読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

冷蔵庫の写真

2007-10-28 17:39:16 | 新聞
 「アジアンタムブルー」の最後で、主人公は鬱々とした放心状態を乗り越え、葉子の写真展を開いた。その写真展のことが新聞のコラムで取り上げられる。
 
 昨日、銀座で行われている写真展に行ってきました。何とも風変わりな写真展で、行けども行けども水溜りの写真が並んでいます。水溜りに映る驚くほど青い空、輪になって覗きこむ子供たちの笑顔、空を横切っていく渡り鳥の一群、まるで鏡を見るように覗きこむ老婆の無表情。
 約十年の歳月を費やして、続木葉子さんという女性カメラマンが日本全国を歩き回り映し出した日本の水溜りです。
 そこには、我々がどこかに忘れ去った、あるいは忘れたふりをしている、純朴な日本が確かに映し出されています。水溜りを通して見ると、こんなにも空は青く、子供たちは愛らしく、新宿のネオンは美しかったのかと今更ながらに思い知らされました。

 「なぜ水溜りの写真を撮るの?」と聞かれて「わからない」としか言えなかった葉子。彼女がレンズの向こうに見ていた風景がどんなものだったのかが彷彿としてくる。

 先日の朝日新聞(10月7日)に、漫画家、コラムニストのしまおまほさんが紹介されていた。経歴を読んでびっくりした。作家島尾敏雄・ミホ夫妻の孫娘にあたる人だ。父親の島尾伸三氏は「死の棘日記」が刊行された頃、ときどき新聞でお名前を見かけることがあったが、その娘さんが「女子高生ゴリコ」という漫画を書いた人だとは知らなかった。「女子高生ゴリコ」は宮台真司が「世紀末の作法」の中で取り上げていたので記憶している。
 
 『ゴリコ』にはお気楽なイメージ批判はない。「私たちはそんなんじゃありませーん」なんて昔の女子大生みたいなことは言わない。どんな自意識を持とうが馬鹿オヤジから見れば全部〈女子高生〉なんだろ、本当の自分なんてタイソウなものはないし、女子高生は〈女子高生〉をモノサシにして世界と関わるしかネエよ、といった乾いた韜晦がある。 (「世紀末の作法」 『女子高生ゴリコ』を読む)


 えーと、そのことが書きたいのではなくて、島田伸三氏の奥さんつまり、まほちゃんのおかあさんの潮田登久子さんが「冷蔵庫」の写真を撮り続けて有名なカメラマンであるってことが書きたいのだ。
 10年ほど前のことだ、NHKの「生活ほっとモーニング」で、「冷蔵庫の整理術」という特集があって、そのときに「冷蔵庫の写真を撮り続けている女性カメラマン」という人がでてきた。その人が潮田さんであるらしい。長年、よそのお宅の冷蔵庫を見続けてきたその人は、冷蔵庫の中を一目見ただけでそのお宅の状況がだいたいわかるというのだ。
「まさか、占いじゃあるまいし」
と私は半信半疑だったが、番組であるお宅を訪ねたとき、その人は冷蔵庫を見てレポーターにささやいた。
「ちょっとしんどかった時期があったようですが、今だいぶ持ち直してきたようですね」
 実は、そのお宅では最近夫婦の危機に見舞われていて、どうやらその原因は夫の浮気であるらしい。まるで隠し撮りのようなアングルで「どうしてあなたはいつもそうなのよ!」ときつい言葉を投げかける妻と、無言でうつむいている夫の影とが映像に写っていて、さわやかな朝にふさわしくない話題なので私は一瞬ぎょっとしてしまった。妻のインタビューもあって「もう、一時は顔も見たくない、声も聞きたくない、ほんとにひどい状態でした・・・」みたいなことを言うのだ。
 この女性カメラマンは、それを一目で見抜いたというのか!おそるべし!私には適度に整頓された清潔な庫内としか見えなかったのに・・・。
 私は大急ぎでうちの冷蔵庫のところに飛んで行って、もしこの中を見られたらどう言われるだろうかと考えた。・・・・・あんまりよい想像は浮かばなかったので、また大急ぎでテレビの前にとって返し、「冷蔵庫の整理術」を必死でメモし、その日の午後までかかって庫内の大掃除を敢行したのだった。
 その後、私は冷蔵庫が汚れるたびに、「あの冷蔵庫のカメラマン」のことを思い出してはドキリとして、あわてて掃除をしていた。だから島田伸三氏のインタビュー記事が新聞に載り、その経歴欄に潮田さんのことが一言書かれていたのを見てすぐに、「ああ、あの人か。」と思い出したのだ。
 それにしても、なぜわかるんだろう。いや、自分ちの冷蔵庫は見慣れているからわからないだけで、もしよその人が見たらものすごく変に見えるのだろうか。冷蔵庫ひとつに生活のすべてが象徴されているのだろうか。私にはよくわからない。潮田さんの冷蔵庫の写真を見てみたい気がするけど、こわいような気もする。それは、ちょうど「死の棘」を読みたいような、怖くて読みたくないような気持とおんなじだ。
 たぶん、私は一生「死の棘」は読まないと思う。

大崎善生「アジアンタムブルー」

2007-10-28 01:14:53 | 本の感想
 ネタばれ満載

 ヌードつながりってわけじゃないけども、「アジアンタムブルー」は、近年読んだラブストーリーの中ではダントツ一番の感動作だった。映画にもなっている。ヌードってのは、主人公山崎の勤め先がエロ雑誌の出版社なのだ。雑誌の名前は「月刊エレクト」。この設定は「パイロットフィッシュ」と同じで、出てくる人も同じだ。締切が近くなると、臨時雇いの女性編集者が拡大鏡でネガをのぞきながら目を血走らせ、「このびらびらがねえ、はみ出してなければ完璧なんだけど・・・」などとため息をついていたりする。山崎は今ではとてもまじめなよい編集者なのだが、大学の頃は卒業する見込みもなく引き籠っていた。この会社はガールフレンドの紹介だ。大崎善生の小説には、大学をドロップアウトした青年が、混乱しながらも自分に向いた仕事を見つけて、・・・という話が多い。
 出版社の同僚には、五十嵐という男がいて、この人がおもしろいのだ。今までの人生で一冊しか小説を読んだことがない。「人間失格」だ。仕事はからっきし出来ないけど、「この写真を見て勃つか、勃たないか」という判断にかけては天才的だ。雑誌には毎回大股開きで煽情的なヌード写真が載るが、もちろん、毛もびらびらも写ってはいけない。それが見えるか見えないかぎりぎりのところで読者を惹きつけないと、手が後ろに回ってしまう。写真の選択に迷ったときには、五十嵐の動物的な嗅覚を頼りに選び、それは必ず売れるのだ。
 新人のヌードモデルが、撮影のときどうしても大股開きができなくて泣き出してしまうということがあった。メガネをかけたやり手の女性マネージャーは叱咤激励する。撮影が中止になると派遣事務所が莫大な違約金を払わなくてはならないからだ。モデルの女の子の頬をはっしと打ちすえ、「まんこ出しなさい!さあ、まんこを見せるのよ!」と叫ぶ。
 「限界だ。」と感じて山崎は中止を言い渡すが、「では、わたくしのものでよろしかったら撮影してください」と彼女はなおも食い下がる。「勘弁してくださいよ。そんなもの見せられたら、飯が食えなくなる。」とカメラマンが悲鳴をあげ、
 で、「蜘蛛の子を散らすように、帰ってきたってわけさ。」と山崎は恋人の葉子に話すのだ。
 いやいや、ほんとに静謐で感動的なラブストーリーなんだって。 
 葉子は「水溜り」ばかり撮っているカメラマンだ。SMの女王ユーカの紹介で知り合った。このユーカという人も姉御肌っぽくていい。雑誌でユーカの特集を組むことになり、葉子がカメラマンとして採用されるのだが、その写真は卑猥さの一つもない独特の雰囲気の芸術写真に仕上がっていた。
「使えない、これもだめ、あーこれもだめ、全然勃たねえよ!」と五十嵐が頭を抱えるそばで、葉子は「はあ、勃ちませんかあ?」とにこにこしている。私は見てみたい。この写真。
 その雑誌は異例の評価を受け売れたのだが、編集長の井沢は山崎に言う。「今回の企画はだめだ。」
 「いいか、山崎君、僕らのやっている雑誌は単なるエロ雑誌だ。文化誌ではないんだ。粘膜と皮膚のぎりぎりを写しだして勃起させて売る。それでマスタべーションをして捨ててもらう。それだけが役割なんだ。だけど、今度の君の企画のようなものが続けば、読者は本を捨てられなくなる。捨てられないエロ本はきっといつかは滅びていく。」
 「だから、あれで受けては駄目なんだ。もっと昆虫のような単純で簡単に勃起させて売るような雑誌を目指さなければ。それができないのなら、他の雑誌をやればいい。エロ雑誌の編集者に知性めいたものを感じたら、読者はかけるマスもかけなくなってしまう。そうだろ。」

 (ここんとこに感心したから図書館に行ってメモしてきた。)
 この編集長のポリシーもなるほどなあと思う。でも、山崎の目指す方向というのも見てみたいような気もするし。いやいや、ここはストーリーの重要なところではなかった。ともかく、こんなにまじめで有能な編集者である主人公が、「水溜り」の写真ばかり撮っているカメラマンの恋人と暮らし、最後を看取り、悲嘆の淵からなんとか回復するまでを描いた感動的な純愛小説なのだ。久しぶりに泣いた。
 あと、A新聞のコラムが重要な役割を果たしているから、朝日新聞の人は必読な。