真説・弥勒浄土      

道すなわち真理の奇蹟

師尊老大人曰く‥天国をこの世に実現し、塵世を弥勒浄土と化したいならば、博愛を発端とするべきである。

2023-12-24 19:25:38 | 師尊老大人・月慧師母

 師尊様は弥勒浄土10800年の道統の師です。

師尊老大人曰く‥

精神は本来、存在しない所はない、良心が有れば精神が有る。

どのようにしてあなたの良心の中から 上帝が一人一人の辦道人員の身の上に賦与された大なる能量(上帝から賦与された創造のエネルギー)・大なる能源(上帝から来る一條の金線の造化のエネルギー)を開くのか、それはつまりあなた達の責任と用心である。 

精神には多すぎる言葉は必要なく、ただお互いに愛の心が充満するだけで、十分に 上帝のメッセージが伝わる。

師尊老大人曰く‥

愛の示現は、人を包容し、すべての事を円融にし、一歩退いて、お互いに体諒(思いやり)し、喜んで付出し、平等に施し与えて、 上帝を信奉し、無畏で行う。

愛は企てが無く、報いを求めることも無く、真誠の愛であり、十方の衆生に普及し、己の利だけを求めず、天下の為に福を造り、万世のために太平を開く。

古から聖人賢士は、みな名声や仕官を求めず、時局が平らかでなく、人々が不義であることを閔れんだ。

その道を得て、独りその身を善くすることはなく、必ず天下の人をも併せて救おうと、
絶えず務め励むのみ!

故に禹は三度、家の前を通っても立ち寄らず、孔子は席を温める暇もなく、墨子は煙突が煤けて黒くなることがなかった。

彼の二聖と一賢者(禹・孔子・墨子)は、自分だけ安逸に暮らすのが楽だと知らないことがあろうか?

誠に天命を畏れ、世の乱れや人々の困窮を憂えたのである。

今の修子は聖者の博愛の精神にならい、蒼生(庶民)を心にかけ、衆生の苦しみを抜き、万民と楽しむ。

天国をこの世に実現し、塵世を弥勒浄土と化したいならば、博愛を発端とするべきである。

博愛は更に周囲の人・事・物を最も先として、近くから遠くまで及ぼせば、大同を期待する。

【註釈】

  ○閔時之不平、人之不義‥閔は心配する、憂患。時局が不安定で、人類が綱常に背いていて、不義が多く行われていることを心配すること。

  ○孜孜矻矻‥孜は資()と音は同じ。矻は庫()と音は同じ。勤勉に努力して怠らないこと。

  ○孔席不暇煖‥煖は暖(nuǎn)と音は同じ。
孔子は周遊列国して、速く仁道を推し広めたいので、どこに行っても、座っても席がまだ  温まらないうちにまた慌ただしく去っていった。後に熱心に世を済い、駆け回り苦労することを形容する。

  ○墨突不得黔‥突は煙突。黔は前(qián)と同じ音、黒色。
 墨子の心は世を済うことにあり、あちこち奔走し、どこに行っても、煙突がまだ黒く煤けな いうちに、すぐに離れてしまったことを指す。

  ○安佚為樂‥佚は「逸」に通じる。勝手気ままで、のんびりしている。安逸自在を享受すること。


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