ノイバラ山荘

花・猫・短歌・美術な日日

秋の中山道(馬籠~妻籠)ハイキング①

2009-09-30 00:08:28 | 
昨年、廣重の東海道五十三次の歌55首を作ってから、
中山道をいつか歩いてみたいと思っていました。

バス旅の案内を見て、都民の日のハイキング♪
とごく軽い気持ちで申し込みました。
気候もいいし、そろそろ紅葉も始まっているのでは♪

日本の歴史も地理も私にとっては闇です。
中山道の全貌、調べてみたら2006年にこんな番組がありました!


街道てくてく旅

歌川廣重・渓斎英泉によって描かれた
『木曾海道六拾九次之内』に沿って歩くという番組。


馬籠宿を英泉が、妻籠宿を廣重が描いています。
かなりの山・・?(・ω・;A

中山道第43番の宿、馬籠は島崎藤村のふるさとです。

『夜明け前』の書き出し。
いい文章だなあ~。

「木曾路(きそじ)はすべて山の中である。
あるところは岨(そば)づたいに行く崖(がけ)の道であり、
あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、
あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。
一筋の街道(かいどう)はこの深い森林地帯を貫いていた。
 東ざかいの桜沢から、西の十曲峠(じっきょくとうげ)まで、
木曾十一宿(しゅく)はこの街道に添うて、
二十二里余にわたる長い谿谷(けいこく)の間に散在していた。
道路の位置も幾たびか改まったもので、
古道はいつのまにか深い山間(やまあい)に埋(うず)もれた。
名高い桟(かけはし)も、蔦(つた)のかずらを頼みにしたような
危(あぶな)い場処ではなくなって、
徳川時代の末にはすでに渡ることのできる橋であった。
新規に新規にとできた道はだんだん谷の下の方の位置へと降(くだ)って来た。
道の狭いところには、木を伐(き)って並べ、藤(ふじ)づるでからめ、
それで街道の狭いのを補った。
長い間にこの木曾路に起こって来た変化は、
いくらかずつでも嶮岨(けんそ)な山坂の多いところを歩きよくした。
そのかわり、大雨ごとにやって来る河水の氾濫(はんらん)が
旅行を困難にする。
そのたびに旅人は最寄(もよ)り最寄りの宿場に逗留(とうりゅう)して、
道路の開通を待つこともめずらしくない。
 この街道の変遷は幾世紀にわたる封建時代の発達をも、
その制度組織の用心深さをも語っていた。
鉄砲を改め女を改めるほど旅行者の取り締まりを厳重にした時代に、
これほどよい要害の地勢もないからである。
この谿谷(けいこく)の最も深いところには
木曾福島(きそふくしま)の関所も隠れていた。
 東山道(とうさんどう)とも言い、
木曾街道六十九次(つぎ)とも言った駅路の一部がここだ。
この道は東は板橋(いたばし)を経て江戸に続き、
西は大津(おおつ)を経て京都にまで続いて行っている。
東海道方面を回らないほどの旅人は、
否(いや)でも応(おう)でもこの道を踏まねばならぬ。
一里ごとに塚(つか)を築き、榎(えのき)を植えて、
里程を知るたよりとした昔は、旅人はいずれも道中記をふところにして、
宿場から宿場へとかかりながら、この街道筋を往来した。」

馬籠の記述もあります。

「馬籠(まごめ)は木曾十一宿の一つで、この長い谿谷の尽きたところにある。
西よりする木曾路の最初の入り口にあたる。
そこは美濃境(みのざかい)にも近い。
美濃方面から十曲峠に添うて、曲がりくねった山坂をよじ登って来るものは、
高い峠の上の位置にこの宿(しゅく)を見つける。
街道の両側には一段ずつ石垣(いしがき)を築いて
その上に民家を建てたようなところで、
風雪をしのぐための石を載せた板屋根がその左右に並んでいる。
宿場らしい高札(こうさつ)の立つところを中心に、
本陣(ほんじん)、問屋(といや)、年寄(としより)、伝馬役(てんまやく)、
定歩行役(じょうほこうやく)、水役(みずやく)、七里役(しちりやく)(飛脚)
などより成る百軒ばかりの家々が主(おも)な部分で、
まだそのほかに宿内の控えとなっている小名(こな)の家数を加えると
六十軒ばかりの民家を数える。
荒町(あらまち)、みつや、横手(よこて)、中のかや、
岩田(いわた)、峠(とうげ)などのがそれだ。
そこの宿はずれでは狸(たぬき)の膏薬(こうやく)を売る。
名物栗(くり)こわめしの看板を軒に掛けて、
往来の客を待つ御休処(おやすみどころ)もある。
山の中とは言いながら、広い空は恵那山(えなさん)のふもとの方にひらけて、
美濃の平野を望むことのできるような位置にもある。
なんとなく西の空気も通(かよ)って来るようなところだ。」

「高い峠の上」・・うん? (´・ω・`)
峠越えの道ではありませんか!

ツアーの案内書をよくよく読むと、
馬籠から馬籠峠を越えて、妻籠へ行くとあります。
峠を越えて9km3時間! (´;ω;`) ひ~嘘だろ~
高尾山にも最近ご無沙汰の私に歩き通すことができるのでしょうか。

なあに~大丈夫ですよ~という添乗員さんの力強い電話の声に励まされ、
ほ、ほんとかな・・(・ω・;A ←心配性
どきどきしながらその日を待つ私です。

続きはこちらへ。

「万華鏡展」@Bunkamura Galleryと「ウィーン世紀末展」@日本橋高島屋

2009-09-29 19:46:36 | 美術
同僚の傍嶋飛龍さんが出展しているBunkamura「万華鏡展」


マッシモ・ストゥリーノ「Peacock」作品と画像

山見浩司「MIRIAM」作品と画像
写真はいずれもBunkamuraHPより。


傍嶋さんのコーナー。
最近は絵だけでなく、万華鏡の世界にも進出しているのだ。
HPの日記に詳しい。
写真はHPの日記より。
割合に自分の仕事を皆に話す人なので、
まるきり素人だった彼がどのように工夫を重ねて万華鏡を作り上げていったか、
また新デザインを開発していったか、身近で見てきた。
英語と同じでこの達人の方法を見習えば、
私も何かのプロになれるかもしれないのだが、
いつも優秀な人が傍にいながら、ちっとも見習えていない(・ω・;A

「劇的に変化した現代万華鏡」と展覧会の説明には書いてあるが、
こんな万華鏡の世界があることすら知らなかった。
1960代からアメリカで始まった「カレイドスコープ・ルネサンス」によって
改良が加えられ「大人のための芸術品」が作り出されているのである。
どっしりとしたアールヌーボー調の室内装飾にもなるものから、
指輪やペンダントといったアクセサリーにいたるまで、
常識的に考えていた万華鏡をはるかに越えている。
しばし夢の世界に遊んだ。


Bunkamuraに私のハートはがっちりつかまれて、
同時開催の「優美なるアクセサリー展」でベネチアングラスのイヤリング、
隣のアートショップ「アーツアンドクラフツ」で子ねこのピッチの絵葉書
と藤田嗣治画文集『猫の本』を買ったのだった。

昼はBane BAGUS(バネバグース)で食べ放題のランチビュッフェ980円。
駅まで引き返す途中、立て看板を見て入ったのだが、
夜はダーツとビリヤードのお店に変身するらしい。
一瞬、私が入るべきお店ではないと思ったが、
ベビーカーを押した家族連れが入ったので、後をついていった。
仕事途中の人、女性一人、家族連れなど、
時間に制限がないので、のんびりとしている。
お料理はスープ、サラダとパスタとカレーが数種ずつ、
飲み物も数種、デザートもアイスクリームなど。
ミミガー入りのサラダ、トマト味のペンネとバニラアイスがおいしかった。

日本橋高島屋に移動。
招待券をいただいたので、「ウィーン世紀末展」を観る。

タカシマヤHPより引用。
>ウィーン・ミュージアム所蔵
ウィーンの黄金時代を彩った画家たち。
19世紀末ウィーンー保守的な芸術を脱し、
アカデミズムに訣別を告げた「ウィーン分離派」を中心に、
絵画、建築、デザインなどの分野を超えて表現者たちが交流し、
彼らの独創的な表現がウィーンを彩りました。
本展では、ウィーン・ミュージアム(旧ウィーン市立歴史博物館)の
コレクションの中から、クリムト、シーレをはじめ、
マカルト、モル、モーザー、オッペンハイマー、ココシュカらの
選りすぐりの絵画約120点を公開いたします。


エゴン・シーレ《自画像》部分
1911年 油彩

エゴン・シーレとクリムトしか見たことがなかったが、
今回はその前後のアカデミックな絵画と自然主義の絵画も見ることができた。
シーレとクリムトの作品は、大人しいものが多く、少し物足りなかった。
彼らに特徴的なエロティックなものがもっとあるとよかったと思う。

同じ階でやっているというのも笑えるのだが、
「北海道物産展」で息子のためにブルマンベーカリーの
カレーパンとメロンプリンパンを買う。
お昼のバイキングで一日分のカロリーを摂取してしまったらしく、
全くお腹がすかず、味見させてもらったチーズケーキは絶品だったが、
購買意欲がわかなかった。

6階の美術画廊もチェック。
そういえば去年の11月には野又穣を観に来たのだ。
世田谷美術館のH本さんのご紹介だった。
世田谷美術館も長く行っていないが、
今「オルセー美術館展」をやっているので、遊びにいこうかな。

秋は同僚と知人の展覧会が目白押しなので、
うれしいけれど忙しいのだ(・ω・;A ふーふー

秋の影

2009-09-24 14:13:30 | 日常
お掃除している時に見つけた秋の影。


東の窓のネル。

以前は大きな花桃の木があって、毎朝、
小鳥がにぎやかに囀っていたのだが、
その木がなくなって、跡継ぎはまだ
2メートルほどの高さにしかならない。

彼女は恋人の声のような囀りを待っている。

   * * *

ぎりぎりで結社誌の8首を投函した。
明日はお墓まいり。

同僚の展覧会など、月末までに日本橋・渋谷・鎌倉に
行くつもりだが、方向的に一日ですますことができない。
鎌倉では1日、のんびりと歩いてみようかなあ。

へんこつ

2009-09-23 21:02:00 | 日常
シルバーウィークで工房は大混雑、さらに道路の渋滞でよろよろであるが、
帰宅して着替えて、ダッシュする。

昨年は3月29日の風(fuu)だった。
今年は小料理屋「へんこつ」。


「へんこつ」は時々前を通るのだが、「小料理屋」=「私には関係のない
場所」=「色っぽいおねえさんのいる場所」だと思っていた。
それが、パワフルで真面目なお勤め人、O原さんご夫妻
行きつけのお店なのだった。

こじんまりとしていて、ゆっくりとくつろいでお話することができて、大満足。
お料理も家庭料理風で、親しみやすいのである。

パープルシスターズはもともと英語の勉強会であるが、
主宰のE藤さん本業多忙のため、年に一度、飲んだり食べたり、
旅行に行ったりして友情を温める集まりになっている。

今年はいつものメンバーに京都から米国人キングさんが加わって6人。
いずれ劣らぬ英会話堪能の才女と英語の先生、
しかも団塊の世代のメンバーだ。
私はここでも聞き役なのである。
いつも私のまわりには有能な方が多いので、
見習っていれば今頃は違う人生を歩んでいると思うのだが、
ちっとも見習えていないところがご愛嬌なのだ。
能力の違いはいかんともしがたい。(´・ω・`)

パープルシスターズのメンバーにいつお会いしてもいいなあと思うのは、
しめっぽい愚痴や病気の話にならないところである。
いつも現在の生活を楽しみ、
家族や自身の怪我や病気も困難も笑って乗り越えていらっしゃるのだ。


キングさんは銀色に髪が輝き、お茶目な少女のような表情をなさる。
お若いころから仏教の修行をしていらして、
この夏の北海道での修行を説明してくださった。
私にはちんぷんかんぷんだが、どうやら、いつぞやの「合宿」のときに、
「瞑想」を習って皆で行ったらしい。
身につかないことは、すぐに忘れるのである。(´・ω・`)

毎年のように泊りがけの「合宿」で、山中湖や白馬、開田高原、
キングさんのご案内の京都、愛知のI藤さんのお宅など、
ずいぶんご一緒させていただいたなあ。

いろいろと話は尽きないが、
皆さんの海外旅行のおみやげなどをいただき、
あっという間に楽しい時間は過ぎた。

来年は、藤野の私の職場でお泊まり会、
その次は帰国されるキングさんのコロラドの新居
(これから建てる)を訪ねる旅になるらしい。
クマやピューマが日常に出没するワイルドな土地だそうだ。
わくわく♪

もうすっかり英語の回路は死んでいる私であるが、
キングさんのお話を聞いているうちに、かすかに甦った。
が甦ったかと思った時にはお別れなので、
再来年コロラドに行くまではまた冬眠状態に戻るのである。

代行タクシーで帰るE藤さんたちをお見送りして、
I本さんと気持ちのよい夜のとちのき通りをおしゃべりしながら帰る。
最近、I本さんは英語ばかりかハングルにまで手を伸ばして、
韓流映画にはまっていらっしゃるそうである。

I本さんが歌ってくださったので、今日はチャングムの主題歌で♪

今まで歌詞を知らなかったのだが、悲しい恋の歌なのだった。

清澄庭園と「伊藤公象―秩序とカオス」「メアリー・ブレア展」@東京都現代美術館

2009-09-19 23:22:23 | 美術
涼しくて、お散歩が楽しい♪

半蔵門線清澄白河下車すぐの清澄庭園

回遊式林泉公園というのだそうである。
もとは紀ノ國屋文左衛門別邸→大名下屋敷→岩崎家所有(明11)
→東京市が一般公開(昭7)と古い。
全国の名石が各所に配置してあるのが特色なのだが、
石に興味のない私にはネコに小判。


曼殊沙華が咲き始め、萩が盛りであった。

入り口でおじさまたちの集合写真を撮って差しあげる。
カメラを持っているせいか頼まれることが多いのだが、
両手に日傘とカメラと財布を握り締めている上に
日焼け予防の手袋までしていたので、
頼まれるとあたふたとするのである(・ω・;A

清澄庭園は9つある都立庭園の一つ。
9つそれぞれ特色は違うが、私の満足度によるランキング。

洋風庭園は旧岩崎庭園と旧古河庭園だが、
建物では岩崎、季節のバラでは古河。
優劣つけがたい。

日本庭園では、なんといってもトップは①小石川後楽園、
②浜離宮恩賜庭園、③殿ケ谷戸庭園、④清澄庭園、⑤六義園と続く。

あと2つの旧芝離宮恩賜庭園と向島百花園は未体験である。
いつか行ってみたいものである。


清澄庭園を出て、東京都現代美術館に向かうために
駅に引き返そうとしたところ、深川資料館通りが
面白そうだったので、寄り道する。


深川資料館は改装のためにしばらく休館だが、
案山子のコンテストをやっていて、歩道にずっと展示してあるのだ。
私のような案山子もいるのだ(笑)


インフォメーションセンターになっているお店。
案山子やお店やお寺を見ながら歩いていると、どうも前回、
現代美術館へ行ったときに見た風景と似ているので、そのまま歩くと、
看板が出ていて、矢印に従い美術館まで着くことができた。


途中でやはり前回と同じお店で割れ煎餅を買う。
昔ながらののんびりしたお店で、おじいちゃんが店番をしている。
深川土産だが、草加煎餅なのである。

道中、美術系と思しき若い女性とカップルがぞろぞろと歩いていて、
彼女たちは「メアリ・ブレア展」目当てらしい。
私は「伊藤公象」が目的だったのだけれど、
チケット売り場で「メアリ・ブレアのついでに観ると半額」に
くらくらときて、メアリ・ブレアも観ることにした。
伊藤公象が付録的な扱いなのはいかがと思うが、伊藤を観に来るのは
陶芸関係の渋い人か一癖ありそうな現代美術好きであるので、
メアリ・ブレアの会場の華やかさ・熱気とは正反対の世界だ。

私はといえば、ウォルト・ディズニーのアニメ映画で育った世代なので、
そのコンセプト・アートを描いていたブレアは、
うわわっ、なっつかしいなあ~(´;ω;`) という世界だし、
伊藤の陶磁による抽象的なアートも、イマジネーションを掻きたてられて、
むちゃくちゃ好きな世界なのである。
私ほど両方堪能した人はいないのではないかと思う。

「伊藤公象」

現在77歳、笠間の陶芸家なのだが、その抽象的な作品は現代美術だ。

陶磁で作られていながら、紙のようであったり、金属のようだったり
貴石のようであったりして、いわゆる陶磁器には見えない。
ひとつひとつのピースは片手か大きいものでも両手で持てるくらいの
大きさのもので、それを会場にあわせて、数や並べ方を変えるのだ。

私が心惹かれたのは、17点の作品のうち、
③アルミナのエロス(1984/2009)、
⑪土の壁―青い凍結晶(2007)、
⑫土の肉、土の刃Ⅱ(1993)、
⑮木の肉、土の刃(1991)、
⑰白い襞(2008-9)。

まず、形や質感の面白さに魅かれて、まわりをぐるぐる回ったり、
行ったり来たりして見るうちに、さまざまな感情が湧いてくる。
アルミナを箱に入れて焼いて出来た純白の壊れたキューブを
円形に並べたものは氷原に見え(③)、
四角い皿上のものに泥漿を流し入れて凍らせて焼いたものは、
青い陶板の表面にできた氷の線描が鳥の羽に見え
夜の森にいるような気がしたし(⑪)、
心にしんしんと切り込まれてきてわけの分からない感情が湧いてきて
快感を感じるものもある(⑫⑮)。
最後の⑮白い襞は素材が紙で、磁器のように見える紙と言おうか。
素材に対する常識的な考えが揺さぶられてひっくり返される喜び。

作品のまわりを歩きながら景色を見、造った人の思想を感じ取るのが、
さきほど歩いた回遊式庭園と似ていると思った。

インタビュー・ビデオを観ると、彼が作品に表そうとした思想が語られていて、
それが作品を観て受けた印象と同じだったことに驚いた。
現代美術は文章で説明されなければ分からないものが多いので、
苦手なのだが、作品を観るだけで分かるというのはすごい。

表裏一体であるエロス―タナトス、生―死、有機―無機。
そして、観るもののイマジネーションを刺激する形。
恣意ではなく、自然に語らせる、生成のいとなみの痕跡である襞。

素材にのめりこみすぎると伝統工芸になってしまうので、
素材と距離をとるのだ、とおっしゃっていたのが印象に残った。


「メアリ・ブレア」


美貌、才能、名声、夫、子に恵まれたサクセス・ストーリーが
若い女性に受けるのだろう。
画の前に立つと、幸せになる色なのだ。
写真を撮ることが許されている部屋が最後にあって、
みな、嬉しそうに記念写真を撮りあっていた。

「小さな家」など短編の映画を会場の各所で観ることができて、その中の
「メイク・マイン・ミュージック『ふたつのシルエット』」(1946)は
先日の「ハリー・ポッター」の美しい魔法を
見ているような気持ちになった。

ディズニー映画をアメリカ人はもちろん楽しんだだろうが、
戦後貧しかった私達にとって、ほんとうに美しい魔法のような映画だった。
幼い私は貧しさを実感してはいなかったが、映画を観に私を連れていった
父にとって、戦争で死にかけたあと、たった一人で働いて、
呼び寄せた家族と雨漏りのする部屋で暮らしているときに観たディズニー。
いわゆる、豊かな良きアメリカだった。

もうすこし大きくなってから、「バンビ」は家の映写機で何度も観た。
和室にスクリーンを下げて、近所の子たちと一緒に観た。
バンビの友達「とんすけうさぎ」というのが出てきて、
足で得意そうに地面を蹴る仕草がかわいくて大好きだった。

「わんわん物語」「眠れる森の美女」は映画館で観たし、絵本でも読んだ。
「チップとデール」「ピーター・パン」「シンデレラ」「ダンボ」は
絵本で読んだのちにテレビで観たのだと思う。
「小さな家」「不思議の国のアリス」は原作の方が好きだった。

人物の動作がなんともいえず優美だ。
そのころ「白蛇伝」という日本のアニメ映画があって、
お正月になるとテレビで放映していたけれど、
あの人物の優美な動きはディズニーの真似をしていたのだろう。

のんびりの私にはのんびりの映画が好ましいのだった。

「夏の遊び場」

常設展の会場では、「夏の遊び場」という企画展示がなされていた。

一番面白かったのが、栗田宏一の「ソイル・ライブリー」だ。
全国365ヶ所の土を採取、篩にかけたものを小さなガラス瓶に詰め、
産地名のラベルを貼り、1.5m×4.5mの白い楕円のテーブルの縁に
ずずっと並べてあるのだ。
土色なのだが、灰、緑、青、赤、朱、紅、クリーム、白に傾く
デリケートな色が、グラデーションで並べられていて、
こんなにいろいろな土の色が、こんなに美しい土の色がと、感動した。


美しい魔法――「ハリー・ポッターと謎のプリンス」

2009-09-17 23:05:50 | 映画
「ハリー・ポッターと謎のプリンス」@吉祥寺セントラル

公式ホームページ

7月からやっていたのだが、もうすぐどこも上映が終りそうなので、
あわてて観に行ってきた。
シリーズ6作目、開始からもう6年になるのか!

一作目から欠かさず観ているが、1年ごとなので、
前作までのストーリーを忘れていて、
出てくる名前が分からなくなる☆(◎ω◎)☆
原作を読んでいないので、余計に忘れる☆☆(◎ω◎)☆☆
しかも、ここ数年、豊作なファンタジーもの「指輪物語」やら
「ナルニア国物語」とごっちゃになってしまっている☆☆☆(◎ω◎)☆☆☆

今作もラストに向かってのつなぎという感じなので、
シリーズ完結まで観ることになると思う。

スラグホーン先生が語る、ハリーの殺されてしまったお母さんの
美しい魔法が印象的だった。

――プレゼントされたガラス瓶に水が張ってあって、
百合の花びらが浮かんでいる。
花びらが沈んで底に着くと、それは魚に変わる。
しばらく飼っていた魚は、ハリーのお母さんが
死んでしまうと同時に消えてしまったのだ。――

今回はこのスラグホーン先生がキーマンとなり、
ハリーの父母をも殺した悪の帝王ヴェルデモートの正体が明かされる。

立川で観るつもりが遅い時間しかやっていなかったので、
吉祥寺まで行って、映画だけ観て帰って来る。

鬼の窟(いわや)古墳

2009-09-17 09:35:50 | 
宮崎のオプションツアーで出かけた西都市、西都原(さいとばる)古墳群。
3世紀中頃から7世紀前半のものらしい。
比較的新しいものの中に、鬼の窟古墳(6世紀後半)がある。

この鬼の窟古墳には伝説があって、HP「PhotoMiyazaki-宮崎観光写真」に詳しい。

引用させていただく。

・・・木花開邪姫(このはなさくや姫)を嫁にと願う悪鬼が、
父の山の神、オオヤマツミから一夜で岩屋をつくる様に言われ、
一夜で完成させたところという伝説があります。 
コノハナサクヤヒメを嫁にと願う鬼は山の神、
オオヤマツミの指示どおり一夜にして岩屋を造り遂げます。
安心した鬼はうつらうつら・・・夜が明けて鬼がおきて見ると
ちゃんと完成したはずの岩屋の石が一枚抜けています。
これは朝、鬼が寝ている間にオオヤマツミが
石を一枚抜き取った跡とも言われています。
オオヤマツミが朝あわてて岩屋から抜き取って投げたこの石は 
西都市の石貫神社参道入口に据えられている。
古墳の入口から玄室に至る道の天井に大きな隙間があります。
鬼の窟古墳という名前はこの伝説から由来しているのでしょうね。・・・

ううっ、なにやら悲しい伝説なのである。(´;ω;`)
伝説は伝説であるが、ひょっとしたら幾分かの真実が
含まれているのかもしれない。
鬼とは、時の為政者が名付けたのであろうから、
彼らを脅かすほどの力を持った眷属であったに違いない。
のちに全て都合の悪いことは彼らのせいになり、
「悪鬼」のイメージが植え付けられたが、
コノハナサクヤに恋をしたのは実は純真な青年だったのかもしれないし、
あるいは財力はあるが政治的に劣勢の鬼の一族が願う
政略結婚だったかもしれない。

こんなふうに夢想してはいけないだろうか。
鬼の青年は、窟を完成したのだ。
一夜で完成させるのだから、おそらく1人ではなく、
部下や人足を何人も使い、力を傾けて突貫工事をしたにちがいない。
鬼は先頭に立って工事を指揮する。

予定したより早く工事が終る。
夜明けまでには時間がある。

ほっとして、腰を下ろし汗を拭いつつ、
疲れて眠りこんだ部下たちをながめながら、鬼の心を横切る不安。
自分はコノハナサクヤを幸せにできるのだろうか?
このまま窟を引き渡して結ばれたら、コノハナサクヤは不幸になるのではないか。
政略結婚で、自分しか守るものがいない敵陣へ来て、幸せになれるのだろうか。
敵ではない男と結婚すれば、自分と一緒になるよりも幸せなのではないか。
男の横顔を松明が照らす。
しかし、あまりに愛しいコノハナサクヤ。
逡巡しつつ、朝を迎える。

そこで暁に岩を一枚抜いたのは、オオヤマツミではなく、鬼だった。
鬼は心優しく、冷静な男だった。
オオヤマツミは、娘を鬼に差し出さなくてすんで、ほっとしたに違いない。
鬼の心のうちがわかったのか、わからなかったのかは謎であるが、
ともあれ事情はわからないながらも、口をつぐんだのだ。
余計なことを言う必要はない。

鬼が嘆き悲しむのを見て、回りの誰もがオオヤマツミが抜いたに違いない
と思うのだけれど、それは鬼の狂おしい断念の悲しみだったのだ。

なんだか、今でも古墳のまわりを鬼が泣きながら走り回っているような気がした。
おなじ悲しみを心にしまう人たちに伝えられて、伝説は残ったのだ。
     
           *

九州には古墳が多いのだろうか。
旅の写真を見ながら、熊本出身の母は、近隣の古墳の話をした。
遠足で行った二子山(前方後円墳)や、
今では立派に見学できるようになった家のそばの塚のこと。
担任の教師が考古学マニアで、授業そっちのけで古墳の話をしていたこと。

「私も一緒に旅ができた、ああ、楽しかった!」

ああ、楽しかった、は私の口癖だとT中さんに指摘されたが、
母の口癖でもあるのに、気がついた。

『二丁目通信』

2009-09-16 00:58:33 | 短歌
『二丁目通信』、カバーは薄いベージュで、表紙は落ち着いた水色、栞は青い。
二丁目通信、と黒いゴシック文字で書かれ、
作者名などは水色の明朝体である。
何の装飾もなくて、すっきりとしている。

先生の愛情あふれる跋。
「最初に会ったときの具体的なあれこれはどうも記憶にないのである。
『作品にぴったりの人だなあ』という印象以外は。」
と書いていらっしゃったので、思い出した。

私は4年前の横浜の全国大会で初めてお目にかかって、
以前に資料のコピーをいただいていたお礼に
「海軍カレー」をお渡ししたので、よく覚えているのだ。
その時の会場であったベイ・シェラトンホテルの売店で買った。
なんとなく痩せていらっしゃるような気がしたので、カレーにしたのだ。
私は痩せている人を見ると、何故だかわからないが、
「何か食べさせてあげなくては」という気持ちになるのだ。

あっと思って、すれ違うときに名札で名前を確認した。
「F島さん?」訊ねると「はい」
硬い表情で、くぐもったテノール。
半袖の白だったか水色だったかのシャツを着ていらした。
思ったよりも小柄な、丁寧な方だった。
身を縮めてお辞儀をなさる様子が、困惑した招き猫みたいだと思った。

以前に短歌研究の新人賞の候補にもなってらして、
そのときのタイトルが「二丁目通信十二月号」というのだった。
それからK賞も受賞なさって、かなり重い症状の父上の
介護をなさっているのを知った。
辛い生活と思うのに、明るくて面白い方なのだった。

結社のネット歌会を積極的に牽引なさって、
東京歌会でも進んでお役をなさっていて、皆さんもそうだろうけれど、
私もどんなに助けていただいたか分からない。

このたび歌集を編まれて、一挙に高みにジャンプなさったような気がして
少々さびしくもあるのだけれど、今までだって、
ちっともいばられないから気付かなかっただけで、
実は全然違う高みにいらした方なのだ。

仲間うちで歌集が出されるのは初めてなので、
(何故か私のまわりは歌集に消極的・否定的な方が多い)どきどきする。
これから10首を選んだり、感想を書いたりして、皆と勉強会をする。
すでに歌会で読んだり、投票したり、批評したことのある歌が結構あって、
推敲・改作のあとを探すのも楽しい。
緩んだ箇所が確実に締められていて、唸ってしまう。
いつかF島H憲論を書くことが、万が一にでもあったら、
初出と改作の違いだけは書くことが出来ると思う。

読了して、Rちゃんは「愉しかった」というけれど、私は泣いた。
まず先生の跋に泣いたが、それよりももっと切なかった。

二丁目の「彼」は三丁目に住む彼とは若干違うらしいのだ。
二丁目の「彼」を差し出されたからには、二丁目の「彼」と付き合おう。
三丁目の彼とどう違うのか?
考えてみても詮ないことである。

彼を代表する歌ではないけれど,大好きな歌の一つを。

・せりなずな春の菜ものを湧水に洗うは楽しすずなすずしろ

猫と薔薇の日々――宝島社e-MOOK②

2009-09-15 22:43:00 | 日常
写真の整理をしてプリントのネット注文をしていたら、
1日仕事になってしまいました。
3か月分溜まっていたものですから・・(・ω・;A

私、近所の「カメラのキタムラ」のお得意さんです。
いつものお買い物コースとは方向が違うのですが、
自転車で取りに行くのに、ちょうどよい運動になります。
途中に、牛の牧場や雑貨のお店、レンタルビデオ屋さんがあって、
時間に余裕があるときの楽しいコースなのです。

後日取りにいきます。
ネット会員のみならず、携帯会員になるとさらにお得!
らしいので、やっとこさ登録を済ませました。
ああ、苦手だわ、こういうの。(・ω・;A ふーふー
てきぱきとやってくれる魔法の手はないものかしら・・(´・ω・`) ←夢見がち

途中のコンビニで、またまた宝島社の企みに嵌ってしまいました。
今日はかわいらしいバラ柄のポーチ&トートバックの発売日だったのです!
Cath Kidston 第3弾 “THANK YOU!” BOX
定価:1500円(本体1429円) 2009年09月15日発売
特別付録 3wayポーチ付きメガトート



これが、すごいのです!
今までのトートバッグは、「付録だからな・・」と
多少気持ちに折り合いをつけるところがあったのですが、
大きなトートバッグもポーチも、しっかりとした作りで大満足なのです。
きれいな水色の地にバラが。
ああ、幸せ。(人-ω-)。O.゜。*・★


2009.2.24発売 Cath Kidston 第2弾のバッグ
は布製だったけれど、
今度はポリエステル製なので、雨の日でも大丈夫。

私としては、2008.10.3発売のネコ柄トートバッグに次ぐヒット!


こんなにバッグ集めてどうするんだろう・・(・ω・;A
猫と薔薇の日々?・・♪ 

ペリー・コモで「酒とバラの日々」
♪The days of wine and roses
Laugh and run away like a child at play・・♪

ジュリー・ロンドンもいいなあ。


鈴虫の音を聞きながら

2009-09-14 00:50:00 | 短歌
白玉(しらたま)の歯にしみとほる秋の夜の酒はしづかにのむべかりけれ

宮崎の旅の余韻にひたりつつ、牧水です。(-ω-)
鈴虫の音に充たされた夜はやはり日本酒でしょうか。
「野うさぎのはしり」のロックに始まり、先日いただいた「久保田」を冷で。

睡眠時間2~3時間という、のんびりの私にあるまじきペースの夏の後半、
その疲れがどっと出て、体調がいまいち。
買い物に出かけたところ、昨日とは打って変わった強烈な日差しで
貧血を起こしそうだったので、パソコンも本も開かず、
時間があればひたすら眠ってました。
ぼつぼつと大会のお礼も書き終えたので、後処理も済んだら、
今月はのんびりしたいな~・・。

土曜日は東京歌会。題「恋」。
新人2名。
いつもより参加者が少なく(題のせい?(笑))
二次会もお料理が潤沢に。

歌会前に新宿宮崎物産館KONNEで来月の勉強会の打ち合せ。

ここノイバラ山荘にも時々登場なさるF島さん
(イニシャルじゃなくてもいいのかしら)の
第一歌集『二丁目通信』が出版され、
勉強会で取り上げられることになりました!

*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜
      F島さん、おめでとうございます。m(__)m
        *:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜゜・*:..。o○☆*゜¨゜

まだ届いていないので、表紙の写真をお見せできないのが残念です。

のんびりしている場合じゃないです(・ω・;A
早く元気にならなければ。

ポー川のひかり

2009-09-09 22:29:10 | 映画

えんの会が終わってから、えんの会の歌の一つにあった
「ポー川のひかり」を観にいくことにした。


「ポー川のひかり」オフィシャルサイト

「木靴の樹」のエルマンノ・オルミ監督作品。
2006年。イタリア映画。
岩波ホール。

しみじみとしたいい映画だった。
ボローニャ大学歴史図書館のクラシックな建物。
イタリア北部を流れるポー川のみずみずしい自然。
美しい映像と、いい音楽を聴いた、と思った。
そしてきっぱりとした主張を受け取った、と思った。

それらは渾然一体となって、心地よい波となって私たちを包む。
原題は「百本の釘(Cento Chiodi)」というのだ。
作品の抒情性にポイントを当てると「ポー川のひかり」、
思想性にポイントを当てると「百本の釘」ということになろうか。

パンフレットに歌人岡井隆が『もう一度観たい 「ポー川のひかり」』
とする文章を寄せている。
「・・ボローニャ大学の図書館のおびただしい古書の上に
一本一本ささった大きな黒い釘。釘というよりよりあれは鏨(たがね)
というやつではないか。『百本の・・』というのは、たくさんの(無数の)
という意味だろう。たしかにあの釘は、
十字架の上のイエスの手足に打たれた釘をしのばせた。・・」
その磔刑を演出した哲学教授は大学から忽然と姿を消し、
ポー川河畔の廃屋に住み着き、村の人々と素朴な交流をするのだ。
その風貌から「キリストさん」と呼ばれて。

やがて彼は村を去ることになるのだが、
作品最後、司教と教授の討論が圧巻だ。
教授の言葉を拾う。

「あなたは人間より書物を愛しておられる。」
「”世の英知”は欺瞞です」
「神は本など書かない。書物はどんな支配者にも、神にも仕える」
「神が! 神こそこの世の虐殺者だ。息子さえ救わなかった。」
「審判の日には、神こそこの世の苦痛について釈明すべきです。」

ここに「百本の釘」の主張がこめられているのだと思う。

西洋の思想については、わからない、難しい、という意識が先に立ち、
ことにキリスト教となるとお手上げであるが、
人が幸せに生きていくとはどういうことか、という視点なら
私にも参加できる考えだと思った。

* * * * * * * *

岩波ホールには、職場のかつての同僚が勤めていて、
久しぶりの再会を果たした。
よい映画をありがとう。

「えんの会」9月

2009-09-09 22:02:44 | 短歌
東西線の衝突事故のため、遅刻者・欠席者多数。

今月の題は「劇場(映画館・ホールも含む)と気象」。
古今の1首は「劇場」の歌。

歌の方はさすがに演劇などを普段から観ているメンバーなので、
よい歌が並ぶ。

歌人の劇場の歌というのはあまりなくて、古今の1首を探す段階で苦労する。
代表歌になりにくいのか、アンソロジーには見当たらなくて、
個々の歌集に当たるほかない。
信綱の自由劇場の歌に始まり、「短歌」9月号高橋禮子さんのNINAGAWAまで、
阿部正路、石川信夫、東 博、といっためずらしい名が並ぶ。

満月の道

2009-09-05 23:25:05 | 日常
雲が切れて、満月がきれいです。
ようやく書き上げた原稿をポストに投函してきました。

忙しい時期というのは、どうしてこんなに重なるものなのでしょうか。
先月末の宮崎での全国大会前後、怒濤の毎日で、よろよろしながら、
ようやくここまでたどりつきました。よろよろはいつものことですが、
今回は嵐のあとの砂浜に打ち上げられた感じです。
もう抜け殻だわ・・―(´-ω-`)―…

まだ旅の鞄もしまえていない、お礼のお手紙書いていない、
写真の整理もできていない、ないない尽くしで、
まだ宮崎全国大会レポートも書けていません。
飛行機に乗り遅れたことに始まり、日南海岸のドライブ、
仔馬ちゃんとのふれあい、1日5首の荒行?や、ノリノリのカラオケ
(私ではなくRちゃんです)、焼酎で酔っ払ったノイバラのハグ&キス
(犠牲者多数)、スイートルームからの朝焼けなど、
エピソードにはことかきませんが、来週の火曜日までお待ち下さいね。

留守勝ちのノイバラ山荘を訪ねてくださった方々、
どうもありがとうございます。

では、また来週お目にかかりましょう。(´・ω・`)