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ジム・ジャームッシュ『ブロークン・フラワーズ』

2007-02-18 18:53:40 | 映画
ブロークン・フラワーズ BROKEN FLOWERS
 (アメリカ・2005・106min)

 監督・脚本:ジム・ジャームッシュ
 製作:ジョン・キリク、ステイシー・スミス、ジム・ジャームッシュ
 撮影:フレデリック・エルムズ
 プロダクションデザイン:マーク・フリードバーグ
 衣装デザイン:ジョン・A・ダン
 編集:ジェイ・ラビノウィッツ
 
 出演:ビル・マーレイ、ジェフリー・ライト、
    シャロン・ストーン、フランセス・コンロイ、
    ジェシカ・ラング、ティルダ・スウィントン、
    ジュリー・デルピー、クロエ・セヴィニー


 ジム・ジャームッシュの『ブロークン・グラワーズ』のオープニングは茶色い皮手袋をした手がポストにピンクの封筒を投函するシーン。そこから封筒が主人公ドン・ジョストンの下に届くまでの過程を短いカットを積み重ねながら見せていく。

 ピンクの封筒は20年前に別れた恋人からのもので、主人公が今まで知らなかった彼の息子がおそらく父親探しの旅に出たことを告げるものだが、差出人は書かれていない。

 この差出人を探して、主人公は20年前に別れた女性たちのうちの四人に会いに行く。本当は五人の女性と別れていたが、一人は既にこの世にはいない(その墓を訪ねて行ったシーンはとてもよかった)。そして生きている四人はそれぞれに微妙な人生を送っている。彼女たちとその家族(主人公に敵愾心丸出しの受付嬢は動物行動学者の現在の「恋人」だろうか?)との微妙なやりとりが続く。そのやりとりがまた何ともおかしい。

 映画はかつての恋人を訪ねゆく主人公を描いた妙にずれた感じのロード・ムーヴィーであると同時に、探偵ものとしても見ることができる。主人公の旅は推理小説好きのお節介な隣人ウィンストンによって遠隔操作される旅でもある。ここでの探偵はロッキング・チェアに身をゆだねパイプをくゆらせることはないが、パソコン・デスクの前に座り、ネット上の膨大なデータベースから訪ねていくべき女性たちの居場所をつきとめ、「ハッパ」を吸いながら自らの推理と探索のプランを語る。(この隣人とのやりとりが何ともいえずおかしみがあり、しかも彼が旅のお供に用意したCD-Rから流れる音楽が旅のシーンのBGMとなって、妙に耳に残る。)

 社会学者の内田隆三は『探偵の社会学』の中で、19世紀に探偵小説が生まれた条件を過去から現在へと一本の道筋でつながる人間学的な歴史の時間の発見であるとしている。そして推理とはこうした「時間的深さ」に向けられた推理の眼差しなのだとである。さらに一見何の価値もないような小さな断片に着目し、そこに歴史(histoire = 物語)の意味を見出すことができた「遊歩者」ベンヤミンと「探偵」というものとのアナロジーをも指摘している。

 にわか探偵の隣人はただ一つの手がかりの差出人不明の手紙から、「ピンク」に謎を解く鍵があると結論する。こうして主人公の手がかりとなるピンクのものを求めて過去の恋人たちを訪ねる旅がはじまる。四人の元恋人たちは時に「ピンク」を纏っていたり、「ピンク」のものを身の回りに置いていたりする。それらをカメラは意味ありげに切り取っていくので、主人公がひとりひとり訪ねていくたびに眼に飛び込んでくる。

 オープニングのシーン以来、随分と印象づけられた「ピンク」のものは、映画全体の色調が落ち着いているだけに余計に眼を引く。そのたびに観る者も主人公とともにそこに何らかの手がかりを求めようとし、一瞬、彼女こそ手紙の差出人ではないかと思う。その直後にこの予期ははぐらかされる。こうしてある種のサスペンスは持続される。

 そのことは私たちが意味付けることの病にとり憑かれた生き物であることを思い起こさせる。それがどれほど些細なものであっても、何か重要な物事との連関を認めたとき、その些細なものは何らかの意味を持ちはじめ、こちらに向かってメッセージを発する徴として立ち現れる。あらゆる「ピンク」のものが文字通り意味ありげなものとなっていく。

 ところで内田隆三によれば、19世紀に誕生した探偵小説を成立させていた条件は、20世紀に入って失われる。想起すべき過去に存在していたはずの人間学的な深さが何か空虚な深さに横滑りしていったからだという。そうして人間的時間の深さの探究と些細な事物へのこだわりから動機と謎を解明していく探偵小説の時代に変わって、動機が空洞化し、その代わりに巧妙なトリックが発達したヴァン・ダインやクリスティーの本格的な推理小説の時代がはじまる。

 ラスト近く、旅立ちに際して母親がリュックにピンクのリボンを結びつけた青年と主人公は出会う。旅する青年は自分を探す息子なのではないかと主人公は(そして観客も)思う。直後にまたしても謎は解き明かされることもなくエンド・クレジットがはじまる。




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