旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

青い昇竜と金鯱とぶーちゃんと 名城線・名港線を完乗!

2020-04-04 | 呑み鉄放浪記 私鉄編

環状に走る名城線と、一体運用の名港線と、路線図を見ると9を左右逆にした様に見える。
まずは金山から左回り電車(名城線では右回り左回りと称する)に乗車する。

駅ビルに金山総合駅ってサインが架かる。えっ、だって鉄道にそんな駅は無い。
JR2線、名鉄線、市営地下鉄2線が乗り入れて、ビルは市が保有するので「総合駅」って称するそうだ。
市立大、名城大、南山大、名古屋大と名城線の東側には良く知る名の大学が点在する。

ほぼ半周してナゴヤドーム前矢田駅、出口1のエスカレーターを上るとドームへのデッキが延びている。
閑散としているが、まもなく中日vs巨人の無観客試合がプレーボールになるはずだ。

さらに左へと回る。名城線の西側は、久屋大通の下へ潜って市街地を貫いて走っていく。

名古屋城の最寄りは市役所駅、7番出口は城の高麗門(本丸表二之門)を模している。
それにしても名古屋市役所本庁舎が立派でちょっとした発見。
中央に高さ53.5メートルの時計塔を持つ日本的な要素を取り入れた西洋的な建築様式は、
二層の屋根を配した塔の頂上に四方にらみの鯱を載せ、名古屋城との調和を図っている。

1615年(慶長20年)、徳川家康によって建てられた名古屋城は黄金の鯱を頂く大天守を持つ。
空襲で慶長の天守閣が焼失すると、市民の多大な寄附により1959年(昭和34年)に現天守閣を再建。
今日また、日本最大を誇った往時のままに天守閣を木造復元しようとプロジェクトが進行中とか。

訪れた日には、観桜にはちょっと早かった名古屋城、唯一シダレザクラが3~4分咲きだろうか。
名古屋城創建時そのままに現存する西南隅櫓の漆喰白壁に、薄紅の桜が映えて美しい。

さらに栄を越えて3駅進むと矢場町、実は初めての矢場とん・矢場町本店訪問。いつもはエスカ店だから。
矢場町交差点に立つと、ビル4フロア大に描かれた巨大な「ぶーちゃん」が目につくので迷うことはない。

本当は、どて煮や串かつを肴に地酒を飲もうと思ったのだけど、後ろに列も出来ていたので定食に変更。
で、みそかつ&ソースかつの "わらじとんかつ定食"、先ずはみそかつを肴に生ビールを呷る。合うね。
ソースかつには辛子をたっぷりつけて、ご飯と味噌汁で遅いランチタイムを堪能するのです。

お腹が膨れたら四度の左回り、3区間乗って金山に戻る。1周50分は大阪環状線より長く、山手線より短い。
今度は内側の2番ホームで名古屋港行きを待つ。左回りと名港線は5分毎交互にやってくるのだ。

ステンレス車両に藤色のラインをひいた6両編成は名城線と同じ、金山駅をでると海をめざして南へ走る。
乗車時間10分、名古屋港駅の車止めに行く手を塞がれて、名港線の旅はあっけなく終わってしまう。

改札から地上へ這い出ると国際貿易港・名古屋港へ埠頭が突き出ている。
この港だけで国の貿易黒字額の6割を占めると云うから、さすがはものづくりの拠点・中京と感心する。
休日のガーデンふ頭には「南極観測船ふじ」の鮮やかなオレンジの船体が眩しい。
家族連れや恋人たちで賑わうはずのふ頭も、時節柄閑散としている。タロとジロもなんだか寂しそうなのだ。

名古屋市交通局・名城線 金山~大曽根~金山 26.4km
         名港線 金山~名古屋港 6.0km 完乗

南風 SOUTH WIND / 太田裕美 1980



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