Naoの誰でもわかる!英語の話

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「いい言葉」から学ぶ英語(13)

2010-02-16 | Weblog
いい言葉(13)☆ Memorize the「いい言葉」☆
Grief can take care of itself, but to get the full value of a joy, you must have somebody to divide it with.
(深い嘆きは他に必要とするものはない。しかし、喜びの真の価値を得るためには、それを分かち合う誰かを持たなければならない。)
(by Mark Twain)

前回take care ofについて話をしました。人が主語(行為者)の場合は「~の面倒をみる」とか、「~の世話をする」とか話は簡単でしたが、抽象名詞が主語となると、その日本語訳が難しいことを話しました。なぜなら、生きていないものが「~の面倒をみる、世話をする、処理をする」ことは出来ませんからね。少なくとも、そんな風には日本語では言いませんので、それにぴったりはまる日本語訳を見つけるのが難しいわけです。でも、概念的にはわかりますよね。なので、そんな場合は、日本語で理解しようとするよりも、英語で理解する方がいいということを話しました。

今回の「いい言葉」も、[ 抽象名詞A+take care of+[抽象名詞A→itself] ]の形が入っています。主語は、「深い嘆き(grief)」で、それがtake careするのが、それ自身(itself)です。「何かわかるような、わからないような…?」ですね。そこで僕はその訳を「深い嘆きは他に必要とするものはない」としました。どうしてって?深い嘆きはそれだけでそれをtake care(面倒をみる、処理する)ことができる(can)ってことですから、ちょっと難しい言い方をすると、自己完結することができるっていうことだからです。「深い嘆きは自己完結的である」…わかる人にとっては、この方が訳としてはぴったりって思われるのかも知れませんね。

その後の、to get the full value of a joy(喜びの真の価値を得るために)については、あまり問題はないと思いますが、joyの前にaが付いていることに注意してくださいね。「joyは可算(数えられる)名詞?」と思われる方もおられるかも知れませんが…はい、可算名詞です。抽象名詞でも単数形、複数形を持つものも多くあります。「joy(喜び)-joys」「sorrow(悲しみ)-sorrows」「agony(苦悩)-agonies」、そして、今回の表現にある「grief(深い嘆き)-griefs」、あるいは「worry(心配)-worries」も数えられる抽象名詞です。こうして見てみると、いい意味でも悪い意味でも、心が感じる強い衝撃は「数えられる」ということですね。それはきっと、それらが何らかの一つ一つの体験からくるものであることが原因ではないかと思います。日本語でも、「心配事がたくさんあって…」と、数えますよね。その概念は共通のように思います。ちなみに、心の痛みを表現する言葉であるsorrow, agony, grief等の日本語訳は同じものが使われる場合が多いですが、それらには微妙にニュアンスの違いがあります。僕なりの違いを日本語で言うと、sorrowは「悲しみ」、agonyは「苦悩」、そして、griefは「嘆き」という感じです。それらの感覚的な違いを確認したい方は辞書をじっくり読んでみてください。なんとなくそれらの違いがわかると思います。ついでと言ってはなんですが、「人生の苦楽を~と共にする」と言う時に使われる英語は、share joys and sorrows with someone、「人生の苦楽」の場合は、joys and sorrows of lifeと、「苦」の部分にはsorrow(悲しみ)が使われる方が多いです。「喜び」と対比するのには、agonyとかgriefは重すぎるからだと思います。これ以上は辞書でご確認を…。

表現の最後の部分である、you must have somebody to divide it withは、somebody to divide it withに注意してくださいね。この使い方は、I want something to eat.(僕は何か食べるものがほしい(何か食べたい)。)や、Do you have anything to drink?(何か飲み物な~い?)に共通するto不定詞を含んだ言い方です。「それを一緒に分ける(divide it with)べき誰か(somebody)」という感じです。このようなto不定詞を使えるようになると、英語はぐんと伸びてきますよ。是非使ってみてくださいね。

ということで、今回の表現の分析(?)は終わりです。では、もう一度今回の表現をご覧ください。

Grief can take care of itself, but to get the full value of a joy, you must have somebody to divide it with.
(深い嘆きは他に必要とするものはない。しかし、喜びの真の価値を得るためには、それを分かち合う誰かを持たなければならない。)

「悲しみや深い嘆きはそれに自分で浸るしかない。だが、喜びは違う。その本当の価値を知るためには、それを分かち合う他人が必要だ。自己中心的な喜びは、人に真の喜びを与えてはくれない。人は、喜びを他人と分かち合うことで始めてその本当の意味を体感できるのだ。」Mark Twainは、そう言っているのだと思います。

I wish I had someone to share joys and sorrows of life. I hope you do have someone, but if you do not, let's find someone soon, shall we? Okay, guys. That is all for today. I will see you in the next story soon. In the meantime, let’s try to find someone special in life. Have a good one! nao