旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

天燈と旧い炭鉱の町と台湾啤酒と 平渓線を完乗!

2024-08-04 | 呑み鉄放浪記 番外編

基隆河に沿った谷間の十分車站で、瑞芳ゆきDRC1000型気動車が下り列車とのタブレット交換を待っている。
どことなく、日本国中のローカル線を走っていた旧国鉄の気動車に面持ちが似ている。
ステンレスのボディーに橙と黄で少し派手目に化粧した気動車で、今回は平渓線を呑んで乗る。

平渓線の起点は三貂嶺(さんちょうれい)車站、基隆河の崖上の駅は、旧保津峡駅に似ているだろか。
台北からここまでは、区間車(普通列車)に乗ってちょうど1時間ほどの距離になる。
平渓線で遊ぶのなら、台北からの「平渓線/深澳雙支線一日週遊券」72元を求めるといい。

花蓮方面に向かう特急列車が爆走する本線から分岐して、平渓線はガタゴトと基隆河を遡る。
谷間をうねうねと延びていく鉄路は、日本でよく見るローカル線の風景と変わらないけど、
覆い被さってくる樹木が、ここが北回帰線が通る南国であることを感じさせる。
ちょっとした日帰り旅に人気のローカル線だから、3両編成の気動車はラッシュ並みの乗客で溢れている。

沿線で最も乗降客が多い十分(シーフェン)車站、どうやら乗客のほとんどはこの駅で降りてしまうらしい。
ここは平渓線で唯一交換ができる駅だから、上り列車を待って、ゆったり10分ほど停車する。

平渓線はもともと、日本統治時代に炭田開発を目的として民間企業が敷設した。
その後、台湾総督府鉄道が買収し、台湾鉄路となって今に至っている。

十分老街は線路沿いに屋台や土産屋を連ね、列車がやってくる直前まで線路上に観光客が溢れている。
商店街の軒をかすめるようして、ディゼルカーが警笛を響かせながら走り抜けるのがこの町の風景だ。

列車が行き過ぎると、線路上からは次々に天燈(ランタン)が夏空に舞い上がる。
健康は赤、恋愛は橙、金運は黄といった感じに、ランタンの色によって叶う願い事が違うそうだ。
大きく両手を広げて、目の前のご夫婦は、願い事いっぱいに4色のランタンを放っていた。

十分老街を漫ろ歩く。町はずれにこの国のどこにでもありそうな道教寺院がある。
独特な線香の匂いが漂ってくるし、なにより赤を基調とした建物は見逃しようがない。

場末の食堂を覗いた。たしか「十分牛肉麺」といった。
あとでWebで検索したけれど、必ずしも評判の良い店ではなさそうだ。まぁボクは気にならない。
とにかくクーラーが効いた店で、冷たいビールにありつきたい。

“水餃子” に薄口の醤油をかけて、“台湾啤酒” の相手をさせる。
看板のはずの牛肉麺は品切れで、択んだのは “海鮮麺”。汗をかいた身体に塩味は案外いいかも知れない。

再びの十分車站、満員の観光客を吐き出して、ガラんとした気動車で旅の後半をゆく。


<新北市政府観光旅遊局のページより>

十分〜大華の間で車窓に見える「十分瀑布」は、吊り橋を渡るハイキングコースで訪ねることができる。
「台湾のナイアガラ」と呼ばれるのは甚だ大袈裟だけど、幅40m落差20mはそれなりに迫力がある。
20年ほど前に一度歩いているのだけれど、今回はもくもくと湧き上がる黒雲に怖気付いて予定変更。

案の定、終点まで20分の旅の半分、窓の外はバケツをひっくり返したような雨のスクリーン。
デビュー当時は優等列車に使用されたDRC1000型、ロングシートに変更されているけどなぜか革張り。
広い窓枠は車中酒派には嬉しい仕様、っというわけでプシュッと “台湾啤酒CLASSIC” を開ける。
この苦味のあるCLASSICは、日本統治時代製造された「高砂ビール」の味を引き継いでいる。

嘘のように土砂降りの雨が上がった頃、3両編成の気動車は終点の菁桐(ジントン)車站に到着。
かつて石炭輸送で賑わった構内には、何本かの引き込み線と洗炭場が残っていて、往時を偲ばせる。

白く塗った木造の壁に瓦をのせて、駅舎は1929年に建てられた日本式木造家屋。
周囲はノスタルジックな商店街になっている。本当はもう少し旧い炭鉱の町を歩きたいところだけれど、
そんな商店街の雑貨屋で3本目の “台湾啤酒” を求めて、折り返しの瑞芳ゆきに乗車するのだ。

平渓線 三貂嶺〜菁桐 12.9km 完乗

<40年前に街で流れたJ-POP>
STARSHIP / アルフィー 1984