ドイツ領だったチェルノヴィッツに生まれたユダヤ系詩人パウル・ツェランはドイツの「古代ギリシア的」なユートピアによる残虐行為の犠牲者の遺族であり、生還者の一人であり、70年にセーヌ川に身を投げてその生涯を自ら閉じている。「死はドイツより来る支配者だ」と書いたツェランにとって、彼の国語たるドイツ語は常に他者の言語であった。
ツェランが「いったい私たちとは誰なのか」という真理に関するドイツにおける証言者であり、ヘルダーリン同様、「何のための詩人か」という問いを問い続けた詩人であると考えるフィリップ・ラクー・ラバルトは、彼の、土地の名を題名として持ちそれぞれヘルダーリンとハイデガーの名と結びついている二つの詩、「テュービンゲン、一月」と「トートナウベルク」の読解を通じて「ポエジーと思考」とのあいだの関係に関する問い(*1)を考察する。
「ポエジーと思考」とは歴史を創始し、ある世界の可能性を開く「思考の務め」のために芸術、とりわけポエジーが果たすであろう役割に関する問いであり、この場合の歴史の思考とは、一民族にとっての独創性ないし自己同一性の可能性が問われており、その意味でドイツ的な問いといえるだろう。さらに、ここでとりあげられた二つの詩は翻訳不可能であり、解釈を禁じている。それゆえ二つの詩の読解は、主体から追放された特異性の問い、固有語法の問いとなり、特異な経験はそれが書かれようとするとき特異なものとして書かれうるのか否か、さらには特異な経験はありうるのか、という問いを生み、ツェランにとって最後の試練と呼ぶべき孤独の問題に通ずる。(*2)
ラクー・ラバルトは「テュービンゲン、一月」を沈黙や理解不可能な固有語によって衰弱し、口ごもる言説であり、この吃音こそが時代の唯一の言葉であると考える。では固有語法によってツェランは何を語っているのか。ラクー・ラバルトによれば、それは起こることのなかったもの、到来することがなかったものとしての経験、ハイデガーに倣うならば、「固有の」(非)経験の到来の翻訳ということになる。ところが詩はこの源泉となるものを近づきえぬものとして語る。むろん一篇の詩が何も意味しないこととは何も語る意志がないということではなく、虚無を純粋に意義することであり、狂人と化したヘルダーリンがたえず「私には何も起きない」と繰り返したように、「詩的経験」が存在しないのは経験が「体験」の欠落そのものであるからだとし、その近づきえぬ源泉の代わりに語られる実存的めまい、すなわちヘルダーリンの詩の中で溺死したことこそがこの詩の主題であるとラクー・ラバルトはいう。
ヘルダーリンは到来せざることもっとも過酷な法によって沈黙へ、あるいは吃音へと追いやられた。その場所からツェランはさらに身を引き剥がす。では何がこの詩をポエジーのなかへの(あるいはポエジーの)難破から救出するのか。ポエジーが溺死するのは雄弁によってである。この場合の雄弁とは禁止を侵犯する言葉であり、ヘルダーリンにおいては、神的なものと立ち並び、それに自己同一化する、いわば狂気の中で雄弁の極限にふれてしまったアンティゴネーの言葉である。ツェランのめまいは、ヘルダーリンのめまいを前にしためまいである。神を欠いたツェランは、アウシュヴィッツという「思考できぬもの」によって永遠に開かれてしまった「窮迫の時代」にあって、孤独からの出口を求めて対話への希望を語ることで身を引き剥がす。むろんそれは極限的な苦しみのなかで希求される「絶望した対話」なのだが。
つまり「テュービンゲン、一月」とは苦しみ、孤独をそなえた詩であり、吃音によって固有語法のなかへ水没することからいかに身を引き剥がすかを問う詩なのだとラクー・ラバルトは解釈する。では、この対話は誰との対話なのか。ラクー・ラバルトによれば、ツェランの詩のすべてがハイデガーの思考との対話であり、言い換えればハイデガーとヘルダーリンとの対話であったものとの対話なのだった。
しかし、対話は必ずしも実際の出会いを必要とはしていない。むしろ対話は出会いによって禁じられ、破壊されるかもしれない。しかしながらツェランはトートナウベルクでハイデガーに会ってしまう。
ラクー・ラバルトによれば、「トートナウベルク」とはハイデガーとの出会いがいかなるものであったか、失望がいかなるものであったかを語っている詩であるという。それはほとんど絶望的な希望が叶えられなかったことで痕跡となって残っている言葉とも言い換えられる。ツェランはハイデガーの前にたったひとつの、しかし、明確な祈りをたずさえてやってくる。(*3) ポエジーを聞きつづけてきた思想家であり、また一時的にではあれ、国家社会主義と結託し、それについて沈黙を守りつづけた哲学者の口から聞きだしたいと願ったその言葉は、しかしついに哲学者の口から放たれることはなかった。その言葉は西欧形而上学が、その歴史の中でついにそれを口にすることを学ばなかった言葉でもあった。
その言葉とは ”pardon” という一言だった。それは苦しみについての一言、それによって実存が、ポエジーが、発話が、換言すれば詩人にとっての他者への関係が可能となる言葉だった。
この出会い損ねの残滓とも呼ぶべき詩の緻密な読解と思考の果てに示される、ある種ナイーヴなといってもよい結論。しかし、いや、それゆえにというべきだろうか、この形而上学的ではない、ごく日常的な言葉こそ詩人が求めた他者への関係を開く言葉としてふさわしいのかも知れぬ。もっとも、ラクー・ラバルトはのちに次のように訂正する。
過ちは絶滅に対する沈黙のうちにあるのだ。ハイデガーはいちばん最初になにごとか言わねばならなかったはずだった。そして許しをこうことで十分だとつかの間私が考えたのはまちがいであった。厳密にいえば、それは許すことのできないものなのである。
*1 ポエジーは実存を語る。そしてポエジーは「異質な場所」それ自体のなかに場所をもち生じる、とラクー・ラバルトは言う。それゆえ固有語法の問題に行きつくとも。
*2 「詩は孤独です。詩は孤独であり、途上にあります。」とパウル・ツェランは書く。この言葉に関してラクー・ラバルトはハイデガーの『言葉の途上』のなかの次の言葉を引く。「ひとりぼっちでない者のみが孤独になりうる。ひとりぼっちでないとは、つまり切り離されることなく、孤立していず、いかなる関係を欠いているのではないということである。」
*3 他者に向けて言葉を送ること、それは虚無、または死を起点とした「出会い」そのものであり、詩の可能性とは、この他者に自らを関係づけようとすることの可能性にうちにある。このとき詩は祈りである、とラクー・ラバルトは書いている。
フィリップ・ラクー・ラバルト『経験としての詩 - ツェラン・ヘルダーリン・ハイデガー』(谷口博史訳・未来社・1997.1)
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