思考の踏み込み

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蔵六17

2013-12-15 03:01:36 | 
蔵六の駆け抜けた時代は文明と文化がぶつかり混ざり合う時代だと書いたが、不思議なことに彼個人にあっても
合理性と日本の身体文化による胆力や美意識といった二つの要素が渦巻きながら混在している。
しかしそれは彼のなかでは見事に安定して矛盾していない。



蔵六と同門の福沢諭吉などは、蔵六のこの一面性しか観えずに彼を危険視し騒いだが、こんにちになって比較すれば若き頃の福沢の軽率さ ー いい意味での ー となって見える。


その点でいうと、本来翻訳者程度にしか蔵六を見ていなかったのに、いきなり軍事のトップに据えた長州藩というのは大したものといえる。

"突如現れた" というのは多くの志士たちの蔵六への印象だが、実際 "突如"であった。

実質上は桂小五郎の独断だったとは思うが、軍事の才の無い桂が (おそらく蔵六の兵書の翻訳の内容の高さを見て判断したのだろうが) 蔵六を最も真価を発揮しうる地位に置いたということは、やはり偶然性の方を強く感じざるを得ない。



少なくともあそこまでの結果が蔵六一人の頭脳から出るとは、桂も思っていなかったであろう。
桂はそれよりも蔵六の異様な胆力を買い、人材の出尽くした長州藩の顔にしたかったのだと思う。


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