読書と追憶

主に読んだ本の備忘録です。

映画「キングダム・見えざる敵」

2007-10-25 00:56:57 | 映画
 「丸腰のボランティア」について書くための長い前置き。
 
 今日は映画「キングダム・見えざる敵」を観てきた。去年、「ナイロビの蜂」「ブラッドダイヤモンド」そして「ダーウィンの悪夢」と立て続けに社会問題を扱った映画を見て驚いたのだが、そこには今までのアメリカ映画にはほとんど見られなかったような、一段深く掘り下げた視点があった。先進諸国の繁栄が南側の貧しい国々を踏みつけにした上に成り立っていること、もはや我々はそのことに関して知らないと言っては済まされないし、アフリカや中東諸国の社会的混乱は「テロとの戦い」などというアホな善悪二元論では解決できない複雑な事情があるのだということに対する自覚だ。「ダーウィンの悪夢」を見て、ナイルバーチが湖の生態系を破壊していることがわかったから、じゃあその魚を食べるのをやめればいいなどという単純な問題ではない。湖から地元漁師が締め出され、自活の道が断たれたために元々の村落共同体が崩壊し、貧困、麻薬、エイズ、ストリートチルドレンといったさまざまな問題が引き起こされている。そして、ナイルバーチを外国に運ぶ輸送機はまた、この国に武器をも運んでくるのだ。わたしたちは発展途上国から資源を吸い取るかわりに、病気や貧困や紛争を輸出しているのか。
 「キングダム・見えざる敵」でも、FBI捜査官が一応ヒーローのように描かれてはいたが、最後にこれで事件は解決したのではないということが示唆される。テロで親友の捜査官を殺されたとき、泣き崩れる女性捜査官に「奴らを皆殺しにしてやる」と慰めた主人公。そしてテロの首謀者である家長が撃たれて死ぬ直前、孫娘に言い残したのは「仲間が、奴らをみんな殺してくれるだろう」という言葉。自爆テロや銃撃のシーンを見過ぎて「もう、お願いだからやめてくれ」と居たたまれない気持ちになった。9・11テロ以後、死者に対する報復と、その報復。報復合戦が泥沼化していて、もはや暴力では解決できないということはみなわかっているのにこの憎悪の連鎖を止められない。
 映画にはまた、華麗な宮殿とそこで豪奢な生活をしている王子も登場する。「王子は1000人以上もいるんだろう。みんなこんな立派な宮殿に住んでいるのかい?」「もっと豪華な宮殿もあります。」「どこから金が出ているんだ?」「○○○○・○○○○・○○○○」(忘れた。石油関連の合弁会社らしい)
ほんとかな?と思ってさっき検索してみたらありました。サウジアラビアの王室事情。
 
 HP「中東経済を解剖する」
(王家の構図―MENAの王族シリーズ・サウジアラビア篇)
 
 現在の正確な王族の人数は不明であるが2,000人前後であると考えて間違いなく、王位継承権者である男性王子(HRHの称号を有する)も1,000人を超えているものと思われる。
 ガー!!もっと驚くのはその下の肩書き一覧。そうそうたるものです。映画でなぜ唐突に王子が出てくるのかと思っていたが、国家警備隊の司令官など要職はすべて王族が占めていたのだ。石油が欲しいアメリカと結託した王室が富を独占して贅沢三昧。池内恵「アラブ政治の今を読む」を読んでもわかるように、民主主義的な選挙など行われようはずはないから、政権を倒すためにはクーデターしかない。貧困層や少数派が過激な思想に走るのも無理はないなあと私でも思う。が、テロリストに共感してしまってはいけないのだ。何の罪もない子供や女性たちが無残な死に方をし、一般市民が銃撃戦の巻き添えになる。映画でFBIを狙ったロケット弾が向かいの住宅に着弾して阿鼻叫喚の大惨事が引き起こされているときに「おい、マジか!」と思わずつぶやいてしまった。そこはあんたたちの同胞の家だろうが。
 テロリストにとって、破壊行為は社会の不安と混乱を引き起こすためのもので、そのようにして社会システムを寸断し、クーデターを成功させようとしているのであるから、いくら人が死のうと知ったことではないのだ。やはり決して許すことのできない行為だ。
 だが、テロリストをせん滅するためと称して軍隊を派遣し、拠点をしらみつぶしに空爆してもそれでテロがなくなるわけではない。イラクがよい例だ。映画では、テロリストの首領を「みんなからロビンフットのように思われている」と言っていたしFBIを警護するはずの兵士や警備隊員も過激派に大なり小なりシンパシーを感じている様子だった。きっと彼らが死んだあとも影響を受けて続々とテロリストが生まれるに違いない。
 いったい、どうすればいいのか。