年Bの母は息子を殺してしまおうとして、結局自分が殺されてしまう。

人の死というものが軽々しくあまりにも軽々しく扱われている作品だと思った。

少年Aをかばっていた女の子も、とても仲良くなっていたのに少年Aによって殺されてしまう。
ここは、どうして殺さなくてはならなかったのか??理解できなかった。
もう、ゲームの中の世界のように感じました。一つボタンを押せば簡単に人が死んでしますような~


この作品は、本もベスト・セラー、映画もアカデミー賞!というだけあってみんなこういう映画が好きなのかと思ってました。が、結構’不愉快’とか’後味がよくない’などの感想を持ってる人が結構多くてちょっと安心

ラスト、ドカ~ンというスゴイ爆発の後、「ここから、あなたの更正の第一歩」と言いながら「なぁんてね!」とふざけてるような森口。この爆発で少年Aの母も言ってみれば少年Aの手で殺されててしまったのか?
彼女の復讐がこれで、完結したのか?


点数をつけるとしたら、14点
(中島 哲也監督の’下妻物語’は、最後フカキョンが叫ぶまくってスカ~ッとするのになぁ!)

十三人の刺客

2010-11-11 | Weblog
十三人の刺客 (2010.10.23. 100条シネマにて 9・2さんと)
 
この映画は、1963年(昭和38年)の「十三人の刺客」(東映京都撮影所製作、工藤栄一監督、片岡千恵蔵主演)のレメイク版とも言える作品。
このオリジナルは見てないが、・・実録タッチの作風による集団抗争時代劇として有名で、約30分に及ぶクライマックスの13人対53騎の殺陣シーンは、時代劇映画史上最長とされる~と言われてる。しかし、今回の映画の戦闘シーンはそれ以上に見応えのあるものだったと思う

ちょっと、歴史のお話となってしまいますが・・・
十三人の刺客達が命を奪おうとしている最悪お殿様、稲垣吾郎演じる松平斉韶(なりつぐ)のモデルは、江戸末期、明石藩主の松平斉宣。
斉宣が参勤交代で尾張藩領を通過中に3歳の幼児が行列を横切ってしまった。村民たちが斉宣に助命を乞うたが、斉宣は許さず幼児を殺害。この処置に尾張藩は激怒し、御三家筆頭の面子にかけて今後は明石藩が尾張藩の領地を通行することを断ると斉宣らに伝えた。このため明石藩は行列を立てず、藩士たちは脇差し一本を帯び、農民や町人に変装して尾張領内を通行したという。
実際は、この時殺害された幼児の父親が、斉宣を殺したようです。
斉宣は将軍の弟ということで、まさにこの映画の斉韶のように民のとこなど一切考えずにやりたい放題だったのでしょう。


チャンバラ映画をシアターで見たのは初めてだった。
後半の50分以上という戦闘シーン!もう寝てしまうのではと思ってたけど、なかなかの迫力。この映画の見所です
それに比べて、前半が暗い。松平斉韶(稲垣吾郎)がどんなに非人間的であったかがこの前半で述べられてるわけですが・・・

まず、尾張の牧野采女(うねめ)の妻の千代。この人の形相。眉毛が無くて、歯がお歯黒だったか?武士と結婚したらこんな風にするらしいけど。ちょっとびっくり。この人が斉韶に引きずられて行って暴行され、助けに来た采女は殺され、千代自身は自害。
あ~暗い映画 当たり前だけど、映画自身のスクリーンも暗いし~(江戸時代に照明は暗かったんだろうけど・・・)もう、こ映画来なけりゃよかったかな?とか思いながら見てました。

この次が・・・・もう最悪
ここでは、采女の父、尾張家起訴上松陣屋詰、牧野ゆきえ(松本幸四郎)の訴えなどを聞いた江戸幕府の老中の土井大炊頭利位(おおいのかみとしつら)(平幹次郎)が、すでに島田新左衛門(役所広司)に松平斉韶の殺害を命じている。
と言うのは、松平斉韶が老中になることが決まっていたので、このようなひどいことを江戸幕府の重要人物である老中としてやられたのではますます大変なことになり、苦しむ人も増える・・・と土井大炊頭利位は考えたわけです。(老中になる前にお命い頂かねば~!)
ここに登場するのが、松平斉韶に手足を切り取られて舌を抜けれたという娘。
この辺のところ、正直言ってちょっと冷や汗が出て気分が悪くなりました

あと松平斉韶が何人もの子供達を縄でくくって弓で射るシーン・・・・
それから、斉韶が、お椀にはいってるものも、お皿にのってる物も・・・食器の中の食べ物をすべてお膳の上にまき散らして、それを手で混ぜて食べてるシーン。
この人、気が狂ってるのと思いました。ウツケ?
こんな人にこそ、ちょっと時代ちがってたらロボトミーやるべきでは!!!


島田新左衛門が刺客を集め始める頃から、スクリーンが急に明るく~
このへんからは、この映画を楽しんで見ることが出来ました
私が注目してた刺客は、島田新左衛門(役所)の他、彼の甥である島田新太郎(山田孝之)、弓の名手で御徒目付、日置八十吉、浪人の平山九十朗(伊原剛志)、そして山猿の小弥太(伊勢谷友介)。

島田は、松平斉韶の参勤交代の一行が中山道のを通る時に攻めることを決める。このをまず買い取って、各場所に火薬や装置、いろんなものを配備する よく見てると、同じような装置が戦闘シーンで何度か使われてたりで、もうちょっと考えてよ!というところもあります。でも、山猿が石を縄につけて振り回して何人もやっつけるし、屋根の上から土砂が落ちてきたり、松平斉韶が逃げようとすると急に柵に囲まれて逃げられなくなったり、ある意味マンガみたいなところもあるけど、面白いです。

私が注目した刺客達は死なない!と思ってたのに~
若い日置八十吉がやられたときは、この人死んでしまうのかぁ~くらいに思っただけだったけど・・・平山九十朗が刺されたときは、ちょっとどうしようと思ってあせってしまいました。
敵の松平斉韶の一行はなんと200人以上。これを13人でやっつけようと言うんだから、まぁ、大変なことです。

最後、島田新左衛門と鬼頭半兵衛(市村正規)の一騎打ちとなる。鬼頭半兵衛は、松平斉韶のめちゃくちゃぶりが間違ってると思いながらも、主従関係を保ち主君に忠誠を尽くすことこそが武士としての道だと考えバカ殿斉韶を最後まで守ろうとする。
島田新左衛門と半兵衛は、かつては同門で腕を競い合った仲。
半兵衛が新左衛門にやられた後、半兵衛の生首を斉韶が蹴るシーン。なんか、これだけ尽くしてきた半兵衛が惨め!
武士の道と言っても、上に立つ人が間違ってるのにそれに忠誠つくしてもあかんわなぁ

この後、島田新左衛門が松平斉韶に刺されてしまう。同時に新左衛門が松平斉韶を刺し、とうとうバカ殿は命を亡くす。
松平斉韶の刀さばき、もう少しなんとかならないものでしょうか?
そもそも、この人の教育係は何をしてたんでしょう!?

生き残ったのは、島田新六郎(山田孝之)と小弥太だけ・・・・・
新六郎は、自分が武士として生きることに嫌気がさして、女や酒に溺れて生きていた。彼は刺客となることを決めた時に一緒に暮らしてる(新六郎がひもなのか?)芸子のお艶(吹石一恵)に
「すぐ帰ってくる・・・もし、帰れなかったらお盆に帰ってくるから、しょうろう(精霊)焚いて待っててくんな・・・」
という場面があるけど、この時点で完全に死ぬことを覚悟してたんですね。
このお艶がこの映画の中でひときわ明るいイメージ。GOOD

バカ殿の剣が首に刺さって死んだと思ってた山猿の小弥太が、何の傷跡もなく普通に生きてるところがマンガみたい。彼のユーモラスな存在はこの映画の緊迫した雰囲気の中で重要な役割をしめていると思います。
中山道のでも小弥太と岸部シロウが演じてるの民とのやりとりも傑作です。
小弥太の思いを寄せる女性ウバシ、お艶の両方の役を吹石一恵が演じている。

山の中で自由奔放に生きて来た小弥太
何ものにも縛られずに生きていこうとしている新六郎。
この二人の若者だけが生き残り、世の中はもうすぐ明治の世の中になろうとしている。

最後、お艶のところに新六郎が帰ってきたのであろう彼女の笑顔で終わるところ、なかなかよかったです。(新六郎くん、赤毛のところ行くとか言ってたのはどうなった?)

点数を付けるとしたら、79点

 (このブログを書くにあたって、ウィキペディアを参考にしました。)


ぼくのエリ 200歳の少女

2010-11-01 | Weblog
ぼくのエリ 200歳の少女
Låt den rätte komma in
(2010.10.22. タミーさんと 古今東西シネマにて)
2008年のスウェーデン映画。ヨン・アイヴィデ・リンドクヴィストによる2004年の小説『モールス』が原作となっている。

タミーさんが見たがってた映画なので、私はバンパイアの映画くらいの予備知知識しかなくシアターへ~ 
マニアックな映画だし、空いてるだろうと思ってたらドッコイ!狭いシアターには結構人が入っててびっくり タミーさんのようにマニアックに方はたくさんいるんですね。

初期感想・・・・・なかなか深い内容 バンパイアの物語とは言え、精神的に奥の深い作品だと思った 
オスカーがバンパイアのエリを丸ごと受け入れたからこそ、エリもオスカーを助けに来たし、二人の旅が始まる

オスカーが、虐められっ子でありながらいつも独自の世界を持っていて、母親にうるさく言われてもそんなに気にしてない様子が伺える。このようなところ、とても気に入りました 映画の撮り方が、母親がうるさく言い出すと、オスカーは自分の部屋に来て自分の世界にいるので母親の声は向こうの部屋に消えていく~という感じ・・・これが(この効果が)よかったです。オスカーがエリに励まされて、いじめっ子の耳を殴った後も、それでオスカーがどのような処分を受けたかなど一切触れてないところがいい。オスカーの独自の生き方を映画が応援してるみたい。

オスカー役の男の子、コーレ・ヘーデブラント、真っ白で女の子みたい。髪の毛も美しいサラサラの金髪 毛穴なんかないような美しいお肌 すごい  身体も細くて、いじめっ子と戦うためにジムで鍛えてるシーン、細い腕が強調されてました。
エリ役の女の子、リーナ・レアンデションは、黒髪で鋭い目。オスカーよりしっかりした身体つきだし、オスカーのように白くもないし、・・・
座ってると、オスカーの方が弱々しいけど、二人並んで立ったらオスカーのほうが背が高いんですね!!

この映画、残虐な殺人の場面から始まる。エリのために血がいるので、一緒に暮らしてる男が殺人を犯して殺した人の血を搾り取ってエリに飲ませるんです。 恐ろしいと、言ってもヴァンパイア自身が作り話を思って見てれば、怖いこともなんともありません。
それどころか、オスカーとエリを中心に考えると、殺された人やエリに噛まれて自殺した女の人のことは大して気にならない。映画の中では、人が死んでいくが、実際は精神の問題でエリが生きていく葛藤を描いてるように感じる。

オスカーの父は、とてもいい人だと思ってました。母親にヒステリックに言われても、オスカーにいつもおおらかに接してるから。(オスカーの両親は別居してるのか?離婚してるのか?)オスカーが父のところに来た時、父と二人で楽しそうにゲームをしてるのに、男の人がやって来ると急に父とその人がお酒を飲みだして、オスカーがゲームを続けたいのに父は無視。オスカーの父は、ゲイだったんですね。ゲイは、全然構わないけど、ゲームは、続けてあげてよ

12歳という少し大人になりかけた子供・・・・この微妙な年齢のオスカーとエリ。でも、エリは200年生きてるわけですが・・・

エリと一緒に住んでた男は、殺人をやりまくってエリに人間の血を運んでくるのですが、最後スポーツ・ジムで若い男を殺そうとして失敗しかけたときに、もう自分自身やってることが嫌になったんでしょうか?(この時だけは、私もなんとかこの捕まった若い男の人が助かったらいいと思いました。)
自分の顔に青酸カリをかけて誰かわからなくすれば、エリが捕まらなくてすむと思ったのでしょう この男は、もとはエリとそんなに年がかわらなかったのかも?でも、一緒にいるうちに自分だけが年を重ね、エリは永遠に12歳。そして、この先殺人を繰り返していくことに急に罪悪感を感じたんだろうか?

この後、この男がもう死ぬというときにエリは男に言われてこの男の血を全部吸い取ります。
その後で、オスカーのところへ来てキスするシーンがあるけど、これは、オスカー大丈夫なのか???ちょっと私ならお断りしたいです。せめて、歯磨きしてからにして


最後のシーン、オスカーとエリが電車にのって旅に出ていく。エリは、光があたらないように段ボール箱の中。オスカーが二人の信号にもモールス信号で段ボールの箱に話しかけてる。(タミーさんによると、このときのモールス信号は”チュッ~”なんだって。)本当に自由の中に旅立っていくようで素敵なシーン
でも、よく考えると・・・・・・オスカーが何年後かに エリと一緒に暮らしていた男のようになっってしまうんじゃないかっていう思いも頭をよぎります。
一番大切なのは、今!だから。決して、刹那主義じゃないけど、先のことばかり考えて生きていくのもなぁ。今、このことがやるべきこと、やりたいことだと12歳なりに考えてオスカーもエリとの旅を選んだと思う。

原作を読むと、もっとややこしいことに~なってるみたいだけど・・・

点数を付けるとしたら、90点

エクスペンダブルス

2010-10-28 | Weblog
エクスペンダブルス
The Expendoubles (2010. 10. 19. 百条シネマにて)

この映画のCMで、かっこいいオッサン達がズラ~ッと並んでこれから戦いに行くような出で立ち見た時、これは私が見るべき映画と思いました。

久しぶりにアクションを見て満足 でも、シルヴェスター・スタローン、ミッキー・ローク、ジェイソン・ステイサム、ジェット・リー、ドルフ・ラングレン、ブルース・ウィリス、アーノルド・シュワルツェネッガー という豪華メンバーが すべて傭兵として戦うわけではなかったのが、ちょっと残念

スタローンの脚本、監督というだけあって、ランボー君の一人舞台です。
ウィリスの傭兵、期待してたんだけど、彼の役CIAからの仕事を傭兵に持ってくるだけの役。一度切りしか出てこないし、+おじいちゃんになってます(私のだんなさまのジョン・マクレーンを期待してましたが・・・)
シュワちゃんは、大統領になるためにこの危ない仕事はスタローンに任せて去っていくというチョイ役!!
(これは、傑作です

ストーリーも単純でわかりやすい
南米の島で将軍率いる軍が島民たちをひどい目にあわている。これを沈めることを引き受けたスタローンはジェイソン・ステイサムとまずはその島へ~
このとき、島の案内役を引き受ける女の人が一本筋の通った素敵な女の人
(この女の人を見た時、彼女はジェイソンを結ばれるんだろうなぁ!と思った。けど、残念ながらハズレ!恋でも主役はランボーでした。) 

軍のやり方はあまりにもひどくて、もうこのままではスタローンもジェイソンも死んでしまう・・・とにかく逃げなくては・・・案内役の女の人を連れて島から出ようとするが・・・実はこの人は、将軍の娘 なんとかもとの平和な島に戻したい!と思ってて島からは出ないんです。

スタローンとジェイソンが去っていく飛行機で、ジェイソンが飛行機の前先に乗って、軍を爆破しまくるシーン~2人で軍をやったと喜んでましたが、こちらもスカ~ッとする場面でした

さすが、主役のスタローン もどって彼女を助けると言いだし、結局みんなで又島へ~・・・・・
今回の映画では、ジェット・リーの技のかっこよさがよく見られなかった気がします 顔がちょっと年取ったような気がした。「ローグ・アサシン」では、ジェイソン・ステイサムよりかっこいい役だったけど・・・
もう、「ドラゴン・キングダム」のかわいい孫悟空役は無理かな??

主にスタローンががんばったアクションだけど、ジェイソンのナイフさばきもなかなかで、長い戦いシーンも結構楽しめました

最後、スタローンが将軍の娘に当分に暮らしに困らないように自分の貯金通帳(?)か何か渡してあげるでしょ?!・・・で、なんで、キスしなかったんだろう
これが、この映画の一番の謎です。
スタローンがそのような脚本にしたというだけのことなんだろうけど・・・・・
ルパンの「カリオストルの城」だったら、ルパンがそうしたかったのにお姫様を抱きしめなかったのよく分かります。
でも、この映画はなんで???

点数を付けるとしたら、87点
  

剣岳 点の記

2010-08-16 | Weblog
剣岳 点の記
(2010.8.7.の土曜プレミアムの録画)

2009年6月ロードショーの映画。

録画してたので、思わず2度みました。名カメラマンの木村大作が初監督作品にして日本アカデミー最優秀監督賞に輝いただけあって、山の映像が綺麗。(録画してたので、あまりに綺麗な景色は映像を停止にしてしばらく見てました。)
雲海のずっと向こうに富士山が見えている映像。雪のシーンも美しい。太陽が小さく見え、登っていく人がシルエットとなっていた映像もよかった。ストーリーがなくて、これらの映像だけでも充分楽しめる作品

剣岳の案内人の長治郎の役、香川照之ピッタリのはまり役でした。いつも謙虚だけど、山の男で山のたいする鋭い勘があって、山とともに生きてる!!なかなかよかったです。

記の点とは三角点のこと。地図を作る時に三角点をたててこれを基に測量する。明治40年の日本陸軍は、剣岳山頂に三角点を設けて立山一帯の地図を完成させようとする。・・・・というのは、建て前で・・・実は、「日本山岳会よりも先に我が陸地測量部が剣岳に登頂しなくてはならぬ。」と考えている。

そこで、測量部の柴崎(浅野忠信)が、剣岳にまず下見に行き次の年にいよいよ登ることになる。まず、周りの山から測量を始めるのだが、若い生田(松田龍平)は、剣岳に登ることだけをあせってしまう。そんな中で、雪崩にあったり、生田がロープで中刷りになってそのロープも切れてしまったり・・・(ここのところ、あれだけ落下して斜面を滑り落ちてるのに、足を引きずってるだけで、又すぐ元通り元気になってるし、ちょっと不思議でした

それから、山岳会の人達はヨーロッパの登山グッズをいろいろ使ってるのはわかるけど、リーダー(仲村トオル)が剣岳に登るのにコートを着てたのは、ちょっと本当に当時は、コート着て登ってたのかなぁ。

剣岳に登ろうとする時に、長治郎の息子がやって来て、父親に「登るな!」というところ。・・・剣岳は、立山信仰で人間は登っては行けない山とされているのだ。しかし、長治郎は息子の頬をなぐって「山に昇りたい人を登らせるだけ!」と言う。なんか、親子逆みたい。父親のほうが、進んだ考えかたしてるんだ。

測量をしているときに、雲で三角点が見えなくなってしまい中断となったとき、「測量は、技術ではなくて忍耐だ!」と、測量部の人が言うが、この映画の一つ一つのシーンを撮ることがそうではなかったのだろうかと思った!!山相手にたいへんなロケ、撮影だったことだろう

「東面から登頂する機会はほんの一瞬、自然と危険は隣り合わせ。今度は無理をしても登りましょう。」と長治郎が言う。そして、ロープで身体をつないで登っていく。しばらくして長治郎が柴崎に「ここからは、私は一番に行けない。あんたが一番に登頂して下さい。」と言う。でも、柴崎が「あなたの案内で最後まで登りたい。」と言う。
この次のシーンが、もう登頂してしまっているというのが、ちょっとアレ~と思った。最後登頂のところは、撮影無理だったのか??

無事剣岳山頂に三角点を設置。おめでとうございます 千年前の修験者の錫杖が山頂にあったってそんなことどうでもいいよ。当時の陸軍は、彼らが初登頂ではなかったから無意味なのでなかったことにするって、???? 
はぁ?????~

登頂の後、最後の測量で別山に三等三角点を設置して剣岳を観測した時、偶然山岳会の人達が剣岳に登頂して、こちらに向かって手旗信号で、「剣岳初登頂おめでとうございます。この歴史的登頂は日本登山史に語り継がれるでしょう。」と言って、測量部、案内人の一人一人の名前を手旗信号で送ってきたところをちょっと感激シーン

ストーリーとしては淡々としているので、見ていて苦しさがこちらまで伝わってくることもなく、またこの映画を見たいと思わせるのだろう。長治郎や彼を手伝う山の案内人、長治郎の妻や息子、柴崎や他の測量部のメンバーや家族のことが所々で語られているが、、それがこの登頂にも影響していることは言うまでもない。

柴崎の妻(宮崎あおい)は、異常に子供っぽくてちょっと不気味な感じがした。
長治郎の妻(鈴木砂羽)は、明治時代の無口な山男の妻にぴったりの役でよかった。

また、音楽がすべてクラシックでそれぞれの場面によく合っていたと思う。

点数をつけるとしたら98点

ザ・コーヴ

2010-07-27 | Weblog
ザ・コーヴ 'The Cove'(2010. 7. 22. Kシネマにて SAYOさんと)
第82回アカデミー賞長編ドキュメンタリー賞を受賞

この映画、東京の映画館で上映された時は右翼団体が上映中止を求めて来たとか~
ドキュメントと言ってるけど、作ってるシーンがあるとか、いろいろ話題になってました。でも、限られた映画館での上映のようだしそう簡単に見られないのでは~と思ってましたが・・・
Kシネマでは、ずっと上映しててよかったです(でも、確かに上映されてるシアターの数は非常に少なくて大都市で1館が上映している程度。ここのところが、まずおかしいと思います。どの映画館でも上映してみんなに見て欲しい映画だと思いました

この映画を作ったのは、60年代にやっていたTV番組’わんぱくフリッパー’の調教師兼俳優のリック・オリバー。私は幼い頃この’わんぱくフリッパー’を見てたので、リックの家が実際に番組の中で使われてたこと、(入江が、家の横まで来ていたので、イルカたちがそこに来ていた~その場所がそのまま番組で使われていた。)やフリッパーは、実際は5頭のイルカがその役をしてたことなど・・・・とっても興味深かったです

この番組のせいなのかお陰なのか・・・水族館やシー・パラダイスと言ったところではイルカショーが大人気となっていきます最初のころは、イルカに詳しいリックは、水族館のイルカが怪我をしたら治してあげたり・・・していたのですが・・・
実は、水族館のイルカはストレスだらけイルカは、海を1日に何千キロと泳いで仲間と連絡をとったり、海の中で先の様子を音で知るように耳がとても発達しているそうで、それがイルカ・ショーをやらされて、観客のざわめきや拍手・・・・・これではもうストレスがたまりにたまる。それで、イルカは薬漬けのようになってるとか?
ここのところが、私にとっては大ショックでした。この前6月にも鳥羽のイルカ島に観光で行って英虞湾のイルカ島でイルカのショーやアシカのショーを見てきたけど・・・・彼らもそうだったんだ

イルカの調教師だったリックがイルカ愛護の立場で活動して、このような映画を作ったことは意味があるし、彼の熱意はすごいものだと思う

私はもちろんリックの立場を応援したい。大地町の漁師は日本の文化と言ってるけど、日本人がイルカを食べること、まずイルカが食べられることも知りませんでした。ほとんどが、鯨の肉だと言って売られてるらしい。(確かにイルカは、鯨の一種。)
大地町では、どうして隠れてイルカ漁をしてるんだろう??映画によると、イルカ漁をする入り江は、立入禁止になってる。映画に見せられた程のたくさんのイルカを本当に九月から毎日殺すんだろうか?それだけの需要があるということなのか?和歌山県大地町付近では、イルカの肉をたくさん食べてるのか?そこのところが、すごく不思議に思えた。

それから、イルカの肉にはものすごい量の水銀が含まれてるそうです。だから、本当にこれだけの需要があるんだったら、水銀中毒も起こりかねない。(政府の基準100倍以上はあるから、食べ続けていたら恐ろしいことになる。)
このようなことを政府はどう考えてるんだろう。政府も見てみぬふりなのか?

確かに鯨を食べることはは日本の食文化としても、また捕鯨そのものが日本文化の一つとも考えられていたのでしょう。小学校のときに捕鯨の話が国語の教科書に出てきたのを覚えています。論説文で面白くなかったけど、鯨を銛で突く時にどのような銛でどんな角度で突くかなどの内容だったように思います。
しかし、今の海の状態では一般的にイルカよりもっと大きい鯨では、毒素たとえば水銀についてもイルカレベルよりももっと多く含まれているはず。

それに人間より大きな鯨を銛で突くという当時の鯨漁が日本文化として誇りに思われていたことも何となくうなずけますが、あのイルカ漁の様子は本当に酷たらしいだけ。
銛でつかれても、死ねないまま泳ぎまくってるイルカがやがて力尽き果てて動かなくなってしまう様子・・・血で真っ赤になった入り江。もう、二度と見たくない光景です。

この映画は、動物愛護だけの問題だけでは片づけられないいろんな問題を含んでいると思います。

イルカは、高い知能を持った動物だし、実際に海で鮫にやられそうになったサーファーの人が「その瞬間にイルカが何匹かやってきて鮫に立ち向かって助けてくれた。」と、映画の中で語っていました

大地町のイルカ漁は日本の食文化だと言って誇りを持ってやってると言ってるけど、そうではないと思う。ただ稼ぐため? イルカショーも?

大地町のイルカ漁は、謎めいて変なことが多い。これを政府や和歌山県はどう考えてるのだろうか?

私は、この映画を見てイルカ・ショーには行きたくなくなった。

アドレナリン2ハイボルテージ

2010-06-08 | Weblog
アドレナリン2ハイボルテージ
’CRANK: HIGH VOLTAGE’
(May 2010 DVDで)

2009年アメリカ映画。日本でも2009年秋に公開。この時見に行きたかったけど、見られないままに~それで、アドレナリンに続いて2ハイボルテージもDVDで見ました。

前作のようなお馬鹿な!面白い最高のジェイソン・ステイサム君ファンにとってはなかなかの映画でした

前作で、主人公チェリオス(ジェイソン・ステイサム)が落下して死ンだのと思ったら目を開いたというところからの始まり。そのまま怪しい中国人マフィアたちの車に乗せられて~
不死身と思われてるチェリオスの心臓が取られて、その代わりに機械の心臓が埋め込まれる チェリオスが気づいた時には、まわりで次はペニスも含むあらゆる臓器を取り出すと話している声が~ここで、チェリオスの怒り爆発
彼の心臓の入った箱を持ってるジョニー・バンを探してチェリオスは暴れまくる。

前作でチェリオスの彼女だったイヴは、もうチェリオスは死んでしまったと思ってストリッパーになっている。そして、携帯電話も使いこなして前作よりも進化してる イヴ役のアミィ・スマートは、長身でチェリオスの彼女にピッタリ

今回も公開ポルノ(?笑?)あります。今回は競馬場で、またまた最後はイヴがチェリオスに放っておかれるパターン。この競馬場に来た時は、ドクの「心臓を動かす充電のために誰でも良いから人とこすりあいをしろ。」というアドバイスから、・・・チェリオスが見知らぬ男の人に寄り添ったり、お婆さんの後ろから抱きついたり・・・・大変!というか・・・もうお笑いです

チェリオスとジョニー・ヴァンが高電圧の電線のところで戦うシーン、なぜか”ゴジラ”が戦ってるシーンになってる。チェリオスとジョニー・ヴァンだけが巨大化して、ここだけアニメを見てるようでした。

また、途中でTVにチェリオスが少年になったような子が出てきてお母さんとインタヴューを受けてたのは、何だったんだろう?

アドレナリン2は、前作よりもいろいろ工夫されてる気がしてすごく楽しめました この作品は、監督達自身も楽しむために撮ったということですが・・・

結局、チェリオスの心臓はもう大老に移植されてしまってることがわかる。中国の猛毒を打たれてもくたばらなかった男の心臓が大老に移植されたのだ。
最終的にドクがドクの彼女を使って、大老をドク捕まえてきてくれる。
エンディングで、ドクがチェリオスの心臓をもとにもどす手術が・・・・・
きっと、”アドレナリン3”があるな!と思いました。
この後、エンディングで撮影シーンやNGシーンが出てきて、最後まで楽しめる映画となってました。大満足の映画でした

点数を付けるとしたら83点!!