読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

原爆「しようがない」発言

2007-10-29 12:33:34 | 日記
 なんの脈絡もないが、忘れてしまうので書いておこう。

 うちの中学2年になる長男は社会科が苦手だ。苦手というより勉強しないってだけだけど、テストの結果は50点満点かと一瞬勘違いする点数をキープしている。そのテストも、私が見たところ60点平均をめどに作られているようなのだが、クラスの平均が45点で、長男の点数はさらに悪い。あんまりひどいので、夏休み中はずっと夜の1時間を社会の勉強にあてさせた。数学ができないのなら「まあ、私の子だもの。」とあきらめるが、社会ができないというのはちょっとあきらめがつかない。だいたい中学の社会なんて教科書を3回読めば80点はとれると思うんだけど、なんでできないのかがわからない。
 そんなわけで長男は、毎夜それまでゲームをやっていたゴールデンタイムに、難行苦行に耐えしのぶ風情で社会の教科書を朗読し、問題集を解き、私の講釈を悲痛な顔で聞くはめになった。問題集は、教科書の文章がそのまんま虫食いになっているような簡単なものだから苦になってはいないのだが、私の講釈を聞くのが苦行なのだ。
 しかし、その甲斐あって、今月の試験では78点がとれた。やればできるのだ。テストの前日に予習をサボってゲーム三昧していなければ、あと5点は取れただろうけどね。
 今回のテストの範囲は日中戦争から戦後の日本までの現代史であったので、久間元防衛大臣の「しようがない」発言の影響もあってか、最後に「原爆投下の理由に対する、A)日本とB)アメリカの解釈の違いを述べなさい。」という難しい設問があった。息子は問題の意味が理解できていなかったので半分しか点が取れていなかったのだが、正解は、A)ソ連の参戦を知って、戦後の占領政策の主導権をアメリカが握るため。B)戦争を早期終結することによって被害の拡大を防ぐため。ということらしい。

 NHK特集なんかでも、10年以上前から原爆投下決定のプロセスを歴史的資料をもとに検証する番組が何度かあって、アメリカ大統領(トルーマン)はソ連参戦の情報を聞いて原爆投下を急がせたというのが日本側の概ねの理解であったように思うんだけど、あの時、久間元大臣の発言が猛反発を食らったわけは、なんで原爆の被害を受けた国の政治家が、加害者の立場を代弁するようなことを言うかということに尽きる。外交とは、自国の利益を最大化するための対話と交渉じゃないのか。よその国の利益になるようなことを、しかもその国に行ってではなくて、自国の国民に向かって言うなんて。さらに、そのことによって被爆者団体などの抗議行動が巻き起こったという状況を、アメリカ人だって喜びはしないだろう。と、誰かが言っていた。たぶん宮崎哲弥さんあたり。

 「原爆投下は仕方がなかった」というのは、アメリカ人の一般的な見解であるようだ。私がかつて大学生だった頃、あー、だから大昔のレーガン大統領の頃、英文学科の学生が発行している学内の英字新聞を読んでいて驚愕したことがあった。アメリカから来たばかりの新任の先生のインタビュー記事にこう書いてあったのだ。
Q,日本についてどう思いますか?
A,日本は、「恩知らず」だと思います。アメリカのおかげで発展したにもかかわらず、傲慢な態度でアメリカに被害を与えている。
 「恩知らず」のところだけonsirazuと書いてあったから日本語でおっしゃったらしい。 
 日米経済摩擦の頃だ。日本の自動車や工業製品が世界を席巻したことによって、アメリカの市場を奪い、自動車や鉄鋼業界が不況に見舞われたので、交換条件として農産物の輸入自由化を日本に迫っていた頃だった。
Q,広島の原爆投下についてはどう思いますか?
A,日本はパールハーバーで卑怯(hikyou)な攻撃を仕掛けたのだから当然だ。原爆投下によって、結果的に多くの人の命が救われた。
 えー、なんでいきなり、来るなりそんなことを言うの?
 私は納得がいかなかったので、サークル顧問の先生に、このことを尋ねてみた。そうしたらその先生は、「まあ、一般的なアメリカ人はほとんどの人がこのように思っているでしょうね。」とおしゃった。「広島に来て、個人的にいろんな人と知り合いになるうちに多少見解が変わるかもしれませんが、そうでない人も多いです。アメリカ人は、『アメリカは正しくて、世界一すばらしい国だ』と信じて疑わない人が多いのです。」そして、「まあ、それは違うと思うのなら、あなたがあの先生に言えばいいじゃないの。学生に議論をふっかけられるっていうのも新鮮な体験で、案外喜ぶかもよ。」とにこやかにおっしゃったのだが、うううっ、それは英語ができません。そういえば、
Q,日本の学生をどう思いますか?
A,みんなシャイで子供じみている
という見解もあったな。

 ちょうどその頃だったが、「10フィート運動」という市民の活動があった。それは、ワシントンの国立公文書館に保管されている原爆関連の8ミリフィルムを買い取ろうというもので、アメリカの公文書は一定期間過ぎると公開されて、だれでもコピーできるらしいのだ。何が写っているのかはわからないが、ともかく大量にあるので、できるだけ買おうということで多くの市民がそれに協力し、私も一口協力した。10フィートが一口で、たしか3000円くらいだったような気がする。協力したしるしにフィルムの端切れで作ったしおりをもらったが、それにはカラーのキノコ雲が写っていた。今では記録映像でよく見かけるが、あのカラーのキノコ雲は、その時買い取られたフィルムの中にあったものだ。
 大量のフィルムを編集したものが記録映画になったというので上映会に行って見たのだが、なんともやりきれない気持ちになった。悲惨だからではない。私は原爆の映画は子供の頃から見慣れている。やりきれないのは記録者の視線の冷たさのようなものに対してだ。ケロイドで崩れた顔や背中を、まるで舐めるようにぐるりと一周しながら撮影してゆく。完全に科学的な研究材料として人々を観察しているその冷静な視線に、心が冷えるようなおそろしさを感じたのだった。
 
 被爆者を撮影した場所は比治山にあったABCC内だ。今年の夏は、NHKでも朝日新聞でもこのABCCについて取り上げていたが、ここは広島市民にたいへん評判の悪いところだった。比治山の下に下宿していた友人に「あの山の上に見えるかまぼこ型の建物は何?」と聞くと、「放射線影響研究所」と答えたので、「ああ、あそこで被爆者の治療をするんだね。」と知ったかぶりをしたところ、「とんでもない。」と言われた。「あそこは、一切治療しないんだ。検査をするだけで、その検査も本人に結果を知らせるわけでなし、公表もしない。被爆者をモルモットにしているというのでものすごく嫌われている。今では誰も行きやしない。なのに、毎年1億円くらい日本政府からお金が出ていて、非難ごうごうだよ。」ということであった。
 要するに、アメリカは原爆投下の瞬間から、それを冷静に観察し、記録し、焦土と化した街や風景を撮影し、さらには人体への影響を観察するために巨大研究所を建て(日本政府のお金で)、やけどやケロイドや被爆症に苦しんで藁をもすがる思いで訪れた患者たちを研究材料にし、そしてそれらの記録をアメリカへすべて送っていたわけだ。
 夏にそのことをテレビの特集番組で見たときに、一気にいろいろなことを思い出した。また、現在の世界情勢を考えると目の前が暗くなってくる気もした。
 「10フィート映画を上映する下関市民の会」のホームページから
 NHK平和アーカイブス
  
 最近は平和運動だのやっている人をすぐにバカにして、サヨとかプロ市民とかこき下ろすようだけど、それじゃだめだ。歴史的な事実をきちんと掘り起こし、それを冷静に検証し、これからの日本のあり方を考えていくのでなくては、あの記録を収集していた冷たい目には対抗できないと思う。

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