僅か0,1秒を極限まで長く使う事を可能にするには限界までムダを省いた打撃フォームと鋭いスイングスピードが必要になるだろう。
この ー スイングスピードは筋力ばかりでは生まれない。
体幹や腰の回転の速さが最も重要である。体幹の回転の速さという点で、我が愛すべき江藤智は群を抜いていたがそれでも江藤の回転は外側の回転だった。
前田智徳の回転はこの点で見事なほどに中心、体幹の内側の回転であった。
(ルーキーの頃の前田を見た水谷はそのスイングスピードが早過ぎてむしろ身体がついていってない、と言っている。このことからも前田のスイングが外的な筋力に頼ったものでないことがわかる。)
それは達川に対して前田が言った言葉からも良くわかる。
「前田おまえ、どんなボールを普段待っとるんや?」
「? 」「いや、来た球を打つんですよー。」
当たり前のセリフじゃないか、と思われた方は0,1秒の攻防という事実を思い出して欲しい。
僅か0,1秒でもって球種、コースを判断し振る振らないの選択など人間にはできるものではない。
だからプロの選手達はみな配球を読むのである。それはヤマを掛ける、といってもよい。
ところが前田だけは、配球など読まなくても、この ー 0,1秒の世界で自由に動けたのである。
もちろんケガをする以前の事である。ケガをしてからはさすがの前田智徳も配球を読むということをやり出してはいる。
だが後年、円熟期を迎えた頃の前田は、スイング速度などはむしろ遅いくらいがちょうどいい、と語っている。
この言葉を聞いたとき、私はこの男が天才である事を実感したことを記憶している。
つまり、スイングスピードばかりを追求すればミートの正確性は一定範囲で犠牲にされる。
だが、前田ほどのスイングスピードがあればもはやある程度その力をセーブしてバットコントロールの方へ回しても、0,1秒の世界で十分に立ち回れたのである。
こうした "瞬間" の圧縮と自在性を可能にしたのは、すでに述べた前田の一切のムダの無い、美しい打撃フォームでもあるが、もう一つは圧倒的に優れた "選球眼" ということも挙げられる。
前田の選球眼は群を抜いていたという。
例えば今中が、どんなにムキになってどんなに際どいコースをつこうと、それがホームベースの上を通らない球であれば、前田は悠然と見送ったのである。
それでも審判が誤審して、ストライクをコールするときがあった。
審判も人間であるから仕方あるまい。
だが前田という、自己の判断力に絶対の自信を持ち、物事に対して一切の妥協をしない男にはそれが許せなかった。
そういう時、前田は明らかなボール球をわざと空振りし、追い込まれた挙句、最後のピッチャーのウイニングショットをスタンドに放り込む。
そしてニコリともせず、悠然とダイヤモンドを一周。ホームベースを踏むときに審判をジロリ、ひと睨みしてベンチへ去る。
内心身もすくむ思いであろう審判には同情するしかない。
それほどに前田の選球眼は優れていた。
この ー スイングスピードは筋力ばかりでは生まれない。
体幹や腰の回転の速さが最も重要である。体幹の回転の速さという点で、我が愛すべき江藤智は群を抜いていたがそれでも江藤の回転は外側の回転だった。
前田智徳の回転はこの点で見事なほどに中心、体幹の内側の回転であった。
(ルーキーの頃の前田を見た水谷はそのスイングスピードが早過ぎてむしろ身体がついていってない、と言っている。このことからも前田のスイングが外的な筋力に頼ったものでないことがわかる。)
それは達川に対して前田が言った言葉からも良くわかる。
「前田おまえ、どんなボールを普段待っとるんや?」
「? 」「いや、来た球を打つんですよー。」
当たり前のセリフじゃないか、と思われた方は0,1秒の攻防という事実を思い出して欲しい。
僅か0,1秒でもって球種、コースを判断し振る振らないの選択など人間にはできるものではない。
だからプロの選手達はみな配球を読むのである。それはヤマを掛ける、といってもよい。
ところが前田だけは、配球など読まなくても、この ー 0,1秒の世界で自由に動けたのである。
もちろんケガをする以前の事である。ケガをしてからはさすがの前田智徳も配球を読むということをやり出してはいる。
だが後年、円熟期を迎えた頃の前田は、スイング速度などはむしろ遅いくらいがちょうどいい、と語っている。
この言葉を聞いたとき、私はこの男が天才である事を実感したことを記憶している。
つまり、スイングスピードばかりを追求すればミートの正確性は一定範囲で犠牲にされる。
だが、前田ほどのスイングスピードがあればもはやある程度その力をセーブしてバットコントロールの方へ回しても、0,1秒の世界で十分に立ち回れたのである。
こうした "瞬間" の圧縮と自在性を可能にしたのは、すでに述べた前田の一切のムダの無い、美しい打撃フォームでもあるが、もう一つは圧倒的に優れた "選球眼" ということも挙げられる。
前田の選球眼は群を抜いていたという。
例えば今中が、どんなにムキになってどんなに際どいコースをつこうと、それがホームベースの上を通らない球であれば、前田は悠然と見送ったのである。
それでも審判が誤審して、ストライクをコールするときがあった。
審判も人間であるから仕方あるまい。
だが前田という、自己の判断力に絶対の自信を持ち、物事に対して一切の妥協をしない男にはそれが許せなかった。
そういう時、前田は明らかなボール球をわざと空振りし、追い込まれた挙句、最後のピッチャーのウイニングショットをスタンドに放り込む。
そしてニコリともせず、悠然とダイヤモンドを一周。ホームベースを踏むときに審判をジロリ、ひと睨みしてベンチへ去る。
内心身もすくむ思いであろう審判には同情するしかない。
それほどに前田の選球眼は優れていた。
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