旅の途中

にいがた単身赴任時代に綴り始めた旅の備忘録。街道を歩いたり、酒肴をもとめてローカル線に乗ったり、時には単車に跨って。

東海道紀行4 大磯宿~小田原宿

2018-11-23 | 東海道紀行

08:30「大磯宿」  00:00:00
 東海道を歩く旅第4日目、気温はひんやりと下がったが、幸い青空が広がった。
今回はやや短い距離になるが、大磯宿から小田原宿まで、湘南海岸を往く。 

尾上本陣裏の地福寺、島崎藤村・静子夫妻の墓がある。晩年をこの地で過ごした。 

情緒ある佇まいは「鴫立庵」、この辺りを吟遊した西行を偲んで創建された俳諧道場だ。 

裏手の「こゆるぎの浜」に出ると、小田原から伊豆半島へと流れる海岸線が見渡せる。 

上方見附跡から松並木が続く。伊藤博文、山県有朋らがこぞって別荘を建てた辺りだ。 

Navi12-3 城山公園前交差点(右折)  旧道を1.3kmでR1に戻る

09:20「国府本郷一里塚」 00:50:00
 日本橋から十七番目の国府本郷一里塚、案内標柱には実際には200mほど江戸寄とある。   

Navi12-4 吾妻神社交差点(斜め右)  450mでR1に戻る

10:05「藤巻寺」 01:35:00
 樹齢400年になる藤棚は二宮町の天然記念物、将軍家光も立ち寄ったと云う。 

旧道に逸れた東海道が国道1号に戻る山西交差点には道祖神など石仏群が在る。 

Navi12-5 川勾神社交差点(斜め左)  350mでR1に戻る 

10:15「押切坂一里塚」 01:45:00
 日本橋から十八番目の押切坂一里塚は坂の上、相模灘が一望できる。
大磯から小田原は四里を越える。ここ梅沢立場は間の宿となり本陣も置かれた。 

10:30「浅間神社」 02:00:00
 相模灘を見下ろす高台の浅間神社、境内に明和5年(1768年)建立の庚申塔が立っている。 

西湘バイパスの先に穏やかに煌めく相模灘、幾艘かの釣り船が遊んでいる。

      

11:20「小八幡一里塚」 02:50:00
 日本橋から十九番目の小八幡一里塚は何の目印もない。いや神奈中のバス停があった。 

11:45「酒匂川の渡し」 03:15:00
 酒匂川を渡る。江戸幕府は防衛上の理由で架橋も渡船も許可せず徒歩渡しだった。
旅人は人足によって川を渡らなければならず、旅を急ぐ人々は大変な難儀した。
雨が降り続き、水深が胸位になると、川留めとなったからだ。

広重の東海道五十三次・小田原は、この酒匂川の渡しを描いている。 

Navi12-6 ビジネス高校前交差点(左折)  210mでR1に戻る  

小田原宿に入る手前右手に「山王神社」が在る。
天正18年(1590年)、小田原に着陣した徳川家康は、日々ここに詣でたと云う。 

 

12:05「山王原一里塚」 03:35:00
 国道1号線の往く手に天守閣が見えてくると山王原一里塚、日本橋から二十里目になる。
ここは小田原宿の江戸口見附が置かれたところでもある。 

Navi12-7 新宿交差点(左折) 800mでR1に戻る  

東海道は新宿交差点を左折して国道1号から離れる。
100mほど進めて右折すると通称「かまぼこ通り」、なるほど老舗の本店が軒を連ねる。 

      

12:15~12:45「小田原おでん本店」 03:45:00
 今日の街道めしは "おでん"、人気の小田原おでん本店を訪ねる。
蒲鉾で名高い小田原市の新名物として「おでん」による町興しをと開店して10年になる。

 

もうゴールも近いからと言い訳して生ビールを呷り、おまかせ5点盛りと茶飯を注文。
"おでん" はビールの当てに、"茶飯" に出し汁をかけて茶漬け風にして美味しい。

12:55「小田原宿」 03:55:00
 難所・箱根を控えた小田原宿。その規模は本陣4、脇本陣4、旅籠95軒と東海道随一。
4軒の本陣の一つ清水金佐衛門本陣跡は公園となり、明治天皇行在所阯碑が建っている。 

 
 

旧い遺構が残っていない宿内で雰囲気がある「済生堂薬局」は大正年間の建物だ。
道を隔てた「ういろう本店」は小田原城の櫓の様、600年を超えて薬種と菓子を商う。 

 箱根口交差点を今日のゴールにして右に折れるとほどなく小田原城の堀に行き当たる。
東海道を歩く第4日目は大磯宿から相模湾を左に見て小田原宿まで。3時間45分の行程。
次回は箱根八里を往く。 

大磯宿~小田原宿 16.5km



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