ノイバラ山荘

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清澄庭園と「伊藤公象―秩序とカオス」「メアリー・ブレア展」@東京都現代美術館

2009-09-19 23:22:23 | 美術
涼しくて、お散歩が楽しい♪

半蔵門線清澄白河下車すぐの清澄庭園

回遊式林泉公園というのだそうである。
もとは紀ノ國屋文左衛門別邸→大名下屋敷→岩崎家所有(明11)
→東京市が一般公開(昭7)と古い。
全国の名石が各所に配置してあるのが特色なのだが、
石に興味のない私にはネコに小判。


曼殊沙華が咲き始め、萩が盛りであった。

入り口でおじさまたちの集合写真を撮って差しあげる。
カメラを持っているせいか頼まれることが多いのだが、
両手に日傘とカメラと財布を握り締めている上に
日焼け予防の手袋までしていたので、
頼まれるとあたふたとするのである(・ω・;A

清澄庭園は9つある都立庭園の一つ。
9つそれぞれ特色は違うが、私の満足度によるランキング。

洋風庭園は旧岩崎庭園と旧古河庭園だが、
建物では岩崎、季節のバラでは古河。
優劣つけがたい。

日本庭園では、なんといってもトップは①小石川後楽園、
②浜離宮恩賜庭園、③殿ケ谷戸庭園、④清澄庭園、⑤六義園と続く。

あと2つの旧芝離宮恩賜庭園と向島百花園は未体験である。
いつか行ってみたいものである。


清澄庭園を出て、東京都現代美術館に向かうために
駅に引き返そうとしたところ、深川資料館通りが
面白そうだったので、寄り道する。


深川資料館は改装のためにしばらく休館だが、
案山子のコンテストをやっていて、歩道にずっと展示してあるのだ。
私のような案山子もいるのだ(笑)


インフォメーションセンターになっているお店。
案山子やお店やお寺を見ながら歩いていると、どうも前回、
現代美術館へ行ったときに見た風景と似ているので、そのまま歩くと、
看板が出ていて、矢印に従い美術館まで着くことができた。


途中でやはり前回と同じお店で割れ煎餅を買う。
昔ながらののんびりしたお店で、おじいちゃんが店番をしている。
深川土産だが、草加煎餅なのである。

道中、美術系と思しき若い女性とカップルがぞろぞろと歩いていて、
彼女たちは「メアリ・ブレア展」目当てらしい。
私は「伊藤公象」が目的だったのだけれど、
チケット売り場で「メアリ・ブレアのついでに観ると半額」に
くらくらときて、メアリ・ブレアも観ることにした。
伊藤公象が付録的な扱いなのはいかがと思うが、伊藤を観に来るのは
陶芸関係の渋い人か一癖ありそうな現代美術好きであるので、
メアリ・ブレアの会場の華やかさ・熱気とは正反対の世界だ。

私はといえば、ウォルト・ディズニーのアニメ映画で育った世代なので、
そのコンセプト・アートを描いていたブレアは、
うわわっ、なっつかしいなあ~(´;ω;`) という世界だし、
伊藤の陶磁による抽象的なアートも、イマジネーションを掻きたてられて、
むちゃくちゃ好きな世界なのである。
私ほど両方堪能した人はいないのではないかと思う。

「伊藤公象」

現在77歳、笠間の陶芸家なのだが、その抽象的な作品は現代美術だ。

陶磁で作られていながら、紙のようであったり、金属のようだったり
貴石のようであったりして、いわゆる陶磁器には見えない。
ひとつひとつのピースは片手か大きいものでも両手で持てるくらいの
大きさのもので、それを会場にあわせて、数や並べ方を変えるのだ。

私が心惹かれたのは、17点の作品のうち、
③アルミナのエロス(1984/2009)、
⑪土の壁―青い凍結晶(2007)、
⑫土の肉、土の刃Ⅱ(1993)、
⑮木の肉、土の刃(1991)、
⑰白い襞(2008-9)。

まず、形や質感の面白さに魅かれて、まわりをぐるぐる回ったり、
行ったり来たりして見るうちに、さまざまな感情が湧いてくる。
アルミナを箱に入れて焼いて出来た純白の壊れたキューブを
円形に並べたものは氷原に見え(③)、
四角い皿上のものに泥漿を流し入れて凍らせて焼いたものは、
青い陶板の表面にできた氷の線描が鳥の羽に見え
夜の森にいるような気がしたし(⑪)、
心にしんしんと切り込まれてきてわけの分からない感情が湧いてきて
快感を感じるものもある(⑫⑮)。
最後の⑮白い襞は素材が紙で、磁器のように見える紙と言おうか。
素材に対する常識的な考えが揺さぶられてひっくり返される喜び。

作品のまわりを歩きながら景色を見、造った人の思想を感じ取るのが、
さきほど歩いた回遊式庭園と似ていると思った。

インタビュー・ビデオを観ると、彼が作品に表そうとした思想が語られていて、
それが作品を観て受けた印象と同じだったことに驚いた。
現代美術は文章で説明されなければ分からないものが多いので、
苦手なのだが、作品を観るだけで分かるというのはすごい。

表裏一体であるエロス―タナトス、生―死、有機―無機。
そして、観るもののイマジネーションを刺激する形。
恣意ではなく、自然に語らせる、生成のいとなみの痕跡である襞。

素材にのめりこみすぎると伝統工芸になってしまうので、
素材と距離をとるのだ、とおっしゃっていたのが印象に残った。


「メアリ・ブレア」


美貌、才能、名声、夫、子に恵まれたサクセス・ストーリーが
若い女性に受けるのだろう。
画の前に立つと、幸せになる色なのだ。
写真を撮ることが許されている部屋が最後にあって、
みな、嬉しそうに記念写真を撮りあっていた。

「小さな家」など短編の映画を会場の各所で観ることができて、その中の
「メイク・マイン・ミュージック『ふたつのシルエット』」(1946)は
先日の「ハリー・ポッター」の美しい魔法を
見ているような気持ちになった。

ディズニー映画をアメリカ人はもちろん楽しんだだろうが、
戦後貧しかった私達にとって、ほんとうに美しい魔法のような映画だった。
幼い私は貧しさを実感してはいなかったが、映画を観に私を連れていった
父にとって、戦争で死にかけたあと、たった一人で働いて、
呼び寄せた家族と雨漏りのする部屋で暮らしているときに観たディズニー。
いわゆる、豊かな良きアメリカだった。

もうすこし大きくなってから、「バンビ」は家の映写機で何度も観た。
和室にスクリーンを下げて、近所の子たちと一緒に観た。
バンビの友達「とんすけうさぎ」というのが出てきて、
足で得意そうに地面を蹴る仕草がかわいくて大好きだった。

「わんわん物語」「眠れる森の美女」は映画館で観たし、絵本でも読んだ。
「チップとデール」「ピーター・パン」「シンデレラ」「ダンボ」は
絵本で読んだのちにテレビで観たのだと思う。
「小さな家」「不思議の国のアリス」は原作の方が好きだった。

人物の動作がなんともいえず優美だ。
そのころ「白蛇伝」という日本のアニメ映画があって、
お正月になるとテレビで放映していたけれど、
あの人物の優美な動きはディズニーの真似をしていたのだろう。

のんびりの私にはのんびりの映画が好ましいのだった。

「夏の遊び場」

常設展の会場では、「夏の遊び場」という企画展示がなされていた。

一番面白かったのが、栗田宏一の「ソイル・ライブリー」だ。
全国365ヶ所の土を採取、篩にかけたものを小さなガラス瓶に詰め、
産地名のラベルを貼り、1.5m×4.5mの白い楕円のテーブルの縁に
ずずっと並べてあるのだ。
土色なのだが、灰、緑、青、赤、朱、紅、クリーム、白に傾く
デリケートな色が、グラデーションで並べられていて、
こんなにいろいろな土の色が、こんなに美しい土の色がと、感動した。

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