華氏451度

我々は自らの感性と思想の砦である言葉を権力に奪われ続けている。言葉を奪い返そう!! コメント・TB大歓迎。

お知らせ/辺野古における米兵の暴行事件

2006-02-08 01:48:19 | お知らせ・報告など

このところ、ひとさまからのメッセージの「お知らせ」が続く。別にさぼっているわけではないのだが、私が「ふと考えたこと」を書くよりも、こういうニュースを広く知らせた方が意義があると思うので……。

ジャーナリスト・近田洋一氏が、「沖縄版アブグレイブ事件・辺野古海上基地建設現場で起きた米兵による屈辱的犯罪行為に対する抗議とメディアの報道を」という呼びかけをおこなっている。

――以下、転載――
【初めて事件を知ったのは知人のジャーナリスト・森口豁(かつ)氏の次の発信です。
「信じられないようなことが辺野古で起きた。本土(広島)から辺野古の浜を訪ねた一人の青年が、3人の米兵に小突き回されたり、四つん這いにされたうえ、浜を断ち切る有刺鉄線に結わえつけられた平和を願うメッセージを取り除くよう強要されたという。1月22日午後7時頃のことだ。
 アピール(抗議文)と、基地反対協議会の平良夏芽さんからのメールを読むと、青年が受けたの心の傷の大きさと、沖縄米兵の占領者意識ののっぴきならない激しさをひしひしと感じる。
 二人のメールにはこうある(一部略)。
『今朝、弁護士と共に本人からの話を現場をたどりながら聴きました。1時間以上に渡って、こづき回され、他の人が書いてあった「普天間基地はアメリカに持って帰れ」というメッセージを四つん這い状態で消させられ(膝をつくと、背中を押され再び四つん這いにさせられたそうです)。またこれも他の人が結んでいた平和のメッセージリボンをはずさせられ、最後には、砂の上に「SORRY」と書かされた屈辱は、相当のものです』(平良さんのメール)

『今回、私が被った事件は絶対に許せないものです。私は沖縄のことを知らずに旅をしていたものです。那覇に立ち寄った時に辺野古に関連するチラシをもらいました。そして、辺野古まで来ました。辺野古に着き、辺野古の浜辺に有刺鉄線が引かれ、砂浜が基地に奪われているのを見てとてもショックでした。そして、それを知らない多くの人達に知って欲しいと思いました。その有刺鉄線には「基地は要らない」というたくさんの人達のメッセージや思いがリボンに書かれてしばってありました。米兵は私に対してそのリボンを引きちぎるように命令し、強要しました。私は多くの願いが込められたリボンを引きちぎる行為を許すことは出来ません。そして私自身がその行為を強要されたことに強い怒りを感じています。私は私が米兵にされたことを皆さんに訴えます。TVには写らない沖縄があるということを、沖縄の現状は60年続く戦争状態にあることを、日本中が戦争状態にあることを。このことを知らない多くの人達に知って欲しい。 沖縄は(日本に)返還されたと聞きました。しかし、私が見た沖縄はいまだに植民地状態にあります。こういう状態を多くの人々が知らなければとこのようなことが起こらないために』(Hさんのアピール)

 なんと不気味な事件だろう。米兵の憎悪の激しとその陰湿さ、執拗さは尋常ではない。イラクやアフガン体験が、彼らの精神を荒廃させ、人間性を喪失させているのだろうか。しかし例えどのような理由であれ、このような行為は絶対に許せることではない。 気になることが3つある。その一つは、今回もまた犯人が「3人」だったこと。95年の少女暴行事件も「3人」だった。他にも3人組による事件はあった。
「3人は社会の始まり」という。人間3人一緒なら理性を働かせる者が一人ぐらいはいるのが普通だ。ところがそうはならない。僕はそこに沖縄の闇の深さを感じる。二つ目は、アメリカ人、とりわけ兵士たちの対日意識の問題。彼らの心の中に「ブッシュと小泉」のような“従属関係”、つまり「日本人は何もかもアメリカに従うもの」だとする共通認識がめばえているのではないか、という点だ。だとすれば、日米同盟の悪しき終着点、というべきだろう。コトは深刻だ。 そして3つ目はマスコミの問題。今度の辺野古の事件を僕は沖縄からのメールでしか知ることができなかった。本土のマスコミでは報道されていないからだ。いったいなぜ報道しないのだろう(了)」

 僕は驚愕し、仲間に報告、現地と連絡を取り、次のことを確認しました。
①事件はフェンスのこちら側(民有地)で起きた。報じたのは沖縄2紙と地元放送局だけ②那覇防衛施設局は抗議文書の受け取りを拒否②米軍は「事件はなかった」と全面否定③所轄の名護署は告発の受け取りを拒否していたが、2月に入ってようやく受理④抗議行動は続いているいが本土メディアは依然無視の状態。

 僕はイラクのアブグレイブ刑務所で起きたレイプ・恐るべき屈辱的な暴力を想起します】
――転載終わり(簡単に事件を紹介するという趣旨から、一部割愛または文章の順序入れ替えをした。近田氏、森口氏には御容赦を乞う)――


私もメディアの片隅に棲息する者として、恥ずかしく思う。……いや、本土の住民として、ほとんど言葉を失って立ち尽くす。先日このブログで『沖縄は基地を拒絶する』という本を紹介した。その中に、「沖縄は日本の軍事基地なのだ」という一文があったことを思い出す。本土にとって、沖縄は治外法権の場所なのだろうか。陰の部分、見たくないものをいっしょくたに放り込んでおく、便利な開かずの間なのだろうか。

本土メディアは報道しない。……(その末端をはいずり回っている)私にそれを責める資格はないと言われればそれまでだけれども、巨大メディアには世界中の、そして日本の津々浦々のニュースが刻々と入る。それを取捨選択する過程において、この事件が軽く見過ごされてしまったのだ。ライブドアも結構、アメリカ産牛肉も結構。でも読者がワッと湧くような「大きな事件」に一斉にむらがる体質だけはそろそろ変えて欲しく、変えねばならず、そして変えるのは私たちである。

このちっぽけなブログを読んでくださる方に、私は訴える。メディアに対して、皆で「報道して欲しいこと」を突きつけよう。報道しなければ不買運動を起こすぐらいの意気込みで(私は発信する側でもあるので自分の立ち位置がビミョーに微妙なのだが、それはこのさい目をつぶっていただくとして)。国は国民のために存在し、政府は我々のために存在し(小泉首相とてわれわれの公僕、サーバントなのである!)、そして――国民、いや庶民の耳目となるのがメディアの使命なのだから。
コメント (10)
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