思考の踏み込み

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前田智徳5

2014-08-02 00:17:35 | 
こうしてみてくると、前田智徳という男の ー あの有名なセリフの真意もわかってくる。

プロ入りして六年目、1995年5月前田は右足アキレス腱を完全断裂する。




彼は懸命にリハビリを重ね、見事に復帰したが、既に本来の自分を取り戻す事は出来なくなっていた。


"ー 前田智徳という打者はもう死にました。"


前田はそう語った。

これは、前田が望んでいた "高み" における真剣勝負の世界ではもう生きていけない ー "そこ" ではもうオレは通用しない ー という前田の悲痛な想いが表れた言葉であろう。

その後の彼の成績をみれば、プロ選手としては十分に一流と呼ばれて然るだけの結果を残している。

しかしそれは前田の求めていたレベルとは次元が違ったのである。

だから彼は言う。




「今プレーしているのは、僕の弟です。」
「あの打球は高校生が打ったんです。」


"スポーツ" 程度のレベルであれば、自分の "弟" でもやれるだろう。
だが、本当の真剣勝負の世界はそんなモノじゃないんだ。


もうオレはあそこには戻れない ー 。


まるで音楽だけが生き甲斐の男が、両耳を潰されてしまったほどの悲劇の中、前田はファンの為、そして自らが生きていく為に ー 長くて虚しい現役生活を続ける事となる。

事実彼はそれ以降、理想の打撃や理想の打球についてはあまり語らなくなっていく。


しかし野球に対するひたむきな姿勢だけは変わらなかった。

もはや自らの理想とすべき場所へは辿り着けないとわかっていながら、彼は最後までそれを諦めはしなかった。

ファンもまた前田にそれを期待した。
その期待に答えようとする前田のひたむきな姿にカープファンはまた魅了されたのである。

それはまるで、徐々に聴覚が失われていったベートーベンが、その感覚の "記憶" だけを頼りに作曲活動を続けた事に似ている。



前田は "前田智徳" の記憶を頼りに現役生活で死力を尽くした。

だがやはり前田はそれがムリな願いである事を、冷静に見つめていただろう。
"一つだけわかっていることは、前田は前田を超えられないという事 ー "
彼はそうも語っている。


「前田は死にました ー 。」


この発言の真意はこうした悲しみから出てきた、前田自身の余りにも切ない本音であると思う。


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