家人経(五)
もう一点、父母として小供のことを理解していますか。
人の祖父母として家人と付き合うことができますか。
その中にたくさんの問題が存在している。
お爺ちゃん・お婆ちゃん、中年、独身者など青少年、それぞれに対して長所・短所がある。
一点に停まって自分の事があまりわからない。
先ずいろいろな各層から意見を聞いて自分はもっと自分の考えを放下する。
人の立場で物事を考えるべき。
そうすると互いに理解することができる。
最近、道場(家庭)の中の教育は青少年に力を入れている。
但し、年配者の気持ちを疎かにしている。
年輩者の風範を道場に中からなくしてしまう。
まだわからないだろうが危険な状態にある。
三代道場の中で修道することは珍しくなる。
年輩者と一緒にいることが少なくなった。
大切にしなくてはならない。
年輩者がもう一つの面で発展している。
今、世の旅の終わりに向かって一つの結晶を生み出そうとしている。
たくさんの苦労をしてきて、色々な事で若い人には理解できない程たくさんの事がある。
年輩者の経験は、大きな社会環境に対してたくさん尽くしてきたことだ。
源の恩恵を忘れて何故修道することができるでしょうか。
ある言葉で、年寄りは人類第二の幼年老人です。
年を経ると本来の単純の心を回復する。天地万物を受け入れることができる。
たくさん見たり聞いたりするが、必ずしもすべてが正しいと言えない。
この時更に開発・学習して自分のできること(生命を継続してゆくこと)をやらなければならない。
再び生きるために準備する。霊性の再生の為に準備している。
もし、固執して頑固ならいかに霊性を再生できるでしょうか。
昔の父母はまるで小学校の先生です。
現代の父母は小供たちの独裁者になりました。
あなたの古い考え方が小供に理解できない部分があっても、小供に自由な空間を与えましょう。
子と親の分別は必要です。
上下、前後、道徳の規範として、例え自由空間を与えても道徳規範から離れたわけではない。
このようにして小供は健全な発達をすることができる。
もし、あなたが小供の尊重を得たいなら、交流して小供の話を聞いてあげて下さい。
自分の意志だけ与えて互いの接点がないならこのような交流は何の意義があるだろうか?
反発する小供に対し、自分自身に大きな欠点がることに気づいたら補充していかなければならない。
小供は成熟した考えがないかも知れない。
時にはあなたも成熟していない考えの時がある。
自分の小供と心の交流をして行きたいですか?
まず自分の青少年時代の思い出と態度を取り戻しましょう。
心霊は時空間によって疎外されない。
このようにして小供の時の心境を捜し出すことができる。
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