思考の踏み込み

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蔵六18

2013-12-15 03:01:52 | 
従って蔵六を見出した功はけして桂にはない。

やはり "歴史" という演出家が幕末という物語を締めくくるに足る役者を配した、と考える方が後世の我々には腑に落ちやすい。

歴史は実際時々そんな劇的演出をするものだ。



桂の功はその前後で蔵六を政治的に守り続けた所にある。

蔵六、大村益次郎という男はそうして自らの歴史的役割を終えるやいなや、あっさりと ー 見事というしかない程に ー この世を去っている。

後には、彼の残した仕事 (新政府初期の根幹を方向付けた) と彼の余韻だけが残った。

それはあたかも「能三日」という言葉があるように、一流の能役者の演技を観て、その演技における周辺の集中密度の高さに心奪われ、彼去りし後も、しばし呆然とするが如きである。



現代の我々はこういった景色を、今となっては永い日本史における歴史的風景として、単純に楽しむことができる。

村田蔵六という、この、人と対座しても平気で一、二時間無言でいるような男の生き様は、どんなに多弁な詩人より、どんなに勇壮な士よりも、魅力ある景色を日本史上に残したといっていいだろう。


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