昨日、町内では一足先に敬老の日のイベントが行なわれました。
地区ごとに、やります。わが地区は、我家から比較的近い所なんですが、
お昼過ぎ、それに出席する姑(ハハ)をソラジが送って行きました。
昼寝を済ませ、キンピラと冬瓜の下処理に奮闘してる傍で、ソラジがウロウロ
洗濯物を取り込みに出るとそのイベントの帰りらしい人の姿が、
「そろそろ終ったようよ」
「買い物によってるだろうから」
それからずいぶん経ってから、電話が、
すでに帰ってきたらしいのです。
「電話セェって言っといたやろう 」
姑(ハハ)は、待ってる人の事に気が廻らない人です。
帰ってすぐ、「迎え、要らない」と電話くれたら、、と思うんですが、
夕方のワンコの散歩の時間になってもやってこないので電話しがきたらしいです。
「今、行く 」って、切ってました。
「たまには、歩かな」と思ったそうです。
でも、歩き出したら途中で電話できるところはありません。
疲れて、座り込んだのか、、、、
ともかく、まだまだ、生きる気力は衰えていないという事でしょう。
今日、里への定期便。
さつま芋のお味噌汁が美味しかったそうです。
冬瓜も炊いたそうです。
切ったら、足が速いから下ゆでして余った分は冷凍しとくように、
冬瓜は結構硬いのです、それらの事できる?って念を押して送ったのですが、
去年も、そう言ってたのですが、
「お向かいに、三分の一上げて、まだ残っとる。」
「残った分、下茹でして冷凍しといた方がいいよ」
そう言ったでしょうとは、言わなくなりました。 少し、成長
食欲も衰えず自分でやってるんだから、良しとしましょう。
子供に帰るっていうけど、二人とも、もっと、誉めてあげればよかったのかな
「自分で歩いて帰れたんですか すごーい 」
「お疲れ様 」
「さっそく料理したの、硬かったでしょ。 」
「頑張ったねー 」
でも、急に変わったら、
急に変わるとびっくりされますから
まだまだ今のままでいいのでは・・・
お気持ちよく分かる~~~~~~~
そうなんですよね。
お迎えいらないならいらないと連絡欲しいですよね。
里のお母様にも、毎年繰り返し同じとこと・・・・
私もいつも言葉をさえぎりそうになっては・・・・
あっと思い気にしていますが
んばかなかね~~~~
>自分で歩いて…
>さっそく料理したの…
似た言葉はボランティアに行った時は言ってる様に思います
所が母に言っていただろうか?
チョット疑問に思います
認知症が出てからは 受け止めて誉めていた様な記憶があります
急には変われないけど 相手の思いを受け止めて此方の思いを引くのも一手かと思うけどね
(偉そうに言ってゴメンナサイ)
マイ畑の隣の奥さんは 肥料の袋に泥を入れて牛蒡を育てていましたよ
抜くのが超簡単だなんて言ってね
それが結構育っていましたよ
何度も~ 分かってられる でも 言って 欲しいのです(笑)
親孝行のつもりでねっ!
それが 出来る のん太さん お幸せですよ
親が居なくなって ああ~と 思う事イッパイ!
中々身内にはやさしい事言えない私です。
同じように、あの時もうちょっと優しく言っとけばよかったなんて思っちゃいます。
母の事もついつい余計なひと言行ってしまい後で後悔します。
のん太さんよ~く分かってらっしゃる。
ちょっとばかな事質問です。
冬瓜って冷凍がきくのですか?
思っていたのですが、気がつくと気弱な年老いた二人がいます。
何時までこの状況でいられるか、、、だんだん不安が加速します。
kokeさんも、出来る時に声を聞かせてあげて
顔を見せてあげて、私も、、、
じゃ、無くなってるのに愕然とします。
つい、きつい事を言ってしまいます。
そうですよねー、、、、こちらの思いは、ここで吐き出して、
きっと、残りは長くないと思います。グッと堪えて、
肥料の袋のアイデア、
種がまだ残っています、来年試してみます。ありがとうございます。
誰かが笑ったかも、、、
でも、時々度々、、、ここで愚痴らせてくださいね、
でも私は、母とは一緒に暮らした時間が短い所為か、、
遠慮があります。
時々、自分がとっても冷たい人間みたいに感じて、悲しくなります。
冬瓜は、下茹でして置くと冷凍できますよ。
1個を必要な分使って、残りを冷凍しておきます。
その時は大変ですが、後で便利に使っています。
残して駄目にする事も無くって