ノイバラ山荘

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鬼の窟(いわや)古墳

2009-09-17 09:35:50 | 
宮崎のオプションツアーで出かけた西都市、西都原(さいとばる)古墳群。
3世紀中頃から7世紀前半のものらしい。
比較的新しいものの中に、鬼の窟古墳(6世紀後半)がある。

この鬼の窟古墳には伝説があって、HP「PhotoMiyazaki-宮崎観光写真」に詳しい。

引用させていただく。

・・・木花開邪姫(このはなさくや姫)を嫁にと願う悪鬼が、
父の山の神、オオヤマツミから一夜で岩屋をつくる様に言われ、
一夜で完成させたところという伝説があります。 
コノハナサクヤヒメを嫁にと願う鬼は山の神、
オオヤマツミの指示どおり一夜にして岩屋を造り遂げます。
安心した鬼はうつらうつら・・・夜が明けて鬼がおきて見ると
ちゃんと完成したはずの岩屋の石が一枚抜けています。
これは朝、鬼が寝ている間にオオヤマツミが
石を一枚抜き取った跡とも言われています。
オオヤマツミが朝あわてて岩屋から抜き取って投げたこの石は 
西都市の石貫神社参道入口に据えられている。
古墳の入口から玄室に至る道の天井に大きな隙間があります。
鬼の窟古墳という名前はこの伝説から由来しているのでしょうね。・・・

ううっ、なにやら悲しい伝説なのである。(´;ω;`)
伝説は伝説であるが、ひょっとしたら幾分かの真実が
含まれているのかもしれない。
鬼とは、時の為政者が名付けたのであろうから、
彼らを脅かすほどの力を持った眷属であったに違いない。
のちに全て都合の悪いことは彼らのせいになり、
「悪鬼」のイメージが植え付けられたが、
コノハナサクヤに恋をしたのは実は純真な青年だったのかもしれないし、
あるいは財力はあるが政治的に劣勢の鬼の一族が願う
政略結婚だったかもしれない。

こんなふうに夢想してはいけないだろうか。
鬼の青年は、窟を完成したのだ。
一夜で完成させるのだから、おそらく1人ではなく、
部下や人足を何人も使い、力を傾けて突貫工事をしたにちがいない。
鬼は先頭に立って工事を指揮する。

予定したより早く工事が終る。
夜明けまでには時間がある。

ほっとして、腰を下ろし汗を拭いつつ、
疲れて眠りこんだ部下たちをながめながら、鬼の心を横切る不安。
自分はコノハナサクヤを幸せにできるのだろうか?
このまま窟を引き渡して結ばれたら、コノハナサクヤは不幸になるのではないか。
政略結婚で、自分しか守るものがいない敵陣へ来て、幸せになれるのだろうか。
敵ではない男と結婚すれば、自分と一緒になるよりも幸せなのではないか。
男の横顔を松明が照らす。
しかし、あまりに愛しいコノハナサクヤ。
逡巡しつつ、朝を迎える。

そこで暁に岩を一枚抜いたのは、オオヤマツミではなく、鬼だった。
鬼は心優しく、冷静な男だった。
オオヤマツミは、娘を鬼に差し出さなくてすんで、ほっとしたに違いない。
鬼の心のうちがわかったのか、わからなかったのかは謎であるが、
ともあれ事情はわからないながらも、口をつぐんだのだ。
余計なことを言う必要はない。

鬼が嘆き悲しむのを見て、回りの誰もがオオヤマツミが抜いたに違いない
と思うのだけれど、それは鬼の狂おしい断念の悲しみだったのだ。

なんだか、今でも古墳のまわりを鬼が泣きながら走り回っているような気がした。
おなじ悲しみを心にしまう人たちに伝えられて、伝説は残ったのだ。
     
           *

九州には古墳が多いのだろうか。
旅の写真を見ながら、熊本出身の母は、近隣の古墳の話をした。
遠足で行った二子山(前方後円墳)や、
今では立派に見学できるようになった家のそばの塚のこと。
担任の教師が考古学マニアで、授業そっちのけで古墳の話をしていたこと。

「私も一緒に旅ができた、ああ、楽しかった!」

ああ、楽しかった、は私の口癖だとT中さんに指摘されたが、
母の口癖でもあるのに、気がついた。
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