『令和の民俗学』汐留一郎

日本のグランドデザインを考える

大隅半島

2019-11-23 21:54:00 | 九州
22日天皇皇后両陛下が即位、大嘗祭の報告をする「親謁の儀」のため伊勢神宮のある三重に入られたいうニュースがございました。

わたしは「小伊勢」と言われる大隅半島の吾平山(あひらやま)山陵にお出かけ。

祭神はウガヤフキアエズ。天孫ニニギの孫にて神武天皇の父

オカルトの世界では神武天皇以前の古代王朝、ウガヤフキアエズ王朝があったとも言われるが考古学的検証はされていない。



朝一番の便で鹿児島空港に向かいレンタカーにて大隅半島先端の佐多岬向かう道中にありました。
この辺り内之浦宇宙空間観測所が近く道路の整備がされていて走りやすい。

鹿児島空港から右手に桜島の勇姿を見ながら半島も半ばを過ぎるとコンビニもなく典型的な過疎の村が続く。鉄道もないんだね。



山紫水明と穏やかな錦江湾、寄り添うように漁師の村が点在し、やはり日本は海の国と思う。



佐多岬の展望台より三方を見渡すと右手に個性的な開聞岳



正面に屋久島と種子島の遠影



左手には黒潮の流れゆく先を見ることが出来る


人はそれぞれの思いを抱いて岬を目指す。
陸路の終わる土地として人生のどん詰まりと解釈し訪ねる者、またそこで再起を図る者。
開けた海洋の世界に夢を繋ぐ者。

中年のグループ「景色はいいけど、なんだ何もないじゃない」まあそれが普通の感覚かもしれない。

佐多岬灯台


神武東征の地はエルサレムのキリストが生まれた教会と同じくあちらこちらにあるのですが、
こういう話し、神武御一行は血縁集団ぐるみで東征をしたでしょうから、実は潮の流れをよく識る土地の漁師が道案内をしたかもしれない。

帰路、肝付町の塚崎古墳群へ

日本最南端の前方後円墳

現在はどこも整備された古墳ですが、本来はこんな里山に埋まる風景が1500年以上続いてきた。54基、4世紀後半から作られ始めます。

古墳群の出土品

4世紀大隈半島最古の塚崎古墳群は54基。前方後円墳が5基確認されている。

半島の先住民を記紀神話では「熊襲」と表現しているが三角縁神獣鏡や銅鏡は宮崎止まりの出土。ヤマト政権との関係は想像するしかない。

また鉄剣や武具など朝鮮半島由来の出土品がないところは同時代の能登半島雨の宮古墳などと比較し文明の伝播に対しては不利な土地であったかもしれない。

中央との関係は713年大隈国の設置まで「大隈隼人」が反乱を繰り返している。追い詰められ部族の最後の反乱や抵抗であったのか。

曽於市の道の駅


熊襲と言われながら天孫降臨の地に近く、国津神のコノハのサクヤ姫はお隣の日向出身。

大隈より薩摩半島には海路が断然早く、奄美諸島も目と鼻の先、古くから人の交流はあったのでしょうが証明できる発掘品が少ない。点在する離島も疫病や自然災害で何度も壊滅的被害を受けて来たので尚更少ない。





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