生きた証

2006年02月20日 | Weblog
ノンフィクション作家柳田邦男氏の慟哭の書『犠牲-サクリファイス』は、25歳8ヶ月で自死した氏の次男洋二郎さんについての生と死の物語であり、肉親だからこそ、それを物語る資格もある。
人は誰しも青年期には多かれ少なかれ、自分を鋭く見つめる時期がある。多くの人はそこから脱皮して大人になる。脱皮の仕方は千差万別で、公式はない。しかしあまりにも繊細な個性を持った洋二郎さんは神経症を患い、内面にこもった生き方しか出来なかった。ほかの若者のように、職業につくとか、恋人を作って人生を楽しむとかがなかった。それに強烈な劣等感を持っていた彼は自分の人生を意味のあるものにしたくて、骨髄バンクに登録した。それは、自分の生に重しをつけるためでもあった。結局、自死を選択してしまったが、脳死判定が決定するまでの11日間に肉親は、そこに一生分の物語を描きえた。哀しみの中でも、彼が生きていた証を捜す短い旅が出来た。それは一人称の死が二人称の死に成る本人と家族の為の再生の物語であった。

バブル経済が弾け、銀行の不良債権問題が世間を騒がせていたさ中の94年9月14日、当時住友銀行名古屋支店長だった畑中和文氏(54)が単身赴任先のマンションの玄関先で何物かに射殺された。容疑者は未だ捕らえられていない。当時の住友銀行の幹部達は警察の捜査に非協力的だったと聞く。この事件をきっかけにして闇世界と対決する人間が激減したと言われる。ちなみにその幹部のひとりが郵政民営化会社の会長につく予定の西川善文氏である。この事件は多分、このまま迷宮入りするだろう。
また、有名なところでは国会で闇の勢力にまで切れ込んでいた民主党の石井紘基議員(61)が02年10月25日に自称右翼活動家の男に刺殺された事件がある。犯人の背後に何があったかは今もって分からない。石井議員が生前肌身離さず持っていた手帳は紛失したままである。
そして今、ライブドア社元幹部の野口英昭氏(38)が沖縄で亡くなってから、1ヶ月が経った。警察発表通り自殺なのか、或いは他殺なのか様々が意見があるようだ。謀略説を鵜呑みには出来ない。しかし、限りなく他殺に近い感想を持ってしまう。
彼らの死は私達にとって何の意味があるのだろうか。“知りすぎた人間”は暴力で口封じをされるしかないのだろうか。本来、人の死は本人である一人称と家族や友人の二人称で語られるべきだと思う。彼らの死は、そこに様々な憶測が流れ、否応なしに第三者の三人称の言葉で語られる。真実がどこにあるかを巡り、社会の中で三人称で語られる死の形が増えれば増えるほど、その国がおかしくなっている証拠ではないのだろうか。本来、特別な有名人でもなければ、人の死はしめやかに密やかに近親者の中だけで語られるべき性質の物のはずなのに、彼らの死は、いったい何時になったら、家族にとってのみの死として語られるのだろうか。

自死という悲しい結末を迎えた柳田洋二郎さんの人生だが、適合する患者がいなかった為、その骨髄は生かされなかった。しかし、故人の意志を遺族が忖度し、腎臓が臓器移植を待つ患者に提供される。

  その夜、洋二郎の腎臓の一つは近郊の病院に車で運ばれ、もう一つは
  航空自衛隊入間基地からCIジェット輸送機で夜空高く飛翔して九州
  の病院に届けられ、ともに待機患者の体内に無事移植され元気に動き
  出した。その報告を受けたとき、《ああ、洋二郎の生命は間違いなく
  引き継がれたのだ》という実感が胸にこみあげてきた。(本文より)

「いのち、永遠にして」25年と8ヶ月をかけて故柳田洋二郎さんが証明した真実であり墓碑銘でもある。
真実すらわからない死は、自死よりももっと悲しい。