Noriko-McLane Movie Blog

自分の見た映画の感想を気ままに綴っています。
ネタバレの可能性もあるので、まだ見てない方はご注意下さい。

八日目の蝉

2012-07-25 | Weblog
八日目の蝉
   (TV金曜ロードショーの録画)

父親の不倫相手に誘拐されて4歳まで育てられた恵理菜(当時は、薫)。・・・・・この映画は暗い映画なのかと思ってたけどそうでもなかった。後半は、恵理菜の心理が中心に描かれて、恵理菜が思い出してる過去として当時のことがスクリーンに出てくる。

稀和子(永作博美)は妊娠したが、相手とは不倫の関係であり生むことはできない。堕胎のときに、稀和子の子宮が傷つき妊娠できない体となってしまう。このようなときに、不倫相手の妻が子供を産む。もう、最悪の心境であったであろう稀和子は、この子供を一目見ようと夫婦の留守中に家に忍び込む。一人ベットの上で寝てる赤ちゃんを抱っこしてみると・・・・かわいいこと!!!思わず、稀和子は赤ちゃんを誘拐・・・そして、4年間の逃亡生活が始まる。でも、この4年間の生活こそが誘拐された赤ちゃんにとって本当の愛に満ちた懐かしい思い出となることが最後まで映画を見るとわかってくる。

稀和子は、赤ちゃんに「薫」と名づけて育てる。これは、不倫相手と赤ちゃんが生まれたら「薫」と名づけようと話していたからである。

稀和子と薫は、薫が物心ついたころは「エンゼルハウス」にいる。ここは、宗教??に基づいてエンゼルさん(?)の教えをもとに暮らしているちょっと変わったところだが、・・・でも、オーム真理教のようなのとは程遠く、エンゼルさんもちょっと大阪のおばちゃんっぽくていい感じ。エンゼル役の余貴美子よかったです。一見、キリスト教のような感じも~
ここは、女ばかりの世界。だから、ここを抜け出さなくてはならなくなったことは、小さな薫にとっては別の広い世界も知ることができてよかったかもしれない。

次に来たのが小豆島。ここでの薫の思い出が強烈だったわけだ。何気ない毎日の生活。お祭りや行事。周りの人々の暖かさ。自然の美しさ。そんなすべてのものをこの時期に薫は心に焼き付けたのだろう。稀和子は、製麺所で素麺をつくる仕事をしながら薫を育てる。稀和子と薫を見て誰が実の親子でないと疑っただろう。
私も小豆島には何度訪れたことがあるが、映画でも寒霞渓の景色は美しく稀和子と薫をゆったりした気分にさせるし、二十四の瞳記念館にいる二人はとても楽しそう!稀和子には、不倫相手を恨む気持ちとは全然別の気持ちで薫を心から育てていたのだろう。薫は、もちろん稀和子のことを本当の母親と思って疑ってないのだから、小豆島の風土にも溶け込んでとても幸せな時だったことだろう。

船に乗る前に警察が待ってるところ、・・・・・とうとう捕まってしまうんだな~って、可愛そうだたまらない!特に薫は何のことだかさっぱりわからないんだから~

薫は、恵理菜として両親のもとで育てられることになるが、・・・・母親は、恵理菜が稀和子のことを思い出したようなことを少しでも言うと癇癪をおこして怒鳴る。(怖い。恐ろしい。)

稀和子は、薫を育てながら、不倫相手の薫(恵理菜)の父のことは忘れていったかもしれない。しかし、恵理菜の生みの母は、彼女が帰ってきたが、稀和子つまり夫の不倫相手のことを母として思い出しているようなので、もう我慢しりれないのだろう。
恵理菜の父がいつも母をなだめているが、この父も不倫相手が自分の子供を誘拐したことが世間にばれて、職も失っている。まぁ、もともとこの父が悪いとは言え、一家は精神的にもうめちゃくちゃ。

大学生になっている恵理菜に雑誌のレポーターが当時のことをどう思ってるか?と聞きにくる。このレポーター千草の役、小池栄子。最初嫌な奴だなぁと思った。恵理菜もそう思っただろう。でも、千草は、エンゼルハウスで薫と遊んでたと言っている。そして、千草がいたから、恵理菜は小豆島にももう一度訪れることができた。そういう意味では、大切なキャラクターだ。

恵理菜が妊娠。それも不倫相手の子を・・・恵理菜は、小豆島を訪れて、小さかったころの楽しかった思い出を思い出して、前からここにもう一度来たかったんだ!と再確認した。自分の今までの人生で一番楽しかったとき・・・それが、恵理菜にとって小豆島で稀和子と過ごした日々だったのだろう。
恵理菜は、もう既に不倫相手とは別れたが、子供は生むことを決心。「今、もうこの子が可愛い!」と、お腹の子のことを言ったのがとても印象的だった。
ここに来たことで、実の母と暮らしていた辛かった日々、それに押さえつけられてペチャンコになってた大切なものが蘇った!!!という感じだったのかもしれない。すごく前向きになった恵理菜を見てうれしい気がした。
恵理菜の本当の母は、もしかしたら稀和子なのかもしれないと思った。

それにしても男の影の薄い作品でした。(恵理菜の不倫のお相手、岸田の役は劇団ひとり。なんかちょっと気の毒な役でした。)

点数を付けるとしたら 85点




リンカーン弁護士

2012-07-21 | Weblog
 ‘リンカーン弁護士‘
      (2012.7.20 MOVIXにて)

主役の弁護士役がマシュー・マコノヒーなので、見に行こうか迷いました。マシュー・マコノヒーって、ヒュー・グランドとともにニヤケタ男の印象!でも、ストーリーが面白そうだし・・・と、思ってシアターへ~
マシュー・マコノヒーは、大人になったというか・・・ちょっと老けたというか・・・でも、ニヤケタ感じもなくてなかなか良かったです。

弁護士ミック・ハラーは、リンカーンの後部座席が事務所代わり~とCMでは言ってるので、リンカーンの後部座席もっと何かすごいのかと期待してましたが、別に普通の車です・・・ミックがここですることは、電話くらいかな。それから、仲良しの暴走族に囲まれたら打ち合わせすることくらい。

それから、「ちょい悪」とCMでは言ってますが、全然悪じゃなくていい弁護士さん。元妻やまだ幼い娘とも微妙でありながら上手くやってる。元妻マギー(マリサ・トメイ)は検事だから、離婚して当然かも。彼は、今回のルイスの件苦労したことでで、ますます腕利きのすばらしい弁護士となっていくことでしょう。

物語は、ルイスという青年の弁護を頼まれたことから始まる。ルイスが女性を暴行したという容疑の弁護である。不動産業を営むルイスの母は裕福で、ミックも稼ぎになりだろうと弁護を引き受けた。

ルイスの役は、ライアン・フィリップ。(親父たちの星条旗に出演していました。)彼の清閑な表情から、私も最初のうちはルイスの言ってることが正しいと思ってました。自分が彼女の部屋に入ったらすぐに後ろから強く頭を殴られて気絶しているうちに犯人にされてしまったという主張が・・・・・

でも、女性が暴行された後の顔・・・・よく見ると、4年前の事件のときに暴行された女性のやられ方に似てる! なんと、この事件でミックは、「無罪だ!やってない!」と主張する被疑者(依頼人)を刑が軽くなるからと無理やり有罪を認めさせてしまったのでした。

そう、今回の事件の犯人も、4年前の真犯人もルイスだったのです。・・・しかし、秘匿権があり、弁護士は依頼人の秘密を守らなくてはならないし、依頼人を訴えることもできないのです。この八方塞の状態となったときの目の周りが落ち込んでしまったようなマシュー・マコノヒーの表情。若い彼には出せないいい味とも言えるし、年をとったとも~。また、元妻がそんな彼の何もかもがわかり手を差し伸べます。これは、検事と弁護士の夫婦だった頃にはにはできかったことだろうし・・・このへん、ニクイ関係ですね!

そして、ミックに情報をくれていた元刑事のフランクが殺される。それも、ミックの拳銃で。このことによりミックの心境はもう最悪の状態になったことでしょう。フランクを殺したのは、ルイスに違いない!とミックは思っている。
しかし、さすがは弁護士。冷静な態度で弁護だけはちゃんと弁護してルイスを無罪に~しかし、その裁判の中では、いろいろな真実も語られていくのです。

ルイスがミックに逆恨みして、元妻の家にやって来て子供に危害を加えようとします。でも、ミックが先にこれに気づいて元妻の家の前に待っていて、反対にミックと仲良しの暴走族がルイスをコテンパンにやるところ、こちらもスカーっとした気分になりました。

マシュー・マコノヒーは、「評決のとき」(もう、15年も前)は、若い一生懸命な新米弁護士のジェイク役でした。(でも、この映画では、サミュエル・L・ジャクソンの方が存在感がありましたが・・・))今回は、15年たって腕のたつ弁護士ミックの役。15年たてば、反対に弁護士を罠にはめてやろうという奴も出てくるのでしょう。
さすが、リンカーン弁護士ミックお見事!

リンカーン弁護士点数をつけるとしたら、79点
 




源氏物語 ー千年の謎ー

2012-06-26 | Weblog
源氏物語ー千年の謎ー

去年(2011年)12月に公開の映画。6月22日にDVDが発売された。

紫式部と藤原道長のいる実際の世界と源氏物語の中の世界が交互に出てくるのはおもしろかった。どちらかというと、藤原道長の出てくる世界の方が、興味があった。源氏物語の方は、まるで学芸会。配役も良くない。
まず、葵の上の役が多部未華子であったこと。葵の上と言ったら、光源氏の本妻だが年上であり、いつも源氏には冷たい態度で接している美人!!・・・・・もう少し、ツンとした美人さんにこの役やってほしかったです。
それに、どの御姫さまも棒読みのようなしゃべり方。これは、平安時代の言葉の感じをあらわすためにそのようにしているのか??
最悪だったのは、藤壺(三木よう子)この映画の中では源氏(生田斗真)の次に重い役柄。もう少しなんとかならなかったのか。

それに比べて、紫式部や道長の出てくる世界はまだ見られた。配役も道長が東山紀之、紫式部が中谷美紀、阿倍晴明が窪塚洋介と源氏物語の配役よりはだいぶベテランぞろいで見やすかった。(阿倍晴明だけが両方の世界に出てきた。)


私が、この映画をよく理解できていないのかもしれないが、なんか中途半端なところで「源氏物語」が終わってしまったように思った。ここで、紫式部が京都を去ることになるから終わってしまうのかもしれないけど、源氏物語の方は、まだもう少しあってもよいのにと思った。(「紫の上」の出てこない源氏物語??)

結局、この映画は藤原道長の身勝手さを語ろうとしてるのかな?もう一つよくわからない映画でした。まず、映画の初めのシーンが・・・・・紫式部が夜一人で歩いていると、道長がやってきて無理矢理自分のものにしようとする。そして、抵抗する式部にたいして道長は、「何をしても許される身分」と自分のことを言って、堂々と紫式部を手にかける。こういう男は最悪です。紫式部が抱きたいのなら、そういう言い方せずに「美しいから抱きたいと思った。」とかなんとか言い方があるでしょうが・・・・・道長がっかり(Q_Q)↓
この道長の傲慢さにたいする怒り、満たされぬ思いを紫式部は六条御息所の怨念として描いたということであろうか。

原作は、高山由紀子著「源氏物語 悲しみの皇子」。彼女は、この本の後にこの映画のためにもう一度「源氏物語 千年の謎」と書き下ろし、映画の脚本も書いている。
原作を少し読んでみたが、映画とは又少し違った内容になっていた。もしかしたら、こちらのほうが面白いかもしれないと思った。最初のシーンも少し違うし、・・・本当の源氏物語の中では六条御息所の怨念によって殺されてしまう夕顔(映画でもそのようになっていた。)。それが、原作では、六条御息所が化けて夕顔になっているのだ。六条御息所は地位も教養も屋敷も美貌も何もかもあるのに、源氏は訪ねてきてくれなくなった。それで、貧しくか細い女になろうとしたのだろう。夕顔が死んで源氏は悲しんでいるが、実際はばれては大変と死んだことにして六条御息所が屋敷にもどってくるところなど、読んでいてとても面白かったし、その情景が思う浮かぶ気がした。

原作はなかなか良さそうなんだけど・・・
この映画点数を付けるとしたら50点


最後の忠臣蔵

2012-05-28 | Weblog
最後の忠臣蔵

2010年12月ロードショーの映画。第35回日本アカデミー賞では、「八日目の蝉」が最優秀賞10部門に輝いたが、この「最後の忠臣蔵」も優秀作品賞や脚本賞をもらった。このとき、映像の一部を見て、役所広司がすごくいいので是非見たいと思っていた。
やっと、DVDを借りてきて見ました。よかったので2回見て、あといいところだけ又見ました!!

役所広司扮する孫左、こういう男にこそ男の色気を感じる

討ち入りの前に「今、命を無駄にせず、 私に命を預けたと思って生きてくれ。」と、大石に言われる瀬尾孫左右衛門(役所)。

瀬野孫左衛門は、討ち入りに参加することなく、大石のこれから生まれてくる子を守るように命ぜられる。孫左はもちろん大石に従って討ち入りには参加せず、自分に課せられた果たさなくてはならない使命として、大石とお産した後命を亡くした母親の代わりに生まれてきた可音(かね)を育てたのだろう。

赤ん坊を抱いて雪の中を孫左がやってくるシーンもすごくいい。

最初に孫左と可音様(かね)がでてくるシーンが、今は骨董品の商いをしている孫左が商いの旅からもどったところ。可音様は16歳になっている。孫左が、めっちゃ低姿勢なのに、可音(かね)様の口調がちょっと偉っそうなのでびっくりした。可音様は、亡き大石内蔵助の娘だから、武士の主従関係では当たり前のことなんだけど、最初の場面だけちょっと面を食らった。

美しいシーンが多く、これもこの映画のみどころと言えよう。一番綺麗だと思うシーンは、孫左が紅葉バックに歩いてくるところ。ここは、ずっと育ててきた可音(かね)様が、京都一の呉服屋、茶屋家の息子の嫁にと言われた後のシーン。この時、彼は可音様が茶屋家に嫁いで幸せになれるのだろうか?と考えているのか・・・・・。

ここで、ゆう様に相談するわけだが、・・・・・なんと、ゆう様は、元は島原の太夫。ゆう様が、雪の日に孫左が連れてきた赤ん坊の可音様にずっと行儀作法やお琴などの芸事などを教えてきた。いわば、先生であり母親代わり。
最後まで映画を見終わって考えると、ゆう様は孫左が好きだったからこのようなことをしたのか。可音様を大切に育っている孫左を手伝っているうちに彼のことを好きになったのか。

まぁ、ゆう様のことはどうでもよい。安田成美がやってたが、元島原の太夫というわりには、あまり色気がない。京都弁が下手。

可音様は、孫左とのこの暮らしを続けたいと孫左に甘えているが、「聞き分けのないことを言われなさるな!」とバシッと言われてしまう。可音様の孫左に対する思いというのは、恋とも言えるし、父親のようなそれ以上の暖かみのある愛にいつまでも包まれていたいような・・・・・一言には言い切れない複雑な思いなのだろう。

うちの中で二人でご飯を食べてるシーンもいい。それに、孫左と可音様の住んでる家がすごくいい。嵯峨野の雰囲気。

可音様自身が茶屋家に嫁いで幸せを感じてみたいと・・・・自分でこのことを決めたことはよかったと思う。


可音様が花嫁姿でこの家をしばらく振り返って見てるところも、何かじわ~っとしたものがこちらに伝わってきた。

終盤、花嫁に付いていくのは、孫左だけ。竹藪を通り川のそばを通り・・・・そうしてるうちにたくさんの大石のゆかりの武士達が可音様が嫁ぐことを聞きつけてやってきて、・・・・・その人数がだんだん増えて立派な花嫁行列となる。ここのシーンは感動!でも、武士達はそれぞれ可音様に挨拶するから、祝言の時間に間に合うのかなぁ?と思って、私は冷や冷やしていた。

可音様が祝言のために茶屋家に入っていく前、振り返って孫左を見る。この時、孫左が声に出さずに口を動かして何か言う。何て言ってるのかわからなくて、DVDだったから何度も見た。・・・・・「幸せにおなりなさい。」のようなことを言ってると思う。

さて、ここからがスゴい展開でびっくり!!
孫左は祝言に参加せず帰ったんだけど、孫左の席が空っぽになってしまって、可音様は悲しんだのではないかなぁとここのところでは思ってた。

家に帰ると、ゆう様がちょっとしたお祝いにお膳を用意してるということで、孫左はゆうさまの家へ。ここで、ゆうさまに言い寄られる訳です。まぁ、これは筋書き通り。ここのところで、可音様も嫁いだことだし、ちょっと月並みな終わりだけど、ゆうさまと孫左が上手くいくのかな?とも思った。まぁ、それもいいな!とも思った。

でも、違うんです。孫左は、いわばそういう次元の世界に生きている人ではなかったのだろう。孫左自身「孫左は武士でございます。」と言っているように、本当の武士だったのだろう。
孫左が自害したときはちょっとびっくりした。でも、よく考えてみると、孫左が仕えていたのは大石。だから、使名が本当に終わった今、討ち入りに参加できなかった自分が大石のもとに行くことこそが本望であるということはわかる気がする。

でも、ゆう様は、その少し前に「死んではいけません。」と言ってる。彼が死ぬかもしれないことをわかっていたのだ。何とか止めようがなかったのかなぁ。ゆう様は、「私は、16年間も可音様を育てるのをお手伝いして、あなたを待ちました。今私のものになって。」と言って、隣の部屋にお布団敷いてあっても、・・・・・孫左のほうは、「ゆう様、今やっと可音様が嫁いで、指命が遂行できたところなのに・・・・むごいことをおっしゃる。」・・・・・というようなことを孫左は言っています。
ゆう様がここでこのような出方をせずに、もっとゆっくり孫左を見守ったら、もしかしたら彼は生きてゆう様のものになったのではないか?

このように考えてることこそ凡人の考えで、孫左はこのような世界とは又別の世界の人のようにも思う。

最後に孫左が自害したことによって孫左は本当の武士であることはより鮮明なものとなった。

武士道というものはわからない。でも、この映画に感動し涙し感激するところが日本人の心なんだろうと思う。

点数を付けるとしたら 100点


プリンセストヨトミ

2012-05-19 | Weblog
プリンセストヨトミ

2011年5月公開の映画。TVでやってたので見た。大した映画ではないように思った。
まず、プリンセストヨトミ~すなわち大阪夏の陣、冬の陣で滅ぼされたはずの豊臣家の末裔が今も生きていて、そのプリンセスを大阪国が守っているというお話。

プリンセスと言っても彼女自身は、自分が豊臣家の末裔で大阪国に守られてることも知らない。彼女の仲良しのダイスケは性同一性障害なのだろうか、学校にスカートはいていくのでいじめられるのを彼女が助けている。このようなところは、ドタバタで見てて面白い場面も多いし、うなづけるところもある。

ここに3人の会計検査院がやってくる。鬼の松平(堤真一)、鳥居(綾瀬はるか)、旭(岡田将)。調べに入った財団法人OJOの古いビル。松平は、なんかおかしいと気づく。ダイスケの父であるお好み焼き屋の主人(中井貴一)が、松平をこのビルから地下に続く廊下を通って、地下の大阪国を納めている国会議事堂へと案内してくれる。このお好み焼き屋の主人が大阪国を治めている総理大臣というのはいかにも大阪らしい。

この作品は、「父と息子の絆」ということを語りたかったのであろう。でも、そのことと豊臣家がどう関係しているのかさっぱりわからない。
父が自分が死ぬことを悟ったら、息子を連れてこの長い廊下を歩いて、息子に大阪国の存在をそしてプリンセスを守らなくてはならないことを告げるのだ。
でも、ここでどうして「父と息子」だけでつないでいるのかもわからなかった。プリンセスを守るのは男の役目と考えてるのか?それとも、昔ながらの家長制度か?

地下に大阪国があるというのは、ちょっとしたファンタジー・・・・・と思ってたら、鬼の松平が実は父が大阪の人だった。死ぬ前に何度も電話してきて会いたいと言ってたのは自分にこの大阪国のことを知らせたかったのか・・・と思い、忙しいと言って父が死ぬまで一度も会わなかったことを悔いる。ちょっとどこにでもあるような落ちで面白くなかった。

でも、この大阪国を日本中のみんなに知らせて独立させようという旭の考えは上手くいかず、どこまでも人知れず地下の大阪国でプリンセスを守っていくと言うところはちょっとロマンがあるように思った。

点数をつけるとしたら58点

マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙

2012-03-31 | Weblog
マーガレット・サッチャー 鉄の女の涙
 The Iron Lady     (2012.3.28. 二条シネマにて)

 「英国王のスピーチ」の第二段(?)と言える作品かもしれない。「英国王のスピーチ」では、ジョージ6世の隠された真実をユーモアも交えてお話にした感じだった。しかし、この作品はユーモアを交えてという感じは全くなかった。真実だけを伝えてる感じがした。

 現在認知症がみられるマーガレット・サッチャーが、過去を思い出しているという形で映画は進行していく。今のサッチャーと若い頃からの一コマ、一コマが交互に現れる。そして、亡くなったはずのサッチャーの夫、デニスが今のサッチャーの幻覚として現れる。

 食料品店を営む父に育てられた彼女は、真面目で勉強家だった。初め保守党から立候補したときは落選。そして、デニスとの結婚。そして、保守党党首となり、首相にまで上り詰める。その様子が映画を見ていてよくわかる。人気が出るように声のトーンを変えたり、髪型を考えたり・・・・まだ、女性が政界に進出してない時代に女性だから特に外見や声、喋り方などに気を使ったことは、成功の秘訣だったに違いない。

 双子の赤ちゃんが生まれたときにデニスがプレゼントした2連の真珠のネックレスをいつも付けていて、「帽子と真珠のネックレスはやめたほうがいい。」と言われたときに、「帽子はやめてもいいけど、このネックレスは必ず付ける。」と、言ったところが印象的だった。

 フォークランド紛争の場面がとてもリアルに感じた。最初イギリス軍の艦艇がどんどんやられて行くときに、それでもサッチャーは戦い続けて勝たなくてはならない!という強い意思を貫く。さすが、鉄の女!そして、戦死した兵士の遺族に手紙を書くサッチャー。このようなことは、女の首相だからこそできたことだと思う。
最終的にアルゼンチン軍に勝ったときのイギリスの喜びは、映画の中からこちらにも伝わってきた。この勝利をきっかけにサッチャーの人気は急速に高まり、保守党はサッチャー政権で2度目の総選挙も勝つことになる。

 今のサッチャーが病院で医者に「どういう感じですか?」と聞かれて、サッチャーは、「どういう感じ?どのように感じるか?・・・・・・・どうしてどんな考えなのか?と聞かないの?どんなふうに感じるかよりどのような考えを持っているかということが大切なの。」というようなことを言いました。
すごい!さすがマーガレット・サッチャーだ!
私は、まず、物事に対して自分がどう感じるか、そしてそれが好きか嫌いかということが大切だと思う。だから、ここのところで日々物事に対しての考え方が、私とは違うなぁと思った。

 彼女を支えてきたのは夫のデニスなんだということは、映画を見ているとよくわかるし、デニスあってのサッチャー!とも言えるだろう。

 メリル・ストリープのための映画と言っても過言ではない。若いときのサッチャーの役は、アレクサンドラ・ローチ。この人も鼻筋がメリル・ストリープにそっくりで適役だったと思う。メリル・ストリープは、アカデミー主演女優賞を獲得。

 点数を付けるとしたら 80点

戦火の馬

2012-03-26 | Weblog
戦火の馬
War Horse  (2012.3.21.二条シネマにて)

しみじみと心が暖かくなってくるストーリー。
しかし、原作が児童文学というだけあって人間ドラマというよりも、ファンタジーという分類に入るのではないかな。

父が馬の競りで素晴らしいサラブレッドを手に入れてきます。息子のアルバートは、この馬をジョーイと名付けて、愛情を持って訓練し、世話をするのですが・・・・・しかし、第一次世界大戦となり、父はジョーイをイギリス軍に売ってしまうことに・・・・

ここからジョーイは、「戦火の馬」となるわけです。
ジョーイが「奇跡の馬」と言われたのは、ジョーイの血統の良さ、そして大変な境遇の中でもいつも飼い主がジョーイを心から愛してくれる人だったことに尽きると思います。

イギリス軍の将校、敵のドイツ軍の若い兵隊、お祖父さんと暮らすエミリー、そして又ドイツ軍へと。ここでは、重い大砲を積んだ車を引かされひどい目に会いますが、ジョーイの世話役の兵隊は、ジョーイともう一匹の黒馬のことを考えてくれます。

ジョーイとずっと一緒だった黒馬が死ぬとき、ジョーイの悲しそうなしぐさ。
この映画では、犬でもないのに馬がよくこれだけの仕草ができるなぁ!と関心しました。
最初のイギリス軍の騎兵隊の時に、2匹が仲良くしてるシーンも可愛いし、人間に対しての仕草には心温まるものもありました。でも、本当にこんなことするかな?と、ちょっと疑問を感じるシーンもありましたが・・・

ジョーイが逃げて行って、有刺鉄線にからまれて動けなくなります。この時、敵同士の兵士が心を一つにしてジョーイを助ける。ここのところ、とてもいい場面なんだけど映画ではよくあるお馴染みシーンのように感じてしまいました。

ジョーイはイギリス軍の野戦病院に連れてこられた。が、足が破傷風でやられていることで銃殺されるという時に、もとの飼い主アルバートのフクロウのような懐かしい口笛を聞くのです。アルバートは、兵士として戦っていましたが、毒ガスで目をやられてここに来ていたのです。ジョーイがアルバートのもとの飼い主だったことがわかり、医者も手を尽くして治療すると言ってくれる。・・・・・・でも、どうして、ここで急に医者の態度がこれだけ変わるのかわからなかった。もともと、ジョーイは、すばらしい馬だし、助かるものなら誰の馬でも助けたほうがいいのでは?

ここで、うまい具合に戦争が終わり、アルバートとジョーイは、家に戻っていく。
このシーン。左から地平線上に小さく人と馬が現れてだんだんと右の方へ歩いていくシーン!!!とてもよかったです。このシーンをもっと長く続けて欲しかったです。

最初の方にも馬の競りでジョーイがアルバートの馬となり、最後に又馬の競売にジョーイがかけられるというのは、映画らしくて面白いと思いました。この時、エミリーのお祖父ちゃんが競りに勝ってジョーイを連れていこうとしますが、ジョーイとアルバートの絆を知って、エミリーのお祖父ちゃんもジョーイをアルバートの手に残し去っていくのです。アルバートが別れの時にジョーイにつけた父の大尉旗が、この時エミリーのおじいちゃんの手からアルバートに帰ってくるというのもよかったです。

このエミリーのお祖父ちゃん、なかなかよかったです。Niels Arestrup、フランスの俳優さんなのでしょうか。1949年生まれということですが、もう少しお年を召しておられるように見えました。

この映画、最後アルバートとジョーイが家に戻り、父母抱き合うという場面ですが・・・・・感動シーンで心温まるのですが、なんか出来過ぎ!・・・・・
「奇跡のシンフォニー」を思い出しました。この映画は、最後に親子3人が奇跡的に会える・・・という映画でした。この映画も、こんなこと有り得ないし、父親が子供ができたことも知らずにいて、こんなに時間が経って急に子供がいたと言われてもこんな風に感激して受け入れられるのか??とか色々思いながらも、音楽の素晴らしさもあり、取り敢えず、胸にこみ上げてくるものはありました。

スティーブン・スピルバーグ監督の「戦火の馬」も子供向けの映画と思えば素晴らしい映画です。

点数を付けるとしたら75点






ものすごくうるさくてありえないほど近い

2012-03-20 | Weblog
”ものすごくうるさくてありえないほど近い”
Absolutely Loud Incredibly Close       
(2012.3.18. 二条シネマにて)

スティーブン・ダルトリー監督の作品と聞き、興味を持ち、是非見たいと映画館に足を運びました。彼の作品は、心、精神いわゆる人の内面を語ります。ストーリーではなく、その裏の世界があるような作品です。この映画も9.11で父親を亡くした11歳の少年のオスカーの心の物語と言えるでしょう

父が亡くなって一年後、オスカーはそのままになっていた父の部屋で青い花瓶の中の鍵を見つけます。彼はその鍵穴を見つけると父のことが何かわかるかもしれない・・・と考えます。そして、鍵の入っていた封筒に書いてあったblackと言う名前をニューヨーク中に探しての旅に出ます

映画の前半は陰気な映画だなぁと思ってました。
オスカーのおばあちゃんの家を間借りしているという人物(マックス・フォン・シドー)が、オスカーの鍵穴探しを手伝うと言い始めてから、急に話が盛り上がってきたように感じました。この人物は、しゃべれないという設定になってますが、なぜなんでしょうか?(ちょっと普通の人とは違うと言うところを強調したかったのでしょうか

オスカーは、アスベルカー症候群の疑いがあり、タンブリンを叩きながら気を落ち着かせて街中を歩いて行きます。そして、橋を渡ることがとても怖く感じています。でも、この間借りの人物が上手く渡らせてくれたり・・・・
この人物がバスの中でイビキをかき出して、オスカーが彼の口に自分の飲んでたジュースのストローを入れるところ、何か微笑ましいシーンでした

この人は、結局オスカーのおじいちゃんだったわけですが、途中で私はこの人は精神科医か心理学者かな?と思い、「シックスセンス」のマルコムを思い出していました。
オスカーは、おじいちゃんと最後まで鍵穴探しの旅ができなかったことは残念でした

鍵穴は見つかったけれど、それはオスカーの思っていた鍵穴とは全然違うものでした。
・・・オスカーが、あの3.11の日に父が電話をしてきたのに怖くて出られなかった・・・・・・
父の「いるのか?そこのいるのか?」と言う声だけが心に残って、・・・・
このことが父にに申し訳なく取り返しのつかないことをしてしまった・・・・・
その気持ちが9.11からこの時までの1年間オスカーをどんなに悔やませて苦しめてきたかがこの場面でよくわかります。

オスカーの父は、生前、オスカーの内向的な気持ちを和らげるためにいろんな冒険ゲームを考えました。様々な遊びを創作してオスカー少年の気持ちを和らげて外に向けようとします。オスカーは、言うまでもなく父が大好きで、このような冒険ゲームをしていたからこそ、blackを捜す旅もできたのでしょう

この映画の中で、オスカーの母は偉大だと思いました。オスカーは、母には何も話さないし、反抗的な態度。しかし、息子の部屋を見てblack探しの旅をしていることを知り、自分も・・・・・・・サンドラ・ブロック、最後とても素敵に見えました

「ものすごくうるさくてありえないほど近い」ものは、オスカーにとって、亡くなった父であり、言うまでもなく母であり、おじいちゃん、あばあちゃん、そして彼が訪ねていったblackさんみんなのことなのでしょう

点数を付けるとしたら、78点

  ☆スティーブン・ダルトリー監督のほかの作品:
   「愛を読む人」はブログに載せています。(2009.7.)

  ☆オスカーの祖父役のマックス・フォン・シドー
   「ロビン・フッド」でもいい味を出してました。
    (ロビンフッドが立ち寄る家の主で盲目の領主の役)
    詳しくは、2011.3.のブログに載せています。

ゲーテの恋 君に捧ぐ「若き日のウェルテルの悩み」

2012-03-17 | Weblog
ゲーテの恋 君に捧ぐ「若き日のウェルテルの悩み」
        (2011.Nov. 二条シネマにて)

5月2日にDVDリリース。もう一度DVDでも見たい映画です

ゲーテについて何も知らない私は、ちょっと教養のために・・・・・・
と思ってこの映画を見に行ったのですが、
とってもいい映画でしたのんびりと楽しめました
後味もいい(映画にとって後味は大切!)

私がこの映画を見て一番思ったことは、ゲーテってなんと女を見る目があるんでしょうということです。

若きゲーテが、法律の試験に不合格・・・というところから映画は始まります。

ゲーテは大学を去ることになり、父の勧めで田舎町の裁判所の書記見習いとして働き始める。
父は、時々ゲーテの寮にやってきて、ゲーテに「くだらん!作文ごっこか?このようなものを書いているようでは仕送りはしないぞ。」と、言いいます。(嫌なオヤジ
でも、何を言われてもゲーテは詩を書きたかったのですね。

この田舎町のダンスパーティーでゲーテはブッフに出会い、教会で歌う彼女に恋をします。

私が一番好きなシーンは、ゲーテがブッフに会いたくて会いたくてブッフの家へと馬を飛ばす ブッフもこの時ゲーテに会いたくてたまらなくなり、家で粉を買いに街に行くと言ってゲーテの寮へ馬車を走らせる でも、すれ違いとなり会えないままに〜がっかりしてお互いに帰っていく途中で会えるのです。
お互いに惹かれあってるんですね。
恋が始まった頃というのは、どうしてこんなにいいんでしょう!!
どの恋も恋の初めはピンク色
いいなぁ

ここで、ゲーテとブッフは結ばれますが、場所が石でできた建造物の上だから痛そうで無理があると思いました まぁ、雨は降ってるから屋根のあるところにいったのでしょうが・・・・雨のシーンじゃなくて、草の上で〜というわけにはいかなかったのかな

ゲーテの上司もブッフのことを好きになっています。何も知らずに上司がブッフを口説くための言葉を考えてあげるゲーテ・・・・・・でも、ゲーテの言葉には、文学的魅力が溢れている気がします

恋と愛は違うのか
ブッフとゲーテは恋に落ちました。そして、ゲーテは恋に敗れました。でも、なんとかならないかとその一連の恋を文章にしました・・・牢獄の中で。

ブッフは家族(父と幼い弟妹)を養うためにゲーテの上司と結婚を決めます・・・何日間も泣きはらした後で
最後にブッフが牢獄にいるゲーテに会いに行ったとき、彼女の恋はもう愛に変わっていた気がします・・・優しく「私や弟妹を養うためにこの田舎町に残るの?違うでしょ?これからも素晴らしい作品を書くんでしょ?」とゲーテに言うとき。

そして、結婚して落ち着いた彼女はゲーテの作品「ウェルテル若き日の悩み」を出版社に持って行きます。このことにより、ゲーテの作品は初めて世に出て人々に絶賛を得ることになる訳です。
ブッフは、ゲーテにとって恋人以上の人だったかもしれません。

映画の最後に、ずっと後にゲーテはブッフにもう一度合う機会があったことが語られていました。私はゲーテについて全然知りませんでしたが、これから先いくつも恋をしたことでしょう。しかし、このウェルテルの恋は女を見る目がありましたね。ブッフはすばらしい女性です。ゲーテの才能を誰よりも分かっていたのですから。そして、ゲーテを発掘したのは彼女であると言っても過言ではありませんから。

ちょっと、私事となりますが・・・・・・
私も13歳、中学2年のときに初恋に破れました。
そのとき、ちょうど国語の時間に「今一番心に思ってることを作文に書きましょう。」と先生に言われ、彼との一連のことを作文に書きました。400字詰め原稿用紙17枚。
この作文で私の才能を見つけ出してくれた人は誰もいませんでしたが、流石に当時あまり勉強してなかった私の中間考査、期末考査の点にしては、すごくいい成績(通知表)を頂きました。「Yと私と」という作文の御陰だったのでしょう。

ゲーテの恋〜点数を付けるとしたら97点

おくりびと

2012-01-07 | Weblog
おくりびと 
 (2012.1.4. TV新春ロードショーにて)

2008年に公開の映画。第81回外国語映画賞、第32回日本アカデミーショーに輝いた作品。
この映画を見た誰もが「いい映画!」と言ってた。でも、私は見る気にはなれなかった。葬儀屋さんになった男に映画??死について何が語りたいんだ??・・・・・・と、この映画に対して反抗的態度だった。だから、ずっと見ませんでした。

それが、どういうわけかお正月TVでやってたので見ようと言う気になった。

いい映画でした。

葬儀屋と納棺師は全然違う職業です。

主人公の小林大悟(本木雅弘)は、チェロ奏者の夢を諦め、妻の美香(広末涼子)と 故郷の亡き母の残してくれた家に帰る。そして、ひょんなことから納棺師となる。最初のうちは納棺師という仕事に嫌悪感を抱き悩むが、だんだんとこの仕事に誇りをもつようになる。

最初の部分、大悟の初仕事で「ご遺体のお身体を綺麗にさせていただきます。」と、着物で体は隠れたままでそっと拭き始める。・・・・・と、???綺麗な女の人なのに?
「ついてます。社長。」と小さな声で。
お笑いの映画なのかと思ってしまった。この部分が観客を引きつけてると思った。

大悟は、「旅へのお手伝い」という募集広告で面接に行って会社に入ったので、詳しい内容もわからないままに納棺師の仕事をすることに〜
ひどい死体を見た日はご飯が喉をを通らないし・・・・仕事のことは詳しく妻に語れない。

社長役の山崎努がとってもいい味を出していた。「9年前に妻を亡くしたときに彼女を美しくして送ってやった、つまり第一号。それから、ずっとこの仕事をしている。」とのこと。

また、舞台が山形というのが良い。自然の描写、特に山が綺麗。山形の方言もいい。

納棺師の仕事に疑問を感じながらも続けていくうちに、ご遺体をきれいにしてお化粧をしてお感に入れた後、妻が亡くなってイライラしていた夫に「今日の妻が今までで一番綺麗だった。」と言われたり・・・・・いくつものご遺体をお棺に丁寧に心を込めて収めていくうちに大悟にはこの仕事の意味がわかってくる。映画を見ていて、私自身もだんだん納棺師の仕事の意味がわかってきた。

大悟が無性にチェロが弾きたくなって夜に一人で弾いているシーンもよかった。この映画の中でチェロはオシャレで音楽的にもいい雰囲気を出している。

また、山形で大悟と美香が住んでいる家がノストルジックなイメージですごくいいと思った。父が喫茶店をしていたが、女を作って出ていった後、母がスナックをしていたということで、独特な感じがする。

父が好きだったレコードが今も綺麗に取ってあることから、「お母さんは、ずっとお父さんのことが好きだったんだよ。」と、美香が大悟に言うところ印象的でした。大悟は父が許せないと思ってるけど・・・・

いつも親切にしてくれていたお風呂屋のおばちゃんが亡くなり、大悟がお棺に納める。この時に美香は、夫の仕事を初めて目の前で見ることに。そして、今まで夫にこの仕事をやめてほしい!と思っていただが、納棺師という仕事を理解するようになる。美香が、自分の夫が納棺師だなんて嫌!子供が生まれたらいじめられるかもしれない!恥ずかしい仕事!・・・・・と思った気持ちもよくわかるし、又実際、この厳かな、それでいて温かみのある納棺の様子を見たら思っていたことも吹っ飛び、夫の仕事を理解するようになったのも理解できる。

風呂屋のおばちゃんの役は吉行和子。この人の山形弁がとってもよかった。

大悟が川原で石を拾って美香に渡して、「石文(いしぶみ)だよ。まだ、文字がなかった頃に石を渡して気持ちを伝えたんだ。」と言った。なんとロマンチック!父と一度だけ石文をした。でも、父はそれからすぐ出ていった。大悟の心は、父を恨む気持ちで一杯なのだろう。まぁ、母と自分を置いて女と出ていったんだから・・・

そんなある日、父がある漁港で亡くなったという知らせが大悟のところに。大悟は初めは行こうとはしないが、美香や会社の人に言われて社長の車を借りて漁港に向かう。父は一人で漁港の手伝いをして暮らしていたとわかる。
父の身体を拭き、手を拭こうとしたときに、手から石がこぼれ落ちる。死ぬ前に大悟のことを考えていたのかもしれないし、ずっと家に帰りたかったけれど帰れなかったのかもしれない。大人になるほど、素直に自分の思ったとおりの行動が出来ない場合もある。

この時、大悟はもう父のことを許していたと思う。大悟は納棺師の仕事をこれからもずっと続けていくことだろう。

とてもいい映画でした。お気軽に見られる映画です。
ずっと前に私の父が亡くなったときに、お葬式は父を送るこの世で父のための最後の大切な式なんだと思いました。この映画を見てそのことを思い出しました。
暖かい雰囲気の中で送って上げられるように、納棺師はお手伝いをしてくれているのでしょう。



点数をつけるとしたら89点