思考の踏み込み

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前田智徳21

2014-08-17 02:04:55 | 
そういう "場所" で生きていた前田にとっては世間が騒ぐ様な類の結果にはまるで興味がなかった。

98年シーズン終盤、首位打者争いのトップを走る横浜 鈴木尚典に前田は僅か二厘差で迫っていた。

迎えた横浜広島最終戦、前田は出場する事を拒否。



前田に打率を上げさせない為に、相手が敬遠策をとってくる事が予告されていたからだ。

前田は "ファンにみっともないものをみせたくない ー " と言い残し球場を去ったと言われるが、この辺り、熊本県大会で相手投手に食ってかかった頃の前田と何も変わっていなくて、前田ファンとしてはたまらない一幕であった。


思い出されることは前田が打った後によくみせた仕草である。

彼は打席でボールを打ち、一塁に走り出す前にしばしばバットの何処に当たったかをチェックする。

そんな事をしていたら際どいタイミングの場合、セーフになるものもならないかもしれない。

だが前田にとってそんなことはどうでもよいのである。
それよりも大切な事は自分が思った角度とポイントで、ボールを捌けたのかどうかー 。

打撃練習のとき、高校時代からすでに前田のバットにはボールの跡が一箇所しか残っていなかったといわれる。

けして本人は詳しくは語らないが、前田の精密な打撃理論から推測すると、彼は投手の投げたボールの回転とそれに対する打撃ポイントの移動によって、打球の質がまったく変わるということをずいぶんと追求していた形跡がある。

だからこそいつも必ずバットの何処に当たったかを真っ先に確認するのである。




何の為に?


ー 理想の打球を打つ為に。


理想の打球は?
と問われ、「ファウルなら打ったことがある。」と答えたエピソードは余りにも有名だが、前田は後日これはウソだったと否定している。

おそらくこのエピソードが一人歩きしてしまっている気恥ずかしさから、その事を打ち消したかったのではないだろうか。

前田にとって "理想の打球" とは質としてどんなものであるか、それは語られていないが、彼が時に ー 狂気を感じさせるほどに、執念を燃やして追求したモノがその一点に尽きるということは前田ファンならば誰もが知っている事であろう。

それはまるで "真理" を求めて嶮しい山岳へと分け入ってゆく修験者の様でもあるし、"剣" によって神と一つになる道を命懸けで模索したサムライのようでもある。

修行僧、サムライ、求道者…。

前田智徳にはいつもついて回ったフレーズであるが、彼をそこまでにさせた根本は何処にあるのか?

彼の求めた "理想" とはどんなものだったのか ー ?



いずれ前田本人が語ってくれる時がくるかもしれないが、やはり寡黙な男だから何も語らずに終わるかもしれない。




ー 引退後、彼は自分がプロ野球選手に向いていなかった事を語り (ファンサービスという点で、もしくはチームプレイという意味でも) 、叶うならば山奥で陶芸の様な仕事でもして暮らしたい、と言っていた。

榎本喜八が名球会入りすら拒否して、世間から姿を隠したように、前田もあるいはそういう道を選ぶのか。

指導者としてのカープへの復活も良いがそっちの方が前田らしいとも思ったりする。

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