ピエール神父死去、そして生活、命

2007年01月24日 | Weblog
 【パリ22日共同】フランスで路上生活者らの救援活動に長年尽力し、市民の尊敬を集めたピエール神父(本名アンリ・グルエス)が22日、パリの病院で死去した。肺の感染症のため入院していた。94歳。
1912年、フランス南東部リヨン生まれ。30年にカトリック教会カプチン会の修道院入り。第2次大戦後、慈善団体エマユスを創設し、路上生活者らに食事や宿泊先、仕事を提供する活動を続けてきた。
週刊紙ジュルナル・デュ・ディマンシュが定期的に掲載する著名人の人気ランキングで80年代末から常に首位を争う存在だった。2004年には「トップの地位はもっと若い人が占めるべきだ」として、人気ランキング入りを辞退した。
フランス公共ラジオによると、シラク大統領は22日、「(ピエール神父は)貧困や苦しみ、不正義と戦う精神を代表する存在であり続けるだろう」と弔意を示した。(共同通信社)

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とくらBlogさんが1月21日のエントリーで以下のように書かれているが・・・、
「参議院選挙に勝たなければならないのは、民主党議員さんのためではないですよ。 国民の命と生活がかかっているんですよ。その危機感をもって、民主党はこの国会に臨んでいただきたい!」

そうなのだ。私たちはいつのまにか8年連続で自殺者数が3万人を超えた事にも、ブルーテントで暮らす、路上で暮らす人々が一向に減らない事にも、新しい命が生まれにくくなっている事にも慣れて不感症になっている。政局が問題なのではなく、生活と命が大事なのだ。民主党のテレビCMや生活維新というキャッチコピーには賛否両論があるようだが、テクニックの問題でも国会対策の問題でもなく、国民の生活や命を守れなくて、何の為の政治だろう。

ピエール神父が亡くなったフランスでは、先般、セーヌ川沿にテントを並べ、家のある人が家族や子供と一緒に路上生活を経験するイベントが市民団体の主催で行われた。その後、市民の多数の賛同で『屋根の下で暮らす権利』法案が国会に提出される事になった。

政治家も私たちも、いつのまにか自己責任という言葉や自由な経済活動という言葉や国際競争という言葉や規制緩和という言葉に騙されて、共感、共生、憐憫、何かを慈しむ、とかそんな言葉を忘れていたのだ。

宗教団体の救済行為がそれほど一般的でない日本では、その代わり、世界でも高いレベルで成功したとも言える、80年代までの擬似的社会主義政策≒修正資本主義政策が国民各層の生活と命をなんとか守ってきた。しかし、それが音を立てて崩れ去ろうとしている。フランスだけではなく、欧米各国の中で自由主義経済の権化とも言えるアメリカですら、地域に失業者が出れば教会を基点に各種ボランティア団体が活動したり、ビジネスの成功者が弱者の為の寄付行為を薦んでしたりする。しかし、日本では一義的に政治がしっかりしなくては、国民の生活も、命も社会的弱者も守れない。

このままでは、日本はアメリカの短所(弱肉強食資本主義)と以前から指摘されていた日本の短所(権力に従順、産業別組合が弱い、集団主義に流れやすい等々)が混在した歪な国になるだろう。

政治は生活である。そして、命である。