旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

日光道中紀行7 大沢宿~今市宿~鉢石宿

2017-10-02 | 日光道中・奥州道中紀行

 日光東照宮「陽明門」に立った。
豪華絢爛な美しさは、40余年ぶりの大修理を終え、本来の輝きを取り戻したかのようだ。
正月3日に日本橋を発ってから140km、延べ7日間の日光道中の旅がここに終わる。

Navi63. 大沢郵便局(斜め左)→<旧道>→水無交差点 1.3km 17分

      

07:50 「大沢宿」
 大沢宿を発った日光道中は基本的に国道119号を往く。
時折旧道となって右へ左へ外れるが、杉並木の間を通れば良いのであって迷うことは無い。
日光方の入口から宿外にでると、直ぐに八坂神社がある。と云っても小さな祠だ。

 

八坂神社を過ぎると、旧道は突然通行止め、排気ガスや振動から杉並木を守る配慮だ。
この先は過ぎの落ち葉を踏みしめて歩く。

08:00 「水無一里塚」
 日本橋より32里目の水無一里塚、並木の中にあるので両塚が原形を留めている。
杉並木自体が道路面より高い位置に植えられているので、塚の全容を観るのは難しい。

 

08:05 「水無地蔵尊」
 杉並木の旧道は水無交差点で国道119号と合流する。
その手前に水無地蔵尊、地蔵堂を囲むように数体の地蔵が並んでいる。

Navi64. 水無交差点(直進)→<国道119号>→日光甚五郎煎餅工場 1.4km 18分

Navi65. 日光甚五郎煎餅工場(斜め右)→<旧道>→下森友交差点 0.9km 12分
Navi66. 下森友交差点(直進)→<国道119号>→森友交差点 0.5km 6分 

Navi67. 森友交差点(斜め右)→<旧道>→小倉交差点 2.8km 40分

 

08:50 「七本桜一里塚」
 日本橋から33本目の七本桜一里塚。
東塚の塚木は杉の巨木なのだが、根元が腐って大きな空洞になっている。
大人4人程度が入れることから「並木ホテル」とも云われている。

七本桜交差点の先で東武日光線のガードを潜る。杉並木と東武電車のコラボレーションだ。

まもなく西側から別の杉並木が近づき、小倉町交差点手前で合流する。日光例幣使街道だ。
この街道は倉賀野宿で中山道と分岐して、太田宿、栃木宿を経て、日光道中と合流する。
例幣使とは朝廷の勅使のことで、朝廷から神への捧げものを毎年東照宮に納めた。
往路は中山道から日光例幣使街道を、復路は江戸で将軍と対面してから帰京したと云う。 

Navi68. 小倉交差点(直進)→<国道119号>→瀧尾神社 0.8km 10分

 

09:20 「追分地蔵」
 追分の二股になったところに追分地蔵がある。
もともと如来寺に安置されていたものを、街道開設の頃この地に移したものらしい。
日光道中と例幣使街道が合流した追分が今市宿の江戸方の入口である。
小倉町交差点辺りに木戸が設けられていたと云う。

 

09:25~10:05 「今市宿」
 今市宿に入ると直ぐ右手に道の駅が広がる。その裏手にあるのが報徳二宮神社が在る。
二宮尊徳は幕府の命による農村復興事業の最中、ここ今市で70歳の生涯を閉じている。
今市宿の規模は、本陣1、脇本陣1、問屋場1、旅籠21。1と6の日には市が開かれ賑わった。
宿場は幕末に戊辰戦争の戦火に見舞われ、大半が焼失し、宿並みに当時の面影は無い。

 

道の駅の向かい側には "日光誉" 渡邊佐平商店が在る。天保13年(1842年)の創業だ。
日光山麓の清冽な名水を汲み、日光連山から吹き下ろす冬の寒気の中で酒を醸している。
将軍の行列も例幣使の行列も、市の賑わいも見つめてきた酒蔵は宿場の華なのだ。

 

宿並みの中央、春日町交差点に日光名物 "たまり漬" 上澤梅太郎商店が在る。
この向かい側辺りに本陣大橋家が在ったのだが、当然に何の遺構もない。
宿場の鎮守瀧尾神社は、日光二荒山神社を祀った際、この地にも瀧尾権現を祀った。
この瀧尾神社が宿場の日光方の入口で木戸が設けられていたそうだ。

Navi69. 瀧尾神社(斜め右)→<旧道>→日光市野口 3.5km 45分

瀧尾神社から先の日光道中は杉並木鑑賞道路となる。この辺りの杉並木が美しい。
左右に清流が流れる砂利道が杉の並木の中で緩やかに右へ左へとカーブして続いて行く。

 

日本橋から34番目、日光道中最後の瀬川一里塚は終ぞ見つけられずに通り過ぎてしまった。
戊申戦争では日光・会津への交通の要衝今市宿をめぐる官幕両軍の激しい攻防戦が展開された。
慶応4年(1868年)4月、官軍の北村砲隊が放った砲弾の痕が並木杉に残っている。

 

野口の集落に入ると薬師堂があって念仏供養塔が並んでいる。青雲山竜蔵寺の跡地だ。
貧しい竜蔵寺には釣り鐘がなく、日光廟造営の石工に造ってもらった石の釣鐘が在る。

Navi70. 日光市野口(斜め右)→<国道119号>→いろは食堂 1.9km 25分

Navi71. いろは食堂(斜め左)→<旧道>→東和町交差点 0.4km 5分
    ※JR日光線ガード下でR119と交差するので注意 

 

JR日光線のガード下で国道119号と交差してさらに旧道を行く。
鉢石宿を目前にして石段がある。
明治天皇が東北行幸の際、この階段のため、七里の御小休所で馬車から馬に乗り換えた。

Navi72. 東和町交差点(直進)→<国道119号>→神橋交差点 2.0km 30分 

11:55 「鉢石(はついし)宿」
 JR日光駅入口の相生町交差点。ここに鉢石宿の木戸が在った。
日光道中最後の宿場である鉢石宿の規模は、本陣2、脇本陣1、問屋場1だ。

 

ゴール目前、文化元年(1804年)創業と云う老舗「湯沢屋まんじゅう本舗」でひと休み。
ちょうど二つあった本陣の一方、高野本陣はこの店の向かい側と思われる。
"焼き酒まんじゅう" は、餡の入った酒饅頭を串にして、味噌だれをつけて焼いたもの。
抹茶といただく。これ中々いける。疲れも吹っ飛ぶ。これから東照宮も歩くからね。

高野本陣の先の「鉢石」は、開祖勝道上人がこの石に座って日光山を仰いだと云うもの。
「鉢を伏せたような形状」がその名の起こり、やがてこの地の地名になった。
大谷川の流れの碧に映える朱塗りの「神橋」は日光道中の終着地。対岸は神域になる。
大沢宿から今市宿を経て、美しい杉並木を歩いた最終日は、15.8km、4時間05分の行程だ。
次回は宇都宮宿に戻って奥州道中を進める。 了 


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