ダイヤさんのコメントに関しての記事です。
先日の配信でのやりとり
「にせ悟空さんのレーティング理論の根拠は何ですか?」
悟空「ロン2初期から打っている自分の経験および他ユーザーのレートの観察です」
「それが正しいという根拠はありますか?」
悟空「(え?正しいという根拠?)うーん、根拠と言えるかどうかは分かりませんが、ブログやその他の場所で自分のレーティング理論についての支持が多いことですかね」
「それで正しいことが証明できるんですか?」
悟空「証明できるかどうかは何とも言えません。じゃあ逆にどうやって証明すればいいんですかね?」
「客観的なデータを示してください。でないと正しいかどうか判断できません」
悟空「(!??)データなんか無いですよ」
「じゃああなたはデータも無しにレーティング理論を書いたんですか?レーティング理論の根拠は何ですか?」
悟空「(自信を持って)ロン2で初期から打っている自分の経験則ですが」
「じゃあ正しいかどうか判断のしようがないですね」
悟空「あなたは理論の正しさを判断するのにデータが必要と考えているようですが、だったら麻雀理論の大多数を否定することになると思いますが。
○○プロの戦術本、○○プロの○○○理論、データで語られてるものなんて無いですよね。
思いつくのはとつげき東北氏くらいでしょう。
あなたはとつげき東北氏以外は全否定するのですか?」
「そういうわけではないです」
悟空「何故?あなたの言ってるのはそういうことでしょう。では例えば○○プロの○○○理論についてはどう思いますか?」
「それはどういった理論ですか?」
悟空「自分もよく分かりませんが、例えば○○にある牌は○○○になりやすいってやつでしたっけ?」
「ああ、それはデータで否定されてますよ。だから間違いです」
悟空「・・・」
以降はあんまり覚えてないですが、とにかく根拠を、データを提示しろの一点張り。
ちなみにこの配信、自分は英語でしか話さないという約束でオファーを受けている。
その約束が反故にされ、自分は全く準備ができてない状態であった。
しかも他にもいろいろ自分に不利な状況での会話なんで、冷静には話せてないし、詳細までは覚えていない。
会話の内容は順番の前後さえあれ、大体こんな感じだったと思う。
もしここが違う等、指摘があればコメント欄にでもお願いしたい。
この会話を見てどう思ったであろうか?
続きの記事を書く前に個々でも考えてみて欲しい。
こういうデータ主義者はなんと呼べばいいのだろう?
「データ信者」?「データ潔癖症」?
いやいや、「データ原理主義者」なんてのがしっくりくるのではないか。
我ながらなかなかのセンスだ。
次回はデータ原理主義者、データと麻雀、レーティング理論との兼ね合い等について書こうと思う。
先日の配信でのやりとり
「にせ悟空さんのレーティング理論の根拠は何ですか?」
悟空「ロン2初期から打っている自分の経験および他ユーザーのレートの観察です」
「それが正しいという根拠はありますか?」
悟空「(え?正しいという根拠?)うーん、根拠と言えるかどうかは分かりませんが、ブログやその他の場所で自分のレーティング理論についての支持が多いことですかね」
「それで正しいことが証明できるんですか?」
悟空「証明できるかどうかは何とも言えません。じゃあ逆にどうやって証明すればいいんですかね?」
「客観的なデータを示してください。でないと正しいかどうか判断できません」
悟空「(!??)データなんか無いですよ」
「じゃああなたはデータも無しにレーティング理論を書いたんですか?レーティング理論の根拠は何ですか?」
悟空「(自信を持って)ロン2で初期から打っている自分の経験則ですが」
「じゃあ正しいかどうか判断のしようがないですね」
悟空「あなたは理論の正しさを判断するのにデータが必要と考えているようですが、だったら麻雀理論の大多数を否定することになると思いますが。
○○プロの戦術本、○○プロの○○○理論、データで語られてるものなんて無いですよね。
思いつくのはとつげき東北氏くらいでしょう。
あなたはとつげき東北氏以外は全否定するのですか?」
「そういうわけではないです」
悟空「何故?あなたの言ってるのはそういうことでしょう。では例えば○○プロの○○○理論についてはどう思いますか?」
「それはどういった理論ですか?」
悟空「自分もよく分かりませんが、例えば○○にある牌は○○○になりやすいってやつでしたっけ?」
「ああ、それはデータで否定されてますよ。だから間違いです」
悟空「・・・」
以降はあんまり覚えてないですが、とにかく根拠を、データを提示しろの一点張り。
ちなみにこの配信、自分は英語でしか話さないという約束でオファーを受けている。
その約束が反故にされ、自分は全く準備ができてない状態であった。
しかも他にもいろいろ自分に不利な状況での会話なんで、冷静には話せてないし、詳細までは覚えていない。
会話の内容は順番の前後さえあれ、大体こんな感じだったと思う。
もしここが違う等、指摘があればコメント欄にでもお願いしたい。
この会話を見てどう思ったであろうか?
続きの記事を書く前に個々でも考えてみて欲しい。
こういうデータ主義者はなんと呼べばいいのだろう?
「データ信者」?「データ潔癖症」?
いやいや、「データ原理主義者」なんてのがしっくりくるのではないか。
我ながらなかなかのセンスだ。
次回はデータ原理主義者、データと麻雀、レーティング理論との兼ね合い等について書こうと思う。
ここではややこしいんで、違う場所で聞きたいこと聞きますね。
>オレンプさん
誰も指摘しないんじゃなくて、あなたが勘違いしてるだけだと思いますよ。
私もひょんなご縁で今更ながら配信バックアップを拝聴し、
色んな意味でニヤニヤしたり心の中でツッコミ入れつつの
楽しい時間を分けていただきました。有難うございます。
そしてこちらの関連項目も拝見させていただきましたが、
まだどの方も指摘されていないようなので少しお邪魔します。
>とにかく根拠を、データを提示しろの一点張り。
この部分の会話ですが、トイツ理論に関しての前後の流れから
推察するに、01さん(や我打麻将さんダイヤさん)が一点張りで
欲しがっているのは、実際のにせ悟空さんのデータではなく
レーティング理論の『発生条件』ではないかと考えます。
要するに「何ならプログラム組んでくりくり回してその場面で
本当に正着打か検証してやっから局面やどういう理屈なのかを
もっと具体的に言って!それか実際に打って結果出してよ!」
(という対局の誘い)であったように感じられました。
現時点では「検証(や対戦)は別に必要ない」とのご見解ですが、
誰がやっても同じ結果になる、という種の正しさをご自身の論に
求めるのであれば、いずれかはやはり必要なのかもしれません。
もしそれがツキからウサギを奪うことになったとしても。
お邪魔しました。では。
ええ、データ原理主義者でもなんでも構わないですが、悟空さんのことはこれから、主観主義者とお呼びしますね。しっくり来るでしょう?
>あなたはとつげき氏の考察は長期で、レーティング理論は主に短期の事象を扱ったものであることに気付いてない
またループですか。東風に関して言う限り、短期であればあるほどあなたの理論は役に立っていません。
もちろんロンロンについては「未検証」ですから、中身については否定も肯定もしませんよ。
ええと、ロン2ユーザー3段氏のコメントに
>東風荘において差が見られなかったことが検証されたということは、レーティング定義が異なるとは言えロン2においても差がない可能性は高まったと思われる
とありますが、これは否定しときます。レーティング式において最重要な部分が異なりますので。
アドバイスありがとうございます。
仰るとおりですね。
早い話が自分の考えはトールズさんの後の方のコメントと一緒なんですよ。
ブログの雰囲気も微妙で、確かに変な人が集まってきてます。
表面上礼儀をわきまえた対応をしてますが、できればあんまり関わりたくないですね(^_^;)
ただ、自分のブログを守るためにどうしても書かなければならないことがあります。
以前からの読者さんにはご迷惑をお掛けすると思いますが、次の記事で終わりです。
あとほんの少しだけご容赦ください。
逆ににある程度のレベル以上はデータでは計れないんじゃないですかね?
状況設定等条件が難しすぎると思うんですが。
たてつづけにすみません。。でもいまのブログの状況が私はあまり好きじゃありません。
そう思うのは私だけかな。それとも悟空さんはわざとちがう自分を演じてみせているのかな?
麻雀なんて、ある程度のレベルになるとデータがなきゃ答えが出ないよ
こんばんは。
しっかりしたロジックの文章でほぼ全面的に正論であると思います。
ただ、全面的に同意できるかと言うと同意しかねる部分もありますね。
次の記事でそこらに触れてみたいと思います。
>麻将さん
dataが可算名詞か不可算名詞かですね。
何となく不可算っぽいんでそれでいいのではないでしょうか。
興味があれば調べてみてください。
本文についてはデータ原理主義者のステレオタイプみたいな内容ですね。
分かりやすいサンプルだと思います。(何か嫌味な言い方に聞こえるかもですがご了承ください)
次の記事で関連したことを書けるかなあ。
>ふんばばさん
面白そうですね。
是非ともお願いします。
コメントありがとです。
全て目を通しましたが、ここで話をややこしくしたくないので部分的にコメントします。
>ダウさん
こんばんは、詳しい解説ありがとうです。
なかなか難しいですね。
自分≒ベイズ主義的、データ原理主義者≒頻度主義ってことでいいんですかね。
>ロン2ユーザーさん
「あなたはとつげき東北氏以外は全否定するのですか?」
「そういうわけではないです」or「全てを否定する訳ではない」
これらは同じニュアンスだと思うのですが、どう違うのでしょうか?
他の方からも指摘があればロン2さんの指摘通り修正しようと思いますが・・・
実際はどうだったんですかね?
あと一点、あなたはとつげき氏の考察は長期で、レーティング理論は主に短期の事象を扱ったものであることに気付いてないと思いますよ。
後で書きますが、これもデータ主義の弊害ですね。
>芋さん
自分はそういった世界はよく分かりませんがそういうものなんですか。
そういや微妙に話がずれるかもしれませんが、ダーウィンの進化論ってデータによる裏付けがあるんですかね?
悟空のレーティング理論と逆の結論となる理論です。
客観的データによる裏づけはない経験則です。
どちらか正しいかどうやって決めましょうか?
とりあえず2chでアンケートでもとりますか(笑)
判断するのはヒトではありません。ヒトは、正しさと関係なしに、支持したり支持しなかったりします。
私は自然科学の手法を採ります。
したがって、(演繹的もしくは帰納的な、) 肯定的根拠があれば支持しますし、否定的根拠があれば支持しません。
どちらの根拠も発見されていないものは保留し、どちらかを得るまで検証を繰り返します。
直観により、その間に支持または不支持していますが、根拠が発見されればすぐに翻ります。
ちなみに、どちらかというと支持していましたが、検証を拒むところを見て不支持に傾いてます。
悟空さんが(直接的もしくは間接的に)自然科学の手法を採る義務は別にないですが、私はその態度を評価しません。01さんもそうだったということでしょう。
理論を唱えるのにデータは必要ありません。しかし、それが故に理論とは未だに正しいことが完全に証明されていないもののことを言います。もちろん、全く信用できないものから、ほぼ間違いなくそうであろう、というものまでありますが。
ある人が理論を提唱するとします。もしその人に「何故それが正しいと思うのか?」と訊いて、「5人の人を観察してそう思った」と言ったら信憑性は非常に低いですよね?では悟空さんに様に「多くの観察をしてきた」場合はどうでしょうか?かなり信憑性が高まりますよね。
ただ、高まるのは間違いないですが、もっと高められるということです。元々、人間の数値に対する感覚というのは先天的に、真実の数値と食い違うことは頻繁にあります。多くの人が「感覚的にこうであろう」と思っていたものが、実際には「全く違う」ということはしばしばあります。
「悟空さんの経験則」というのは「無名雀士」よりは遥かに信憑性が高いです。しかし、やはりそこには悟空さんの「観察の間違い、勘違い、思い込み」などの可能性が潜むわけで、実験結果データがあれば、より「間違っていない可能性」が高まるわけです。信憑性が増すわけです。
逆に、誰かが膨大で正確なデータを取って、それが悟空さんの理論の逆を裏付けるものなら、そちらの方が信憑性が高いということになります。
しかし、当然のことながら、データを取ればそれで全てOK!というわけではありません。データの取り方、データの解釈の仕方、母集団の大きさ、母集団に偏りやある傾向がないか・・・様々なことを考慮する必要があります。理論や提唱によっては、いくらデータを集めても信憑性は増しますが、100%正しいと言い切れないことは多くあります。
と、こんな感じだと思います。01さんとのラジオでは、結構ピリピリした空気だったので、「データは!?」「データなんて!」みたいに、01さんは「データが全てだ!」という雰囲気で、それに対して悟空さんは「データなんていらねえよ!」と否定する・・・といった感じでした。オカルト信者が数字を毛嫌い、デジタル派が流れ思想に身震いする。それと構図が似ていたと思います。
経験則は非常に大切です。そもそも、経験があるからこそ、「ひょっとして、こうなんでは?」という最初のひらめきが生まれるわけです。しかし、データを(より正しく、より有効に)取ることができれば、より真実が見えてくる。そういうことです。
理論が存在するからこそ、検証する必要性、価値も生まれるわけで、データがないからその理論は無価値だなんてのはいいがかり以外のなにものでもないです。
議論すべきは、「その理論がきちんと理を捉えているか」であるはずですが、対談相手がレーティング理論そのものを知らず話していたので全く煮詰まらなかったですね。
理論と検証は別ものと僕も思います。
上記の会話、
>あなたはとつげき東北氏以外は全否定するのですか?」
>「そういうわけではないです」
というところのニュアンスが違うのではないでしょうか?
「全てを否定する訳ではない」
と言っておられたような気がしますが?
とつげき氏以外の理論でもデータはなくとも理論的であれば支持をするという意味だったのではないでしょうか?
>以降はあんまり覚えてないですが、とにかく根拠を、データを提示しろの一点張り。
にせ悟空氏のレーティング理論は経験則によるものであり、それはとづげき氏の著書「科学する麻雀」の序章でも記載され、その他の場所でも主張されているように人間の記憶というものは非常にいい加減であり、当てにならない。という部分に当てはまるため、根拠やデータを提示してほしいという意味だと思います。
にせ悟空氏のレーティング理論が正しいのであれば、私はそれを参考にし四段を目指すべきでありますが、正しくないのであれば、打ち方を変更することは全くの無意味になります。
東風荘において差が見られなかったことが検証されたということは、レーティング定義が異なるとは言えロン2においても差がない可能性は高まったと思われるので、理論的な根拠が必要なのではと思います。
プロの戦術本などはたくさんあり、それは別にかまわないと思いますが、その本に書かれていることが正しいかどうかは別問題です。
とつげき氏は理論的に正しいことのみを求めようと努力しておられます。
世の中に間違っている理論流そうとすることは、麻雀界のレベルを低下させることにも繋がります。
よって理論的な根拠、データは必要だと思います。
ただ、個人の経験則などで、ブログ上でそれを発表するのは別に自由であるとも思います。ただし、それを経験則に留め、正しいかどうかをあいまいにしておくのではなく、正しいかどうかを検証していくということを現在の麻雀技術の高い人達に是非していただきたいと個人的に思います。
私は実際に配信を拝見したわけではないので見当外れになってしまうかもしれませんが、
>こういうデータ主義者はなんと呼べばいいのだろう?
タイトルにも書きましたがおそらく「頻度主義」と呼ばれるものかと思います。
統計学では主観確率を容認するか否かで全く異なる理論体系が必要となってくるそうです。
その際、確率論においてベイズ確率を採用する哲学的立場を「頻度主義」に対比して「ベイズ主義」といいます。
こちらのwikipediaに簡単に説明されているのでお時間があれば御覧下さい
ベイズ確率
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E9%A0%BB%E5%BA%A6%E4%B8%BB%E7%BE%A9
主観確率(&客観確率)
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%AE%A2%E8%A6%B3%E7%A2%BA%E7%8E%87
自分は詳しい経緯を知らないため、また、悟空さんからの見解しか見ていないためにどちらかに肩入れする。といった行為や意見は控えたほうがいいかと思いますが、、、
個人的な意見としては、麻雀における理論の主義・主張をブログなどで書く分には主観確率に頼るのもやむを得ないと考えています。
というか客観確率は物理的に不可能ですし、その信頼性(データが正しいか?など)の証明も難しいですからね。
主観確率を認めないというのであれば、おそらくほとんどのケースで「自分はこう考えている」といった議論自体が成り立たなくなってしまうかと思います。
それはそれで寂しいですしね。
ただし自分の意見を述べるだけならいいのですが、他人の意見を否定・批判するのであればそれなりの根拠が必要かとは思います。
また、麻雀の戦術本などとしてで販売するのであれば、それを裏付けるだけのある一定のデータ、あるいは筆者の実績などが欲しいところではありますが^^;
詳しい経緯を知らないのに、差し出がましく意見を述べてしまい申し訳ありません。
今後も記事楽しみにしてます。更新頑張ってください。