明日のカープ

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第24回『この際だから、女性関係のことも話そう』

2013-05-29 10:09:54 | 赤い疾風伝説


この連載の編集担当者が「高橋慶彦を語る上で女性関係の話を避けて通るのは不自然」とうるさいので、そっちの方も少し触れておこうと思う。あんまり気乗りはしないんだけど…。

俺はレギュラーになっても練習では手を抜かなかったし、全てのことを野球中心に考えていた。とはいっても、健全な男の子だったから女性にだって興味はある。最初に夢中になったのは、入団2年目とか3年目だったかなあ。夜中に寮を抜け出して、付き合っていた女の子の家に入り浸るようになってね。

もちろん、すぐにバレた。表沙汰にはならなかったけど、球団は「ヨシヒコが寮から脱走した」と大騒ぎしてね。実績も何もなかったし、それを理由にクビになっても不思議じゃなかった。二軍監督だった野崎泰一さんや寺岡孝さんが「お願いですから、ヨシヒコから野球を取り上げないでください」と頼み込んでくれたおかげで最悪の事態は避けられた。何らかのペナルティーを受けたんだろうけど、どんな大目玉を食らったかは思い出せない。

グラウンドでの活躍に比例して、女性にもモテるようになったのは間違いない。今になって考えると「よくやったよ」と恥ずかしくなるばかりなんだけど、レコードを出せば売れたし、サイン会をやれば長蛇の列ができた。主催者の仕切りが悪くて、延々と800枚もサインを書かされたことまであった。

女性関係では、いろいろと言われたり書かれたりもした。特に1981年にフォーカス、84年にフライデーと立て続けに写真週刊誌が発刊されて以降は、随分と追い掛け回されたし、実際にネタも提供した。そりゃあ、何人もでひとつのチームを組んで追い掛け回してくるんだからボロも出るよ。っていうか、普通にサラリーマンをしている人だって、同じことをされたら尻尾の一つや二つはつかまれるんじゃないかな。

いまだに当時の噂話がインターネット上に出回っているらしいけど、ウソだったり、必要以上に尾ヒレや背ヒレの付いたものが多い。ただ、いつでも10円玉を大量に持ち歩いていたという話は本当だ。

当時は携帯電話どころか、今では使われることも少なくなったテレホンガードさえなく、84年のオフに寮を出るまで、誰かと連絡を取る場合には公衆電話を使うしかなかった。だからいつでも、ポケットの中は10円玉でいっぱいだった。「10円玉の入れすぎで、ヨシヒコのポケットはしょっちゅう穴が開いていた」という噂は完全に尾ヒレの付いた話だけど、チームメートからは「電話魔」とまで言われていたし、100%のウソというわけではなかった。

そういえば、ある女優さんと交際していた時にも、ありえない噂話を広められたんだよなあ。

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