Naoの誰でもわかる!英語の話

英語を勉強している人へ、面白い、ためになる話し、知識・情報などを、誰もがわかるように書いていきます。

英語力が「伸びる?伸びない?」わけを考える(2)

2014-08-31 | 英語の学習
①「英語を日常の言語にする」(Part 2)

「そうだ!わかった!だったら、自分の脳に、「英語は生存に必要な言葉なのだ!」と一生懸命言い聞かせればいいんだ!」(読者A)まあ、それも一つの方法かも…って、そんなわけないですよね~(苦笑)。私たちの脳はそんなに単純にはひっかかりません。物事を見る目とか自分の置かれた環境に対する認識とかは、何か新しいことを信じるとか思い込みだけでも大きく変わるものですが、言語機能ってやつは、基本、運動機能と同じように経験によって形成されていくものなので、それを伸ばすためには言語機能を持っている神経細胞を刺激しなければいけません。「神経細胞!?」あ、話が難しくなる…え~と、まあ、脳の言語機能を司っている部分、それはどこでしょう?「!…」そう、分析的思考をする左脳ですよね!そこを刺激して、活性化すればいいわけです。

「でもどうやって?」基本的には、私たちが第一言語である日本語を習得してきた時にやってきたことを英語の習得の際にもやればいいわけです。だって、私たちはそうやって言語の遺伝子を活性化させて日本語をマスターしたわけですからね。言語を習得する潜在的能力は、間違いなく、みんな持っているわけです。ただ問題は…その「日本語を習得してきた時にやってきたこと」がわからない。「(ガク…)わからなかったらダメじゃん!」まあまあ、確かにはっきりとはわかりませんよ。だから、言語学で第二言語習得理論ってやつがいろいろあって、学者さんがああでもない、こうでもないと言っているわけです(あ、僕もその端くれの一人か…(苦笑))。しかし、確かなことは一つ。ヒトは言語を習得するにあたって、その言語が話されている、あるいは、聞ける環境にいたからこそ、その言語を身につけることができたということです。そして、その環境下に置かれた脳は、自然にその言語を理解するようになり、そのうち、その言語を話す必要性(「生存に必要」に繋がります)が生じた時に、脳の運動中枢を刺激して発声に関わる全ての器官と筋肉を動かし、発声し、意味のある言葉を発話するようになったというわけです。「なんか理屈っぽい…」ですよね。すみません…(冷汗)。

むかしむかし、あるところに一人の王様がいました。その王様は、大変信心深く、人は人種や使う言語は違っても、神が創造したものであることには変わりはない、と心から信じていました。そしてある時、ふと、こう思いました。「この世界にはいろいろな言葉があるが、一体神の言葉とはどの言葉なのだろう?きっと我々が話している言葉に違いない。そうだ!それを証明してみよう!」そう思った王様は、ある実験を試みます。砂漠の真ん中に家を造り、生まれたばかりの赤ちゃんをそこで育てることにしたのです。誰もその赤ちゃんには話しかけることなく、社会から一切隔離して育てることで、その赤ちゃんが最初に発する言葉を待ったのです。どんな言葉も一切聞くことなく育った子供が最初に発する言葉…それこそ神の言葉である!…と信じてその子の最初の発話を待ったのです。

その結果は…皆さん興味ありますよね~。はい、僕も興味がありました。これは有名な言語学の教科書にある実際にあったといわれる話なのですが、結果は、その子は亡くなったそうです(「あら~」)。もちろん、一言も言葉を発することなく。今なら完全に人権問題の話ですが、この話は、人は大昔から言語の起源に興味があったこと、また、言語環境が人の成長にどれほど大事かを象徴している話と言えます。そして、この話からの教訓。言語を習得するには、その言語環境がなくてはならない。つまり、私たちが英語を習得するためには、私たち自身を英語という言語環境の中に置かなければいけないということです。そして、その環境は、理想的には「英語が生きていく上で必要」と脳が感じるほどの強い動機を育むようなものでなければならないということです。「ん?なんか、何度も何度も「習得」って言葉が出てくるけど…僕たちは英語を「勉強」してるんじゃ…?」確かに。でもね、「習得」と「勉強」って、違うんですよね、考え方が。「え?どんなふうに~?」(End of Part 2)

英語力が「伸びる?伸びない?」わけを考える(1)

2014-08-28 | 英語の学習
①「英語を日常の言語にする」(Part 1)

私を含めて我々日本人は一所懸命英語を勉強していますよね。あ、僕は~今は大昔ほど一所懸命してないですね(冷汗)。でも仕事上、毎日英語圏5カ国(アメリカ、カナダ、イギリス、オーストラリア、ニュージーランド)のどこかの大学からメールが来ていますので、それを読んで返事をしなければいけません。ですから、僕にとって英語は、今は限定的ながら「日常の言語」と言えるかも知れません。つまり、英語は勉強の対象ではなく、コミュニケーションの手段ということになりますね。まずは相手の書いていることを理解する(2回以上は読んで相手のメッセージ(主旨)を頭に入れます)、そしてそのメッセージに適切に応え、それと同時に自分の意見と、時にはユーモアを加えて、メールを相手に親しみやすい、心がこもったものと響くような形で終わらせます。最後の一言が大事ですね。あ、ちょっと話がずれました…(Sorry…)。

「英語が日常の言語になる」ことの重要性を考えたいと思います。私たちが母語の日本語を「習得」するために何をしたかを考えてみましょう。「ん?学校で「国語」を勉強したこと…?」まあ、そういう答えもあるかとは思いますが、でも、日常の言葉、例えば~「西村先生、トイレに行ってもいいですか?」なんてことを教科書で勉強しました?するわけないですよね(笑)。でも英語では、May I go to the bathroom, Mr. Nishimura?…って、学習しないと言えませんよね。ましてや、May I~の使い方は授業で学ばなければわかりませんよね。

つまり、私たちは私たちの母語である日本語を「学んだ」のではなく、「自然に習得」したということです。では、「自然に習得」するとはどういうことか?ここはちょっと難しいところですが、我慢して読んでくださいね。人が言語を習得する能力は、実はヒトの遺伝子にもともと組み込まれていると考えられているんです。この考え方は、1950年代にチョムスキーという人が最初に唱えたんですが、その考え方は現在の認知言語学の基礎的考え方にもなっています。簡単に言うと、ヒトという種は、言語がその生存に必要なものとして生まれた時からそれを習得する能力を持っているということです。ですから、生まれて育っていく過程で、他人(親を含む)と触れ合う機会(言語環境)を通して、その遺伝子は刺激され、言語中枢を形成して言葉が話せるようになるということです。どんな人でも少なくとも一つの言語を持っているゆえんはここにあるわけですね。

「人(ヒト)は誰でも言語を自然に習得する能力がある」ということを今言ったわけですが、じゃあ我々は、第2言語である英語も同じように「自然に習得する能力がある」のか?答えは…ないとは言えない…「ん?STAP細胞の話?」面白い!(笑)…いえいえ、それより間違いなくもっと理論的な話ですよ(微笑)。僕はさっき、ヒトという種は、「生存に必要なもの」として言語の遺伝子を持って生まれてきたと言いましたよね。そしてその結果として母語である日本語を自然に身につけた、ですよね。「生存に必要なもの」である言語だから、生来の遺伝子は自然に活性化し、その結果、日本語の言語体系を脳内に構築したわけです。では、英語は?「生存に必要…」じゃないですよね。だからもともと持っている言語の遺伝子はそう簡単には動いてくれないわけです。だって生きていく上で必要じゃないと「脳がわかっている」わけですから、第一言語を習得する時のように頭(脳)は動いてくれないわけです。でも、だからと言って英語を習得する能力がないわけではない。日本語、しっかり遺伝子が習得させてくれたでしょ。英語だって、私たちには潜在的に習得するだけの脳力(漢字間違ったわけではないですよ~(笑))はあるわけです。でも、そう簡単には脳は動いてくれない。なぜならば、英語は「生存に必要な言語」ではないからです。少なくとも、脳がそう理解している間は…。(End of Part 1)